ジョージ・ソロス / 投資と慈善が世界を開く

03-b.経済学批判

 社会における「再帰性」の性質は,既存の金融理論や,その基礎にある均衡分析によっては解明されてこなかった.市場の調整過程は,理論的には均衡に収束するはずなのに,想定される均衡状態に戻ることはない.われわれはこの事実を「再帰性」の観点から理解したいのであるが,そのためにまず,従来の経済理論がもつ難点を理解しておこう.

 均衡分析(完全競争理論)を支えている主要な前提は,およそ四つある.すなわち,(1)完全な知識,(2)同質で分割可能な製品,(3)いずれの個人も市場価格に影響を与えることができないほど大勢の市場参加者,(4)与えられた需要と供給の関数,である.これらの四つの前提は,実際にはどれも架空の想定であるが,ソロスはとりわけ(3)を問題にする.経済学者は通常,需要の分析を心理学者の研究課題であるとみなし,供給の分析を経営学者の専門分野であるとみなして,どちらも経済学の範囲から除外してきた.経済学の課題は,需要と供給の「関係」を解明することであり,需要や供給そのものを研究することではない.しかしソロスによれば,需要曲線と供給曲線は,将来の価格に関する参加者の見通しを含んでいる以上,実際には,参加者の予測と相互に影響を及ぼしあっている.とりわけ外為市場や大規模な資本移動の世界では,経済学が考える通常の因果性は,逆になる.すなわち,市場の動向こそが,需要と供給の変化を決定づけるのである.従来の均衡分析では,こうした金融市場のプロセスを理解することができない.

 他方,金融市場に関して,市場参加者たちが用いてきた従来の理論には,テクニカル分析と,ファンダメンタル分析の二つがある.テクニカル分析とは,株価指数,株価移動平均線,出来高,ケイ線などを分析することによって,株価の動きを類推する方法である.この手法は,確率予測という点ではメリットがあるものの,実際の事象を予測するという点ではそれほど有効ではない.またこの分析は,株価は需給によって決まるという前提と,将来を予測するには過去の経験が重要だという前提しかもたないので,あまり洗練されたものとは言えない.もう一つのファンダメンタル分析は,企業の資産,利益,配当,成長性,経営者能力などの基礎的事実によって,株の価値が決まると仮定する.この分析は,長期的な投資判断に際してはメリットがあるが,しかし株式市場の動向が企業の将来に与える影響を無視しており,一方向的な因果関係しか扱っていない.これに対してソロスは,株式市場の動向と企業の将来との「再帰的関係」を長期的観点から捉えるために,「ブーム=バースト理論」というものを洗練させていく.次に,この理論をみてみよう.

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