ICC Review

ICC Review

芸術の先見性をもった研究成果
Research with the Promise of Art

浜野保樹
HAMANO Yasuki

石井裕+タンジブル・メディア・グループ/
マサチューセッツ工科大学メディア・ラボ
オープン・スタジオ「タンジブル・ビット」

2000年6月23日−7月19日
NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]



メディア・テクノロジーの分野で日本人によるおもしろい研究を探すと,カーネギー・メロン大学の金出武雄教授や,カリフォルニア工科大学の下條信輔教授など,アメリカに去った研究者に出くわすことが多い.彼らの存在自体が,自由な研究環境を阻むものが日本にあるということを示す生きた証明であるだけに,MITメディアラボ準教授である石井裕の今回の展示に,苦い想いが混じるのはいたしかたのないことだった

展覧会にあわせて編まれたカタログに収められているインタヴューにも表われているように,石井は人一倍負けん気が強い.この展覧会は,その彼をアメリカに追いやった結果についての彼なりの総括であり,凱旋報告である.それは二つの意味で凱旋であった.一つは,彼が以前勤めていたNTTが所有する会場での展示であったということ,もう一つは,学術的な発表の場ではなく,より広がりをもつ,メディア・アートの展示スペースでの「個展」であったという点だ.工学系などという言葉を使う自分がいやになるが,工学系の研究者がこのような個展を行なうことは希有である

展覧会のタイトルとして使われている「タンジブル・ビット」について,「デジタル情報に物理的実体を与え」て,「人間の手による情報の直接操作,意識の周辺における情報的認知」を可能にすることと石井は明快に説明している.ネーミングの名人,MITメディア・ラボ所長ニコラス・ネグロポンテによると,「アトムを着るビット」ということになる.物理的実在性をもたないビットに,実体をもたせるということだ.

「タンジブル・ビット」については,彼の研究室を訪れるとまず目を引く《かざぐるま》に最もよく表わされている.ネットワークの情報のトラフィックを風のメタファーとして,かざぐるまを利用している.つまり,ビットの情報の流れを,かざぐるまを回すことで示す.この作品は石井の作品の秀逸さと弱点の両方をあわせもつ.

石井の「作品」と言ってしまったが,研究者からすれば「開発用プロトタイプ」でしかない.しかし昔からそうだったが,石井が開発するものは「開発用プロトタイプ」というのがふさわしくない感じがあった.先端的な開発には,むき出しの基板や,複雑な機構や操作スイッチがあったりするのだが,石井が開発するものは,そういったものがまったく視界の中に入ってこない.

目の前に示されるのは,かざぐるまであり,瓶であり,木の棒であり,巻き尺であり,卓球台である.かつて石井の名前を知らしめた《クリアボード》も展示されているが,それは遠隔地の人が協調作業をするシステムで,一対の大型ディスプレーがケーブルで繋がれている.会場では,それでさえも違和感を感じるほど,石井は見慣れた独立したモノに固執する.それは過激でさえある.

機能を増やすことに汲々としている技術者が多いなかで,石井は,見事なまでに機能をそぎ落とす.そして一言で言い表わすことができるような明快さをもっている.メディア・テクノロジーの研究者として,石井が異彩をはなっていたのはその点だった.

ICCの展示に至ったのは,メディア・テクノロジーとしての機能の先端性だけではなく,民具に似た簡素な美しさと楽しさを兼ね備えていたからであろう.それに「手仕事の日本」の伝統をみてとる人も少なくないだろうが,「タンジブル・ビット」という概念そのものがきわめて日本的でもある.見えないものは評価せず,目で見える形にしないと評価しないのが,日本の伝統である.

実体をもたないビットの気味の悪さをうち消した美しい作品群は,皮肉なことに別の不安感を呼び起こす.芸術作品ならば覚えないものだろうが,研究者の作品ゆえに単純さを装った複雑さが気にかかる.シンプルに見せるためのバックヤードのすごさが透けて見えてしまう.展覧会場でいくつかの作品についていた「調整中」という札に,テクノロジーの複雑さが示されていた.そういった反応が起こることは,インターフェイスの研究を長年続けてきた石井ならば百も承知のことだ.最近メディア・ラボが提起している「Things That Think(TTT )」が,モノをインテリジェンスにすることによって,まるで魔法を追求するかのような提案を行なっているため気になっていたが,「タンジブル・ビット」がまったく異なる概念であることは作品で確認できた.

芸術の先見性と科学技術の先見性を比較したら,どちらに軍配が上がるだろうか.視線を遠くに移せば,明らかに芸術だろう.現状の制限にとらわれないからだ.ならば,「未来を発明する」と公言したメディア・ラボには,芸術の先見性をもった研究者こそが望ましいが,石井がメディア・ラボの理想の研究者であることは,この展覧会の存在そのものが示している.


はまの・やすき――1954年生まれ.東京大学大学院助教授.メディア論.著書=『メディアの世紀』(岩波書店),訳書=C・バーナット『サイバービジネス』(NTT出版)など.


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