情報の回廊を逍遥する |
ディジタル・アレキサンドリアは 商業ベースで美術鑑賞ソフトの制作・販売をして利益を上げるのは,当面,絵に描いた餅であることはいままで検証してきたとおりである.しかし,一方の文化遺産の守り手としての美術館・博物館は,デジタル・テクノロジーの進歩をどう捉え,より詳しく,多くの情報にアクセスしたいという世界中からの要望にどう応えようとしているのだろうか. 昨年12月のシンポジウムにスピーカー,また,私たちの希望としては,潜在的な将来の研究パートナーとして参加してもらったゲッティ情報研究所のジェーン・スレッジ,ネザーランズ・インスティテュート・フォー・アート・ヒストリーのヤン・ファン・デル・シュタール,ロンドンのサイエンス・ミュージアムのアリス・グラント,また,国内から出席の国立民族学博物館副館長の杉田繁治,文化庁文化政策室長の垣内恵美子の各氏らとシンポジウムに先立ち,また,その後も,さまざまな機会に議論を重ねてきた. 世界各地で毎月のように開催される,美術館同士の情報ネットワーク構築における標準化会議に出席し,また,自国の美術館・博物館情報政策に関する最新情報にも絶えず接している彼らが指摘するのは,やはり,「公共財である世界の文化遺産に関する情報は,そのオリジナルが全人類に属するのと同じように,オリジナルに関する画像を含めたすべてのデータは公共の 領 域 に所属すべきではないか」という考え方の存在と,その解釈のしかただ. 冒頭から繰り返して述べているように,公共財としての美術館収蔵品の真の所有者は地球市民であり,美術館・博物館はその管理者であるから,収蔵品の正確で高品質な画像データを,これが情報である限り(それ自体を商品として取り引きする目的でなく,知的探求心に基づいて引き出された情報という意味において)は,原則として無料で,しかも,機会均等にまんべんなく地球市民に提供しなくてはならないというのが基本的な考えである. これを実現するためには,国際間で異なる著作権保護に対する考え方の違いや,画像データをやりとりする際の技術的な標準化について,ますます緊密なコラボレーションが必要となってくるのは間違いない.ディジタル・アレキサンドリアは,こうした各国間協調のための協議の場には積極的に参加し,わが国が誇る技術力をもって,現実的なデジタル画像ディストリビューション・システムのヴィジョンを内外に示すことと,技術的な標準化に貢献することを目指している. 私たちは,高速で経済効率の良いデジタル画像キャプチャリング・システムの技術(ディジタル・アレキサンドリアが使用するSHD=超高精彩画像システムについて,ここでは技術情報に触れないが,詳細については小野,青山らによるSuper High Definition Images, Beyond HDTV, Artech House, London, 1995を参照のこと)をすでにもっており,その改良とコスト・パフォーマンスの改善に努めている.しかし,私たちの掲げるヴィジョンは単に物理的に美術品の画像を素早くデジタル化するということだけではなく,「画像を売り買いする以外の方法」で,しかも公共性の高い,学術や教育目的を最優先とした画像配信システム維持の仕組を考えるという,ユニヴァーサルなプラットフォームにおいて描き出されることになろう. 欧米の美術館関係者は「より多くの観客=地球市民への情報の提供」を最大の使命と捉えるために,情報を提供する器となるコンピュータやソフトウェアなどのテクノロジーのスタンダードを「最も遅れた地域に合わせるべきだ」と主張して,インターネットで配信する画質レヴェルより高度な画像配信システムはいまのところ考えていないという. 彼らは「重要なのはデータそのものであって,それをどうキャプチャーしたかとか,いかに素晴らしく再生したり,配信するかといったテクノロジーは大した問題ではない」と主張する.