戦争のエポック/芸術のメルクマール

1903 年にフォード社(米)が設立されたが,H ・フォードは1907 年に株式の支配権を確立し,翌年にT 型フォードを発表.初期は静止式組立法をとったが,1913 年にはライン生産方式に切り替え,27 年に製造中止するまでに1500 万台のT 型フォードを生産した.この,機能性が高く良いものを低価格で大量に供給すれば人々の豊かな生活が確保される,というイデオロギーは少なく見積もって1970 年代までの世界を覆ったものである.フォーディズムこそが20 世紀を支配した「平準化」という資本主義的民主主義の核であり,平準化ゆえの労務管理法も含めたドラスティックなアメリカ型産業主義のありかたが広まっていった.

フォーディズムが立ち上がった1907 年に,立体派の起点となったP ・ピカソの《アヴィニョンの娘たち》が発表され,またドイツ工作連盟(DWB )が結成されたのも同年であった.DWB も製品の「平準化」=「規格化」を目的としたが,立ち遅れたドイツの産業経済を背景に成立したものであり貿易振興を旨としていた.
この1900 年から10 年頃にかけては,画家H ・マティスらがフォーヴィスムを開始し,キルヒナーたちの橋派ブリユツケやクビーンらの青騎士ブラウエ・ライターグループの表現主義が登場し,後者グループのカンディンスキーは1910 年に初めて水彩による抽象画を描きはじめた.

1909 年にはF ・T ・マリネッティが未来派の宣言を発表している.この時代のヨーロッパ芸術運動の密度の高い集約化されたありようは,後の日本での新興芸術(前衛美術)の受容が,「印象派・立体派・フォーヴィスム・表現主義・未来派・抽象画」の諸傾向を混在したまま,曖昧かつ一緒くたに受け取る原因ともなった.


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