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ジャン = リュック・ゴダールの「部屋」/阿部和重


 60年代から70年代前期までに発表されたいくつかのゴダール映画が,近頃つづけて公開されたりヴィデオ化されたりしている.ここでは,初期から今日に到るまでの彼の作家歴を概観し,過去と現在との接点及び相違点を探ってみたいと思う.

 ジャン = リュック・ゴダールの作家歴はいくつかの時代に区分けできる.自身が敬愛する映画作家たちの作品やハリウッド製ジャンル映画(フィルム・ノワール,ミュージカル,メロドラマ等)を参照にしつつも同時に当時の映画的な環境のなかで根強く共有されていた「シネマ」の「規範」(撮影所システム的なコード)からの積極的な逸脱として,ゴダールの作家活動は始まったとみてよい.美しいヒロイン(アンナ・カリーナ)を得た彼は,そのヒロインを映画の登場人物にふさわしく仕立てあげること以上に,適度に物語化されたキャラクターという枠組みにはおさまりきれぬ剰余を備えたアクチュアルな対象=存在として捉えつづけてゆく.むろんこれはロベルト・ロッセリーニの作品に代表される「現代映画」的な性向の継承であり,他のヌーヴェル・ヴァーグの作家たちにも共通した姿勢であったことは言うまでもない.けれどもゴダールは,登場人物たちが――それこそミュージカル映画的な振付けがなされているかのように――ひたすら動きまわる姿を可能な限り撮りつづけるためにパンや移動といった撮影技術を頻繁に用いて,より躍動的で息の永い運動の持続を画面内に定着させ,長回しショットと断片的なショットの組合わせ(それじたい極めて独自なモンタージュ)により,他の作家の作品には見られぬ特異な空間性を獲得している.それは,『女は女である』(1961)や『はなればなれに』(64)等のカリーナ主演作以外,例えばブリジット・バルドーが主演した『軽蔑』(63)などからもはっきりと看取できる.

 乱暴に要約すれば,「シネマ」及びヒロインへの「愛」の謳歌と相対化が並行してなされていたのが,60年代前半のゴダール映画だったと言えるかもしれない.しかし,ヴェトナム反戦運動,毛沢東主義,マルクス主義などの影響が社会的に波及してゆくなか,様々な「革命闘争」が活気づき,ついにヒロインと訣別したゴダール自身も急速に「政治化」してゆくことで「シネマ」はいっそう相対化され,彼にとって映画はいよいよ自明なものではなくなってしまう.ゴダール映画における運動は,ミュージカルの振付け的な芝居演出によるダイナミックな感触が次第に薄れてゆき,快楽主導的に見えぬでもなかった移動やパンなどの撮影技術もかつてほどは多用されなくなる.ゴダールにとって,制度としての「シネマ」はより直接的な批判=思考の対象となったわけだ.以後彼は,サイレントからトーキーへの移行期まで溯り,「シネマ」の形式性の検証と再組織化の実践に徹してゆく.もっとも,長篇デビュー作『勝手にしやがれ』(59)において,尺数短縮のためプリントを切り刻み,ジャンプ・カット編集をやってしまった時点ですでにフィルム=映像をモノとして扱っていたゴダールが,映像それ自体の自律性を問題化せざるを得なかったのは当然だったと言えよう.『彼女について私が知っている二,三の事柄』(66),そして『2001年愛の交換“未来”』(66.最後のカリーナ出演作であり,彼女の笑顔で締め括られる)という『アルファヴィル』(65)的な短篇を間に挟み,『ベトナムから遠く離れて』に含まれた『カメラ・アイ』,『中国女』,短篇『放蕩息子たちの出発と帰還』,『ウイークエンド』(いずれも67)と続けざまに製作された一連の作品群は,物語の呪縛を解かれた対象が生々しく明示されている,などといった見方だけでは済まされぬような映画になっている.とりわけ重要なのは,『カメラ・アイ』のなかで,『勝手にしやがれ』以来ときおり画面内に写りこんでいた映画用キャメラが,ファインダーを覗くゴダール自身の姿とともに中心的な被写体となっている点だろう.つまりそこでは映画の媒介性が強調されている.実際,ジガ・ヴェルトフ集団時代から『万事快調』(72)へと到ったゴダールが帰着したのは,映画における媒介性を徹底して露顕させることだった.ジャン = リュック・ゴダールとジャン = ピエール・ゴランとの共同監督作品『万事快調』で試みられていたのは,上映中にそれが忘却されることにより虚構の存立が可能となる,スクリーン(媒介面)と映像との同時的な可視化という困難きわまりない作業であり,映画とはメディアの一つにほかならないという明白かつ忘れられがちな事実の顕示なのだ(この点については,『万事快調』公開用パンフレット所載の拙稿で詳しく論じてある).