欧米の美術館におけるドキュメンテーションとは,所蔵作品を文字データで事細かに記録・保存することが最優先課題であるから,その伝統にのっとった彼らの主張をむやみに非難することはできない. しかしながら,ディジタル・アレキサンドリアは高品質画像を極めて短時間で実現できるSHD−3CCDカメラによって美術品の画像をキャプチャー,再生することが技術的に可能であり,作業時間の短縮は長期的にはコストの節約と直結するので,海外の大型美術館や図書館,アーカイヴなどに共同研究を呼びかけ,高度な画質レヴェルにおいてもデジタル美術画像アーカイヴが実現可能であることを主張している. 現在のインターネットはそのネットワーク容量がまだまだ小さいため,高精彩な画像データをWWWのウェブサイトにインストールしてそれを遠隔地点からアクセスして利用する段階にはない.しかし,超高速な次世代インターネットの技術開発が進展しており,近い将来,超高精彩画像のアーカイヴをウェブサイトに置いて,ネットワークを通して容易に利用することが可能となるであろう. 具体的には,本年4月よりスタートしたTAO(通信・放送機構)の提供するギガビット・ネットワークを用いてSHD画像を高速で転送する実験を私たちは計画している. いままでの実験について若干例を紹介すると,小野はディジタル・アレキサンドリアの発足に先立ち,慶應義塾大学所蔵『グーテンベルク聖書』の超高精彩画像データ化に立ち会い,昨秋は,書誌学者の高宮利行慶大文学部教授の協力を得て,比較の対象としてケンブリッジ大学ボードリアン図書館所蔵の『グーテンベルク聖書』の画像数百点をわずか数日でSHDデータ化することに成功した.高宮教授はこれら二つの稀覯本のデータをSHDモニター上で比較し,「研究者用の画像データとしてSHD画像はきわめて有効である」ことを証明した.南イタリアを中心に古代遺跡の発掘調査に携わっているメンバー,青柳正規東大文学部教授は,発掘した色彩鮮やかな出土品が空気に触れて劣化するのを防ぐためにも,素早く画像データを取り込んで,オリジナルはいち早く保存するべきだとかねがね主張してきたが,現場のモニター上で結果を確認しながら何度も撮り直しが可能なSHD−3CCDカメラは,「文化遺産の保存と未来への伝承」という点できわめて現実的なツールであるとして,今後の研究に活用することを決めている. このように私たちは,ディジタル・アレキサンドリアという知のコンソーシアムを通じて,内外の研究者に広く呼びかけながら,特定の省庁や企業の利害に影響を受けることなく,テクノロジーの進歩によって実現された高品質のデジタル画像を活用して,人類の文化遺産に関する情報ディストリビューション・システムをいかにして具体化すべきか,さまざまな角度で議論を重ねているのだ. 今後の予定としては,ティツィアーノ,フェルメール,レンブラントなどの世界的コレクションで知られるワシントンDCの巨大美術館,ナショナル・ギャラリー・オブ・アートと水彩画の共同撮影実験を行なうために最終調整に入っているのを皮切りに,フランス,イタリア,イギリスなどでの共同実験が次々と予定されている.また,前述のように次世代インターネットという新たな環境を利用して,さまざまな学術機関や美術館と共同で,SHD画像を含む大容量アーカイヴのネットワーク実験を行なう予定である.さらに,国際会議への参加や論文の発表なども併せて行なっていく.そして,これらの成果をもって,2000年の春をメドに,第2回国際シンポジウムを開催することを考えている. かつてナイル河口の国際都市アレキサンドリアに存在したという巨大図書館と英知の殿堂ムーゼイオンは,度重なる戦乱と宗教紛争の結果,現在では跡形も残っていない.しかし,いま私たちは,リセウムの回廊で議論を交わすアリストテレスに憧れて巨大図書館設立事業に乗り出したという古代の王と思いを同じくして,新たな伝説を生み出そうと企んでいる. 文明の進歩はテクノロジーによってだけではなく,テクノロジーに裏打ちされた「人」の,そして,「知」と「情熱」のコンソーシアムによってこそ実現可能となる.私たちは,デジタル情報の回廊を逍遥する新たなるペリパトス(逍遥学派)となって,このコンソーシアムを強固で普遍的なものにしてゆきたいと願っている.
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