Feature: 500 Books for  the 21th Century


21世紀に伝えたい本
Books for the 21st Century

対談:坂本龍一+後籐繋雄
dialogue : Ryuichi SAKAMOTO + GOTO Shigeo



後藤――坂本さんは10年ぐらい前に,「本は思考のためのいい道具であればいいんだ」っていう文章を書かれたことがありました.その一方で,「本本堂」という名前で,自分で出版社を始めるようなこともやられましたね.坂本さんはオブジェとしての本の可能性のようなことを考えていらっしゃったんだと思うんです.読書っていうと,すぐ内容的な話になってしまうんですが,僕も坂本さんも,どちらかと言えば,ある種のインターフェイスというか,「装置」としての本のことを考えているタイプだと思うんです.すごく読書が好きだったり,美しい本が好きだったりするくせに,本をたくさん持つのは嫌だったりして,知識のストックが多くないと不安とかっていうタイプじゃ全然ない.だから今日はちょっと変わった本の話になるかもしれませんが(笑).

坂本――何からいきますか.

後藤――まず,「本の記憶」からやりましょうよ.坂本さんの子どもの頃の写真を見ると,お父さんが河出書房の『文藝』の編集長だったこともあって,家中,本だらけだったんでしょう?

坂本――とにかく物心ついたときには,家中に本があって,もう通り道がないぐらいだった.壁も本棚でいっぱいで.だから本の匂いとか,作家の名前や本のタイトルの書体とかブックデザインといった,物としての本の記憶が,まずありました.

後藤――編集とか,どうやって本をお父さんがつくってるのかっていうのは,あまりわからなかったですか?

坂本――うん,小さい頃は「仕事」って言うけど何やってるんだろうって思ってた.全然わからなかった.内容は読んでなかったけど,見た目で気になる本っていうのは子どものときからあって,例えば,瀬戸内晴美の『美は乱調にあり』[I]とか.子供の頃だったんだけど,「美」が「乱れる」ところにあるというのはどういうことだろうって,すごく気になってた.また,父が電話で「ハニヤさん,ハニヤさん」とよく言ってるのは聞いてたんだけど,ある日,本棚を見たら,「埴谷雄高」っていう難しい漢字が並んでて,「ああ,この人なんだ」と,音と漢字が結びついた日があったり…….


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