 ヴィデオ作品製作が主だった70年代後半を経て,『勝手に逃げろ/人生』(79)で商業映画界へ復帰して以後のゴダール作品は,『右側に気をつけろ』(87)や『ゴダールの映画史』(88)あたりがその典型だと言えようが,「映像+音響」のリミックス的な手法の全面展開として語られることが多い.おそらくそれ以上に確かなのは,これも周知のように,光が生ずる場,すなわち空,陽が射す窓,電灯,マッチの火,テレビ画面,水面等の光(源)が,彼の映画における主要な被写体となったことだろう.言わば「シネマ」の元素分析を開始したとでも見るべきか.「光がうまくゆかない」ことが物語の契機となっている『パッション』(81)の空や撮影スタジオ,『カルメンという名の女』(82)のテレビ画面や窓,『こんにちは,マリア』(83)の月や自動車のヘッドライト,『ゴダールの探偵』(84)のヴィデオ・キャメラのファインダーやパソコン・モニター画面,『ゴダールのリア王』(87)の花火や電球,『右側に気をつけろ』の空や戸口や映写機,『ヌーヴェルヴァーグ』(90)の水面,といったように例を挙げればきりがない.それら「光」の生成=再生装置がほぼすべて出揃う『JLG JLG』(94)になると,明暗の度合いが高濃度に設計された画面のどれもが光源(さらにはメディア)を示すいくつかの対象に占拠され,――後半の一部を除けば――もはや人の姿は特権的な被写体として扱われてはおらず――それはゴダール本人も例外ではないように思える――,ごくわずかな登場人物たちは,まるで光の明るさをより際立たせるために配置されたシルエット,あるいは媒介面として画面内に位置づけられているにすぎないかのようでさえある.むろんそうしたなかで,作家自身の声,会話する人どうしの声,――そしてゴダール映画ではすでにおなじみの――電話のベル,海鳥の鳴き声,打ち寄せる波,楽曲の断片等の様々な音が飛び交い,錯綜している.

 こうした前提を踏まえて,以下ではゴダール映画における屋内空間の変遷を中心に考えてみたいと思う.60年代の作品と90年代の作品とでは屋内描写が一見まるで異なっているように思えるのだが,ではゴダールの「部屋」は,いつ頃から,どのように変化していったのか.

 ゴダール映画における登場人物たちは,それが屋内であれ屋外であれ,あたかも立ち止まることを禁じられ,彷徨を義務づけられてでもいるかのように,ひたすら移動してまわり,動きつづけるのをやめない.『恋人のいる時間』(64)のマーシャ・メリルは,屋外ではタクシーを何度も乗り継いで移動せねばならず,屋内では寝室と居間とをくり返し出たり入ったりして浮気相手の男と追いかけっこをしなくてはならぬといった有様だった.とりわけ初期の作品では,自動車による登場人物たちの移動や,ホテルや共同住宅の室内を執拗に行き来する登場人物たちの姿が描かれるのはほとんど約束事に等しい.ところで『中国女』と『ウイークエンド』は,それぞれ屋内を中心にした映画と屋外を中心にした映画として役割が分担されている(この2作品に共通しているのは,フェイド・アウトが多用されている点だろう).屋内の映画『中国女』では,以前のような室内間の頻繁な往来は見られず,運動は断続的に示されるのみで,あらゆる空間は「学習」(引用)の場,もしくは「撮影+録音」の場として設計されていた.なかでも注目すべきなのは,登場人物たちがバルコニーへ出て皆で揃って朝の体操を行なう場面である.そこではゴダールの初期作品における屋内描写が総括されていると言ってよい.つまり室内間移動と絶えざるアクションという自作の演出的特徴が,――さらには当時の中国における情勢を含めて二重の(?)――パロディーの対象とされ,――文字どおりの運動場面として――極めて簡潔に描出されているのだ.いっぽう屋外の映画『ウイークエンド』では,どこまでも彷徨を強いられつづける一組のブルジョワ夫婦の災難旅行が描かれ,大量の事故車や死体が転がっている林野に囲まれた郊外の道を二人はうろつきまわり,屋内から排除されたまま自宅へはついに戻れない.「愛」を欠いた『気狂いピエロ』(65)のリメイクと看做せなくもないこの『ウイークエンド』が,自作のパロディー=戯画化という点ではもっとも徹底していると言えよう.

