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![]() 来たるべき世界のテクノロジーに 「共生する/進化するロボット」展 |
いずれにせよ,私たちはテクノロジーにさまざまな幻想を含めて,なにものかを求めてきた.そして,私がなぜローラ・フロストの文章について長々と触れたかというと,そこにはまさにテクノロジーと人間の相互交流(インターコミュニケーション,もしくはインターコイタスというべきか)についての問題が含まれているからだ. さて,今回の「共生する/進化するロボット」展もまた,そのような追及と問題の一端が概観され,なかなか興味深い展覧会となっていた.ただ,ロボットの定義そのものがいくつかの要素をもっているために,展示された作品もまた,アーティスティックなもの(ヤノベケンジ,高橋士郎など),《WABOT》のような人間型のもの,あるいは《MINDSTORMS》のような教育教材,さらには《知的車椅子》《完全自律搬送車》などさまざまな領域にわたっている. ところでヤノベの作品《アトム・カー》をロボットと見做すかどうかは別として,この作品は放射能を関知して退避行動をとるが,自らの意志でそれを行なうわけではない.動かすためには金を投入しなければいけないのだ.しかも,このラジコン的性格を備えた車は,放射能を10回浴びたら全機能を停止してしまう.それは,彼がかつて制作した《アトム・スーツ》と同様に,自らを防御するためにはより攻撃的な装いや道具を備えようとする次の世代のある種の表現者の考え方とは遠いところにある.いずれにせよ,この遊戯的感覚をもつ車は,攻撃性の欠如,あるいは隠蔽という最近のテクノロジーを使用した表現の多くに見られるものと通底する.そして,それによって,私たちは作品あるいは製品により近づくことが可能になっていく.そのすぐれた例の一つが,高橋士郎の《バボット》だろう.人に危害を加えることのないこのロボットは,まさに今回の「共生」という言葉と結ばれていく. とはいえ,ただ受容するだけが「共生」を生み出すわけではない.それらを使用する,あるいは向かい合う側の人間の想像力も要求されるのだ.そのような意味で,目的はまったく異なるが,《MINDSTORMS》や《完全自律搬送車》などに興味を引かれた.もちろん,今回出品されたものの多くが開発途上であったり,商品化されていたりするが,それらを前にして,来たるべき世界においてテクノロジーがどれほど私たちの生活のなかに入り込み,影響を与えていくかを含め,さまざまに考えさせられた展覧会であった.
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