情報の回廊を逍遥する

ほかのアーカイヴ構想とはどこが違うのか?

「デジタル・アーカイヴ」という概念がわが国で注目を集めるようになって,すでに何年にもなるし,当初,ビル・ゲイツがコービス社を通じて日本の寺社の国宝級の神仏像のデジタル画像の著作権を買い漁っているというまことしやかな噂が全国を駆けめぐったことがあった.

一体,誰がこのような風説(コンタクトがあったことは否定しない)を何の目的で流したのかはわからないが,こうした噂にパニック状態を起こし,「そうだ.文化遺産のデジタル画像はビジネスになる!」という思い込みのもと,多くの自治体や研究機関が一斉に独自のデジタル・アーカイヴ・プロジェクトに乗り出した経緯がわが国にはあったように思う.
しかし現実には,いまになってしても「文化遺産のデジタル画像」を売り買いすることで大儲けをしたという人物は出ていないし,本家のコービス社が華々しい業績を上げているという話もまったくない.

コービス社は報道写真アーカイヴなどは傘下に収めることに成功したが,美術館・博物館,特に,国家政策の影響や産業界からの圧力を極度に嫌うアメリカの美術館からは門前払いをくらい,あまりの評判の悪さに狼狽して,そのお蔭でシアトルの現代美術館はビル・ゲイツから巨額の寄付をせしめることに成功した……という話は,アメリカのみならず,世界中の美術関係者のあいだでは「真実」として語りつがれている.

「ディジタル・アレキサンドリア」が,ほかのデジタル・アーカイヴ・プロジェクトと顕著に異なっている点は,少なくても私たちメンバー全員が,「営利目的のビジネスとして文化遺産のデジタル画像を売り買いすることはない」という明確な認識を共有していることだろう.

そもそも美術館に収蔵されている美術作品は,たとえ,その美術館がどこの国に存在していようとも世界人類の公共財である.その「公共財」である美術品に付随する情報は,たとえ画像データであったとしても,やはり,公共性を帯びているのではないだろうか.であるならば,美術品のデジタル画像は収蔵品と同じように公共財として管理されることが望ましい.

もちろん,フランスのように美術館に所蔵されている美術品すべてが国有財産で,国家が積極的にこの国有財産を活用して外貨獲得を目ざそうという政策をとっている国もある.
フランスにおける美術館は,フランスの基幹産業の一つともいえる観光を支える重要な資源であり,フランス文化省は,日本でいうならば通産省がハイテク産業の振興に熱心なのと同じような意気込みをもって,芸術振興策のために多くの予算を費やしている.したがって当然のことながら,国家資源である美術品(その画像,レプリカも含む)には,どのような場合においても,できる限り高い付加価値と価格をつけるよう細心の注意が払われているのだ.

しかし,世界を見渡してみれば,Linuxの例にも顕著なように,コンピュータのOSソフトを公共財に近いものとして無償で提供しようとする考えなど,デジタル時代にふさわしく,いままでのビジネス・プロトコルの範疇では成り立ちえなかった新たなコンセプトに基づく基盤整備への動きが活発になっている.

フリーウェアやシェアウェアの考えが広く支持されるようになってきているのと期を同じくして,欧米の美術館関係者のあいだでは,「公共機関に所属する研究や教育目的で活用されるべきデータは,画像も含めてオリジナルと同様に公共財と考えられる.したがって,できるだけわずかな管理費を負担するだけで,あらゆる人に機会均等に提供されるべきではないか」という考え方が一般的になりつつあるようだ.

要するに,公共の美術館・博物館に所蔵される美術品の画像データは,学術研究や教育目的で使用される限り,著作権を気にすることなく,作品の知名度や需要の頻度によって使用料に高低を設置するなどという煩雑な課金体系を放棄し,すべての教育機関や研究者が応分に,定額の維持費のみを支払えばよいような仕組みを世界規模で構築しようというコンセプトである.

無償OSソフトや情報を供給するためのネットワークが多くの人が支払う税金によって敷設される「水道管」だとするならば,美術館・博物館に属する画像を含むデータは水道管の中を流れる「水」のようなものである.ならば,美術館や博物館は飲料水を蓄える「ダム」のようなものと考えることができるだろう.水道管も水もダムも,それぞれがきわめて公共的で重要な役割を担っており,この維持・管理費を利用者の全員が負担することに意義を申し立てる者はないだろう.

水道管やダムの工事には定率で,しかも,最低限の負担金が算出され,個人としての私たちはこれを税金や使用料の一部として支払っているわけだが,実際に蛇口をひねって出した「水」については各自の使用量に応じて課金がなされている.しかも,法外な使用料を請求されるということはない.

欧米の美術館・博物館関係者,大学,研究機関の関係者らの多くは,頻繁に行なわれている標準化をテーマにした国際会議を通じて,これに準じたコンセプトで,オンライン画像ディストリビューション・システムの具体的なイメージを思い描こうと模索している.

こうした考え方に対して,いままで国立美術館所蔵の美術品を世界人類の公共財というよりは,国庫に利益をもたらす資源として取り扱ってきたフランスや,同じく貴重な文化遺産が観光客を引きつけるための目玉となっているイタリア,ギリシアなどがどういう動きを見せるかが注目される.また,修復・保存に必要な予算を確保することが重荷となっている重要文化財や国宝を所有する日本の神社・仏閣の対応も興味を魅かれるところだ.

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