 さきほど『中国女』について触れた箇所で述べたように,60年代末期から70年代前期にかけてのゴダール映画における室内は,「往来」あるいは「運動」の場から「学習」または「撮影+録音」(記録)の場へと移行した.そうした移行を決定づけた『中国女』には,「アデン・アラビア細胞」を名乗る新左翼の学生たちがそれぞれインタヴューを受ける場面がある.ジャン=ピエール・レオーが質問に答える最初のインタヴュー場面では,撮影中のキャメラが画面いっぱいに映し出されるショットとテープ・レコーダーを操作中の録音マンを捉えたショットが挿入され,また,その次につづくシーンはわざわざカット頭のカチンコ入れ込み箇所を残したままで繋げられており,室内は「学習」を行なう学生たちの言動が「撮影+録音」される/された現場として,内容と作品のレヴェルとで二重に示されている.映画製作が物語の主題とされた『軽蔑』の冒頭でも,画面奥から手前へ移動してきたキャメラが,その様子自体を撮影中のキャメラ(観客の視線)とむかいあっていた.『軽蔑』では,「崩壊」した「夢工場」としての撮影所(システム)という空間=物語のなかに組み込まれた「撮影+録音」が,もはや齟齬をきたした「夢」=「シネマ」しか産出し得ぬという映画史的現実が露呈していたわけだが,『中国女』における極端に規模が小さく抽象的な「撮影+録音」の現場は,物語への介入に有効な説話上の手続きはまったくなされず身元不明のままセッティングされ,撮影スタッフたちはほとんど幽霊のように稀薄な存在としてそこにおり,最後にはまるで当初から不在であったかのごとく消失してしまう.つまりゴダールは,「撮影+録音」の現場が,物語の進展に深く関わるような役割を担うことで虚構性にたやすく回収されてしまうのを避けたのだ.『中国女』での二つの異なる位相に配置されたキャメラどうしによる見つめあいは,映画の媒介性を示唆していたと言える.しかしそれだけでは充分でないのは明白だということも,ゴダールは自覚していた.キャメラどうしの視線を一致させることで虚構を機能不全へと追い込み,媒介性の露顕を目論んでみても,それを示す画面自体が表象である以上,虚構性は保持され,媒介性は隠蔽されてしまうほかない.当時のゴダールは一貫してこの点にこそ強く苛立っていたのではないか.例えばジガ・ヴェルトフ集団による『東風』(69)のフィルム傷は,そうした「苛立ち」によってつけられたものだと言える.ならばその「苛立ち」は,『万事快調』とそれ以後のゴダールを,どのような試みへと駆り立てたのか.

 露骨に自己(映画)言及的な仕組みをもつ『万事快調』の屋内空間は,映像とスクリーン(媒介面)との同時的な可視化がプログラミングされた装置として設計されている(くり返しになるが,この点に関しては別のところで論じておいたので詳しい説明は省く).それがもっとも明確に示されているのが,あの食肉工場の内部を曝す,横長で巨大なセットの全貌をおさめた長回し横移動ショットだろう.そこでは,――剥ぎとられた――壁(平面)のむこう側に内在された空間の有様と時間の流れが,微妙な均衡を保ちながら描出されている.言うまでもなく壁とは,真白なだけの平面でありながら,奥行きと運動の持続を有した虚構の時/空間が映写によって一挙に顕在化される――「内在平面」(ドゥルーズ)――スクリーンのことだ.ストライキを行なう労働者たちのスローガンが表示された白い横長の垂幕が,工場セットの前面に貼りつけられているのを見逃してはならない.あの平面こそがスクリーンなのであり,建物内の各部屋の様子は反映された映像(フィルムのコマ)それ自体を示していたのである.ゴダール映画の屋内空間は,『万事快調』において,映画メディアのシステムそのものと化したわけだ.

