Computer Graphics: A Half-technological Introduction |
2 光学メディアがグーテンベルクの印刷術と同時期にヨーロッパ文化を変革したのは偶然ではない.光学メディアは,光学として光学に対して立ち向かったのであった.カメラ・オブスキュラ[★4]から今日のテレビカメラに至るまで,このメディアはいずれも,古代の反射法則と近代の屈折法則をハードウェアに取り込んできたものである.反射と線遠近法,屈折と空気遠近法,この二つのメカニズムこそが,ヨーロッパにおける知覚に対して,遠近法的投影への帰順を誓わせたのであった.その結びつきはとても強固で,近代美術からのさまざまな反撃にも動じることはなかった.造形芸術の世界でマニュアルだけであった,あるいはフェルメールと彼のカメラ・オブスキュラにおけるように,セミオートマチックでしかなかったものを,技術メディアは視覚的なフルオートマチックとして取り入れていったのである. そのような光学メディアに対するコンピュータ・グラフィックスの関係は,眼に対するそうした光学メディアの関係と似ている.カメラのレンズが文字通りのハードウェアとして,文字通りの「湿ったウェア」である眼をシミュレートするとすると,コンピュータ・グラフィックスとしてのソフトウェアはハードウェアをシミュレートするのである.確かにまだ反射や屈折といった光学法則はモニターや液晶(LCD)画面といった出力装置においては依然として効力をもっているが,そうした出力装置を操作するプログラムは,関係するあらゆる光学法則を代数的な純粋論理に転換してしまっているのである. 光学を完全にヴァーチュアル化するということを実現させるためには,あらゆるピクセルを完全にアドレス化するということが前提となる.遠近法的空間の不連続な三次元マトリクスを行や列からなる不連続の二次元マトリクスに対応させることは双方向的には不可能であるが,片方向であれば可能である.前後上下左右といういかなる三次元的要素もヴァーチュアルなドットに対応するのであり,そのときにはそれらの二次元における代理ドットが実際の役割を果たすことになる. 以下,私はこうしたオプションとして存在する光学の中で最も重要な二つを紹介してみたいと思う.ただ予め強調しておきたいのだが,アナログの光学メディアと比較するとき,コンピュータ・グラフィックスが光学というものをそもそもオプションにしているという事実だけでも途方もない革命なのである.確かに写真や映画であっても,広角レンズと望遠レンズのあいだで,またいろいろなカラー・フィルターのなかから,気に入ったものを選び出すということができるようになっている. それに対してコンピュータ・グラフィックスというのは,ソフトウェアであるから,アルゴリズムによって成り立っており,それ以外のものではない.それゆえ,自動画像合成へと至る理想的なアルゴリズムは,何の問題もなく非アルゴリズム的に表わすことができる.つまりそれは,あらゆる光学的な,すなわち測定可能な空間に関して量子電磁力学が知っているあらゆる電磁方程式をヴァーチュアル空間にも適応しさえすればよいのであって,簡単に言えば,リチャード・ファインマンの『物理学講義』三巻本をソフトウェアに流し込めばよいのだ.そうすれば猫の皮は,異方性的表面を形成しているから,猫の皮のように光沢を放つことだろうし,ワイングラスに見える光の縞模様も,その屈折率が場所ごとに少しずつ変わっていくのであるから,後ろにあるものの光を色のスペクトルに展開する,ということになるだろう. 原理的にそうした奇跡を邪魔するものはない.普遍的な離散型マシン,一般には特にコンピュータのことを考えてよいが,それはおよそプログラム可能なものすべてを実行することができるのである. 最初の基本的な「理想化」というものは,物体を面として取り扱うという点に見られる.コンピュータ医学であれば,どうしても三次元の身体を表現しないわけにはいかないものだが,対照的にコンピュータ・グラフィックスは,三次元でインプットされるものを最初から二次元でアウトプットするかたちで一つ次元を減らしてしまう.しかしそうしたやり方は,先ほど例をあげたワイングラスのように透明ないし一部透明なものを扱えないだけではない. 物体が面へと還元され,ハウスドルフ次元が画像へと引き下ろされたとき,初めてコンピュータ・グラフィックスは次の問題と取り組むことになる. |
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