特集:テレプレゼンス――時間と空間を超えるテクノロジー/ウィリアム・バクストン・インタヴュー

コンピュータの消滅

WB――ここからおのずと第四点が浮かび上がってきます.第四点が示しているのは,テクノロジーのパースペクティヴから見て,これまでお話ししたすべての帰結として現われ出てくる何もかもが,世間一般でテレコミュニケーション・テクノロジーについて語られていることと相反している,ということです.現在,私たちは「集中」の時代にいる,と誰もが口にします.電話,コンピュータ,その他一切が,一体化しようとしている,と.「集中」は,みんなが語る,すばらしき救済の物語です.しかし,実際にはまったく正反対なのです.「集中」は,想像しうる最悪のコンセプトです.

ここで私が何を言おうとしているのか,少し慎重に説明しておく必要があるでしょう.配管工をご存じですね? 配管工にとっては,集中は大変良いことです.建物の話に戻って──このビルには,ビル全体に水を供給する,つまり蛇口やその他,末端の設備に水を送るセントラル・ネットワークがあります.このネットワークは同時に使用済みの水を排出します.
インターネットにならって,これをウォーターネットと呼ぶことにしましょう.ウォーターネットは中央管理され,標準化され,集中化されている.洗濯,プール,草花にやる水,すべての水がここから供給されます.要するに,ウォーターネットのレヴェルでは「集中」が実現されているわけです.しかし,このビルなり自宅なりを一巡して,どれほど多様な水廻り設備があるかを確認してみましょう.
流しの種類もさまざまなら,トイレの種類もさまざまです.自分が男性用トイレにいるのか女性用トイレにいるのかは,その違いでわかります.皿を洗うための流しが手を洗うための流しや衣類を洗うための流しと違うこともわかります.スプリンクラーにしても,自分のシャワー用,庭の芝生に水をやるためのもの,火災用と,はっきり区別ができます.
このように多数の異なった末端設備がある.多様性があるわけですね.それぞれが専用化されている.これは大変興味深いことです.今日のコンピュータの在り方と対照的であると言っていいでしょう.水廻り設備がコンピュータ機器と同じかたちでデザインされていたとしたら,われわれは,飲むのも泳ぐのもトイレも洗濯も同じ流しで行なうということになります.これはまた,あまりにばかげています.

要するに,今日,最も重要なのは,コンピュータを消滅させること――コンピュータが存在しないようにすることです.「集中」とは配管工にとってのみ有用なものであるということを認識すれば,その帰結はこうです.つまり「集中」とはウォーターネットの領域においてのみ有用なのであって,実際の価値は,正しいかたちで配備された,専用化された設備──つまり,それによって,この部屋は洗濯室であり,この部屋はシャワー室であり,この部屋は皿を洗う部屋である,ということがわかるようなものにこそあります.あるいはビジネスの場であれば,この部屋は大会議用,この部屋は小会議用,この部屋はエンジニアのミーティング用,この部屋はカジュアルなミーティング用,この部屋はランチタイム用等々といったことがわかるような,そんな設備を手にしたときに初めて現われてくるものなのです.

つまり多様性です.この多様性がわれわれを導いていってくれるのは,従来「ユビキタス・コンピューティング」と呼ばれてきた領域です.
ユビキタス・コンピューティングといっても「コンピュータ」という言葉が問題です.誰もが,コンピュータの何たるかは知っている,そう思っています.コンピュータの絵を描いてくれと言うと,みんながみんな,モニタとキーボードとマウスの絵を描くでしょう.結構.第一に,モニタもキーボードもコンピュータではない.コンピュータの端末装置です.コンピュータの本体は別のところにあります.地下室に置くこともできる.このコンピュータこそ目の前から消してしまいたい.家の中には,水廻り設備と同じくらいたくさんの異なった端末を置きたい.
私が開発したいのは,この種のネットワークなのです.端末さえあればいいのです.

前のページへleft right次のページへ