 すでに述べておいた通り,『勝手に逃げろ/人生』以後のゴダール映画には光の概念が導入された.『万事快調』によってスクリーンと化した屋内空間は,「光」を得たことで「上映」の場として示され,さらには多様なメディア空間として出現する.ここでは窓に注目してみよう.陽が射す窓は二面的な装置であり,それはスクリーンとしての機能と映写機としての機能とを併せもったメディアである.窓を通して室内へ注がれる光を受けた登場人物たちのシルエットを眼にしているわれわれは,本物のスクリーンを眼にしていながら,同時に画面のなかに仮構されたもう一つのスクリーンを裏側から見ているのである.だから,『勝手に逃げろ/人生』以後のゴダール作品における室内場面は,二つのレヴェルで虚構の空間を顕在化させていると言えよう.例えば『新ドイツ零年』(91)には次のような一場面がある.故国への帰還が決まったロシアの一兵士が,女性ヴァイオリニストが数人で演奏の練習を行なっている部屋の外に現われ,窓から室内へ入って彼女に別れを告げる様子を,窓外にいるレミー・コーション役のエディ・コンスタンティーヌがしばらく見つめ,眼をそらす.画面手前に配置されたロシア兵士と女性ヴァイオリニストの姿はシルエットとして示され,その奥には窓があり,コンスタンティーヌの顔が見えている.コンスタンティーヌが眺めていた別れの場面は窓というスクリーンに映写された「映画」であり,それを彼とは正反対の位置から見ているわれわれは,コンスタンティーヌが「映画」を見ている情況そのものを映画として目撃している.

 むろんゴダールは太陽光を絶対視しているわけではない.「光」の生成=再生装置は室内に遍在しているのだから.『JLG JLG』の室内場面を見てみればそれはあきらかだ.そこには,陽射しを受けた窓のほか,電灯,テレビ画面,マッチの火,ヴィデオ・キャメラのファインダー等,いくつもの「光源」が収容されている.しかも,それらのなかにはすでに何ものかの反映として再生された「光」=イメージも多数含まれている.あえて要約すれば,映像,写真,絵画,読みあげられる書物の一節,記された文字,数々の引用,それらの情報が次々に現われては消えてゆき,多種多様な音と光が到るところで断片的に響き輝く『JLG JLG』の室内とは,高密度情報錯綜空間なのだ.ここで再び『中国女』の室内へ足を踏み入れてみよう.

 じつはすでに『中国女』の室内は高密度情報錯綜空間だったと看做し得る.いや,短篇『シャルロットとジュール』(58)や『勝手にしやがれ』における主人公(または作家自身)の度を超した引用癖と饒舌ぶり以来,ゴダール作品は常にそうした空間を内包していたと言うべきだろう.それが『中国女』において具体的に形象化されたわけだ.「ラジオ北京」放送が鳴り渡り,革命思想やテロリズムをめぐる膨大な量の言葉がブレヒトやシェイクスピアの名とともに飛び交い,真赤な書物(『毛沢東語録』?)が山積みにされ,落書きによって壁や扉すらがメディア化する空間として『中国女』の室内は映し出されていたはずである.「学習」空間が,あまりに過剰な引用と言葉の応酬によって高密度情報錯綜空間と化す.しかし『中国女』に光はあっても光の概念はない.言わば「撮る/撮られる」という関係性について考察されていた60年代末期から70年代前期を経て,「撮る/撮られる」という関係そのものを可能にする「媒介性」の顕示を主題とした『万事快調』においてスクリーン機能の検証が行なわれて以後,映写システムの問題系が導入された.それゆえ『JLG JLG』の室内場面は光と闇とのコントラストが強調されている.ただし,そこではスクリーンが特権化されているわけでもない.いかなる「光」の生成=再生装置であれ,またいかなるメディアであれ,その空間では同等なものとして,画面内にひっそりと配置されている.ゴダール自身の姿でさえ例外ではない.とはいえ,連続するフィルムのなかでは,それら同等なものどうしが敏速で緊密な連繋を生き,まるで時間的かつ空間的に抽象化された譬え難い異次元的な広がりが出現しているかのようだ.そこでは初期作品における躍動的な運動の持続が,光や影や物や人や音など無数の要素の結びつきにより,他なるものとして回帰している.だとすれば,様々なメディアが氾濫する高密度情報錯綜空間としてのゴダールの「部屋」は,「情報」が乱舞するアクションのステージだと言ってもよい.そのステージで生成されたのは,アクションの「魂」ではなかろうか.

(あべ かずしげ・作家)

[『万事快調』は東京の後,福岡,京都,大阪,名古屋,札幌で公開される予定]
[『中国女』(発売・販売元=カルチュア・パブリッシャーズ),
『万事快調』(提供=広瀬プロダクション),
『新ドイツ零年』(提供=広瀬プロダクション,発売・販売=アップリンク)]

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