エクスターズする文化へ デジタル社会における内包空間の発現 |
一番遠いものを引き寄せるのがアンビエント, 伊藤──昨年,細野さんが旅をするテレビ番組を見ました.「黙って,座って,じっと聴け」(NHK BS-2/素晴らしき地球の旅)というネイティヴ・アメリカンを訪ねていく旅ですね.タイトルからもわかるように,聴くということは一体どういうことなのか,あるいは内包空間を旅していくとは一体どういうことなのかということを扱っていて,とても興味深かったのですが,今回の展覧会とあわせてみると,いろいろな符丁が含まれていることに気づいたのです.例えば細野さんが旅をなさったサンタフェのチェコ・キャニオンは,プエブロ・インディアンの先祖であるアナサジ人の居住区ですね.じつはテレプレゼンス・テクノロジーのパイオニアであるテレプレゼンス・リサーチ社のブレンダ・ローレルが,テレプレゼンス・テクノロジーというのはアナサジ遺跡に残っている岩刻彫刻の記述法と似通っているんじゃないかという話をして,デモンストレーション・ヴィデオをつくったことがあります.古代の人間の知覚や記憶とテレプレゼンスの問題ですね.あるいは今回展示されたオランダのアーティスト,チェベ・ファン・タイエンとフレッド・ハーレスという二人組がつくった《ネオ・シャーマニズム》という作品の中には,石が話すとか石が歌うというコンセプトがあります.そういう「シンギング・ストーン」みたいな現象も,じつは細野さんが旅をなさった聖地の中に出てくる. 細野──ほとんどは音楽をやっていて感じていたことの再確認ということが多かったんです.例えば,ラリー・リトルバードという僕の先生が,「自分の中から出てくる音を,それがいいか悪いか検証しろ」と言いました.一般にミュージシャンは,それについて「面白いか面白くないかということだ」と簡単に言いますが,本当はもっと深いところでは,やはり「いい/悪い」というのがあるんだと思います.それから,僕はいまではコンピュータなどありとあらゆるエレクトロニクスを使って音をつくっていて,そこで出てくる音も自分から出てくる音としている.生の音に限らず電子的な音でさえそうやって検証しているわけですね.すると,やはりいまのような世界の音楽というのは,音が多すぎて,僕にとってはもう辟易とするような環境ですから,プエブロ・インディアンの聖地での体験がなかったら,わからなかったことも多かったと思います. 中沢──音とシャーマニズムの関係や可能性に関しては,細野さんは個人的にどうお考えになってますか. 細野──二つあります.一つはいま言った「メディアの中の音楽」.つまり音楽というと,CDという媒体の中にまるでもののように存在すると思われている.僕が音楽をつくるとき,そういうCDの中に記録される自分の思いがあって,それはやはりシャーマニズムとは言い切れない.商品をつくっていく気持ちでもあるだろうし,所詮CDという枠から出られないものなんです. |
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