肉体の奪還


 大阪のインターメディウム研究所・IMI「大学院」講座からの《[Fra・gile]−発話の連続体−》のユニークさに,ニュー・メディアが仕掛けた祝祭空間を思うのは私の穿ちすぎだろうか.タワーを登る仕掛け,作品映像のランダムな抽出,テレビ電話などのミックスしたおもしろさは,そのまま私の大好きな大阪・道頓堀の喧燥を思わせる.そしてそのいかにも電脳時代の神輿のような姿形に,私は椿昇の土俗的でアニミスティックな彫刻作品をダブらせてもいた.従来のメディア・アートに最も欠けていると思っていたこうした「祝祭性」「呪術性」への新たな示唆を発見できたことは収穫だった.

 フランスのル・フレノア国立現代芸術スタジオから出品されたトニー・ブラウン《ベター・リヴィング・スルー・リモート・アクセス》は,まさにメディア・アートによる,メディア・イメージからの肉体の奪還を連想させる.匿名性の彼方に隠れようとしているエロティックなウェブ・サイトのユーザーを追跡して暴露していくというものだ.覗き穴に二つのレールに乗ったボールが叩きつけられるのは,いかにも直截なパロディの仕掛けで笑ってしまったが,なかなかに良くできた作品と見た.

 バウハウスというのは第一次大戦後のドイツの社会的な要求から生まれたわけだが,いまから思い返すとテクノロジーに対する夢を過剰にイメージとして喧伝する側面もあったことは否めない.とりわけデッサウに校舎が移転してからのバウハウスは,見る者の眼に焼き付いて離れない,シャープでパッキリした切れ味の鋭い造形感覚を「フォトジェニック」に演出した.写真の使われ方やグラフィックなどの視覚メディアへの訴えかけ方ばかりではもちろんない.展覧会や各種の行事を宣伝媒体としてじゅうぶん意識して,「バウハウス・イメージ」の伝播のために戦略的に利用していた.誰でもすぐに思い出す,バウハウスのイコンと言ってもいいいくつかのプロダクト・デザインがある.それらはそれが日常生活で使用される局面よりはるかに,いながらにして「それそのものが視覚的な広告塔」として機能していたと言ってもいいものである.当たり前のことなのかもしれない.「モノ」が直接のメディア・イメージたりえた時代だったからだろうか.しかしそれでもなお,それらの「モノ」に時代精神の宿るありよう,一つ一つの「モノ」に「魂の踊る」ありようが,私には感じられるのである.そうでなくては「モノ」にイメージさえとうてい宿らない.そういう時代だったのである.

 最近,自然とか肉体とかといったことばかり考えている.柄にもなく,小さな本をなんとか書き終えたいと四苦八苦しているからかもしれない.建築やデザインについてのエッセイ集になると思うのだが,そのテーマは「モダニズムと自然」である.正直に告白すると私は田舎者でありながら,それゆえにか,結局西洋の「モダニズム」とやらに長く憧れてきたらしい.そんなちっぽけな自分史をここらで何かのかたちで整理したいと思ったとき,何でだか知らないが「自然」という言葉が浮かび上がってきたのだ.モダニズムの性癖を肉体とか自然とかの野性を抑圧するものではなくむしろ愛着とか羨望として見てみたい,といういつものへそ曲がりと言ったらいいか.

 その究極の理由は,私自身が自然が嫌いだからかもしれない.もともと私は生活体系においても性癖においても,いわゆる自然派ではない.山歩きもガーデニングもしない.しかし自然を見ることは好きだ.触らずに見るのである.最も人工的な付き合い方だ.私は果たして世界と生で対峙することには耐えられない,貧しい性格なのかもしれない.

 私は生身の体でありながら,すでに自らの肉体に屈折したヴァーチュアルな仕掛けが組み込まれたロボットのように自分を感じることがある.自然嫌いの私が果たしてデジタルな世界をどのように「体感」するかは,私にとってスリリングな問題をはらんでいるのである.自然嫌いだからデジタル好き,ヴァーチュアル好きだろうという具合には簡単にいかない.なぜならそれは,ヴァーチュアルの入れ子状態になるからなのだ.

 ニュー・メディア的環境は当たり前のものとなっている.私の参加しているミュージアム・スタディとアート・マネージメントを軸とした芸術政策の新学科でもコンピュータの活躍は大きい.サイバー・ミュージアムの授業もあるし,来年からは交流のあるカナダの大学のミュージアム・スタディのクラスと,ウェブ・サイトを使った共同学習や交換授業なども準備されている.

 私はニュー・メディアの有効性を信じてそれに頼ってもいるが,ニュー・メディアを駆使したアートの可能性に極端な,過剰な期待をかけてはいない.かけているのはほんのささやかな希望である.無責任なようだが,それはただ私の肉体の奪還と,呪術的な原始性を回復することである.


にいみ・りゅう
1958年広島県生まれ.
慶応義塾大学文学部フランス文学科卒業.
西武美術館およびセゾン美術館在籍中に「バウハウス1919−1933」「イサム・ノグチと北大路魯山人」「ル・コルビュジエ」「デ・ステイル1917−1932」「柳宗理のデザイン」などの展覧会をキュレイトする.
現在は武蔵野美術大学芸術文化学科教授.

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