さて,国家から企業へと主役を代えた博覧会は,資本主義国家の幸福が消費礼賛に結びつけられることを運命づけていたようだ.1920年代末の大恐慌は,不安定な経済という資本主義システムの宿命を突きつけるのに十分だった.大衆,社会の不安を解消する方策として,安定した未来を約束しなければならなかったのは当然である.その際,博覧会が幸福な「明日の世界」を謳うイデオロギー装置として機能し,未来さえ商品として消費されはじめる.一連の博覧会がもれなく科学技術の進歩,完璧な明日の未来世界を提示していたのは偶然ではない.それらは,企業によって展示された「未来都市」に象徴されているが,たとえばニューヨーク世界博の巨大な球形シンボル「ペリスフェア」の内部には,「デモクラシティ」と呼ばれる未来都市が展示された.だが,大衆における話題性から言えば,ゼネラル・モーターズの未来都市は群を抜いていた.「フューチャラマ」と呼ばれる“1960年を想定した未来”は,あらゆる都市問題が解決された完璧なアメリカの姿を映している.観客は椅子に腰掛け,スピーカーから流れる案内を聞きつつ,自動化された周遊観覧システムによって次々に見学を強いられる! このシステムによって,1日に2万7千人もの入場者をさばくことが可能になったのである.まさしくこれは企業の巧妙な宣伝装置にほかならなかった.これをデザインしたのは,ノーマン・ベル・ゲデスという工業デザイナーだが,こうした消費と密接に結びついた未来の演出は,この時期の工業デザイナーという新たな職種の台頭とパラレルであった.
そしてさらに,建築家,工業デザイナー,事業家,ニュー・ディールの指導者たちの共同作業を検証すれば,演出されたユートピアが消費へと方向付けされた国家の姿であるのみならず,男性による好色幻想へとねじ曲げられた「明日の世界」であることが明らかになる.その核心で女性は性商品として演出されていた.好色な見せ物自体は,シカゴのコロンブス世界博(1893)以降の万博につねに存在してきたが,進歩の世紀博においては,サリー・ランドという女性ダンサーによるファン・ダンスが莫大な収益を決定づけた.彼女の活躍は後続の博覧会においても成功の不可欠要素とされた(ゴールデン・ゲート万博は,ライバルのニューヨーク世界博に先んじて彼女と契約していた).また,カリフォルニア太平洋博では,技術の進歩と未来を祝うために,ヌーディスト・ガーデンが設けられており,そこでヌード女性たちと戯れるロボットのパフォーマンスは,好色と技術的進歩をアナクロニスティックに同居させている.重要なのは,先述のゲデスが「フューチャラマ」を製作する一方で,好色の見せ物(「セクソラマ」)というかたちを取った近代化幻想に専心していた点である(因習墨守のヴィクトリア期からの脱却?).もちろん,それらは「フューチャラマ」ほど未来を直接的にデザインしてはいないが,明日の世界における「繁栄への希求」が,いかに男性による好色幻想に頼らざるをえなかったかということを示すのには十分である.彼が企画したクリスタル・パレスのパロディ(「クリスタル・ゲージング・パレス」)は,それを如実に示す例だろう.エレベーターによって運ばれてくる女性ダンサーは,無数の鏡によってイリュージョンが増幅する舞台に到達する.鏡の反射によって得られる効果は,寸分違わぬ動きをする無数の像を生み出し,それはロケットの精密さと比較されたくらいであった.
1930年代の博覧会が,大衆に新たな技術の可能性を提示できたことは,これまでしばしば報告されてきた.とはいえ,それらの新技術は不況を脱し,消費主義の幻想を再構築するために用意されたものであったが.未来と消費は結合され,そして,工業デザイナー等が女性に商品価値を見たのも事実である.その際,博覧会の指導者たちの近代化戦略には技術的ユートピアの幻想「フューチャラマ」と好色幻想「セクソラマ」が不可欠だったのであり,両者は互いに鏡像イメージとして機能したのであった.
(よこて よしひろ・建築史)