日本のリアル

ソフトの育成と運用を伝える

村上──香山さんは芸術に興味ありますか? 僕は極端にないんですよ.

香山──では,なぜ芸術大学に入ったんですか?(苦笑)

村上──頭が悪いから,手に職をつけてご飯を食べようと思ったからです.最近,芸術系の学校が増えていますね.あれはどう考えても,みんながボンクラになったから,行き場がなくてそうなっているとしか考えられないですよ.

香山──私の教えている神戸芸術工科大学の学生などには極端に違う二つの傾向が認められます.一つは,自分が何をしていいのかわからないから在学中に何かを探したいという人.学ぶという以前の段階ですが,それはどの大学でも言われることですよね.そういう何をしていいかわからない人のために,私みたいな何のスキルもない人間が招かれたんだと思います.「何もしないでモラトリアムを楽しみたい」というくらい腹の据わっている学生はいいけれど,それもできなくて,「何かやりたいけどわからない」とか,「大学にいるあいだに自分の道を決めてもらいたい」という子もいる.もう一方で,大学をカルチャー・スクールのように思っていて,「モバイル・パソコンの使い方くらい覚えたい」とか「英検2級を取りたい」とか…….別に大学で学ばなくてもいいようなことを,とにかく一つ身につけたいという現実的な子もいる.

村上──カルチャー・スクールのようですね.でもいま,カルチャー・スクールの生徒のほうがアートの公募展に数多く入選しているんです.大学生は目的意識もなくぼんやりしていますから.まあ,公募展をアートと呼ぶかどうかは別にしてですけど.

香山──私は病院勤めが長かったのですが,病院はやることが決まっているでしょう.仕事に対して代価が払われるわけじゃないですか.そういう商いの世界にいたから,大学で「何に対して私は給料をもらっているのか」なんてすぐ考えてしまって,こちらがアイデンティティ・クライシスに陥りそうになります(笑).医学部なんて体育会みたいで才能やオリジナリティなんてほとんど要求されない世界ですから,システマティックな世界で嫌だったけれど,いま考えると非常に楽なものです.でも,アートって大変だなと思いますね.

村上──茫漠とした日本であえてアートの必然性を唱えるならば,将来世界のなかでサヴァイヴしていくソフト・ビジネスをいかに練り込んでいくかというアイディア作りだと思うんですよ.イギリスでは「ロックは一大産業だ」と首相が発言するというように,わかりやすい意味でソフトウェアを作ることがビジネスだと認識されている.それをわかった時点で,日本でのアートの位置づけがもっと明快になるんじゃないかと思います.例えばアメリカのロック・シーンだったら,10年や20年サヴァイヴしていくためのシステムがしっかりあると思うんです.全国ツアーして,レコードは1年半で1枚しか出さなくても充分やっていける.もちろん日本にもあるだろうけど,サヴァイヴァルのスパンが日本の音楽産業ではまだまだ短いと思います.ファイン・アートのクリエーションは常にパラダイム・シフトをしつづけなければならない宿命にありますが,いかに時代を見て,時代にピンポイントで攻めていくためのシフティングをするか,そのためのアイディア作りが重要だと思うんです.そのアイディア作りを養成するところが芸術大学であるべきではないでしょうか.多分香山さんはアイディア作りの部分で芸術大学に雇われているのだろうと思うけれど…….

 さきほど「芸術大学の学生はバカだ」と言ったけれど,彼らはモノ作りに関して,自分のエゴを達成させるための道具としてしか考えてないと思うんです.そして先生も世間もそう考えている.そうではなくて,スーパーソフトの制作現場がファイン・アートでありアーティストであって,その養成はロングスパンで見たときに大きなビジネスにつながっていくということを理解すべきなのです.
日本人が一番わかりそうなものなのに,まだわかっていないというのはとても残念ですね.将来,それこそジャパニメーションがもっと世界的にリスペクトされれば,ハリウッドのようなでかい金を世界中からかき集めることができるのに,そういうことをやらないのはとても資産の飼い殺しだと思うのです.うち(HIROPON FACTORY)に集まってくる若い衆は,プロデューサー出現願望みたいな子たちが多いんです.僕がプロデューサーの役を演じて,そうした連中を駒として動かしていったときに,本当にビジネスになったり社会のエフェクトになったりする可能性がインディーズなレヴェルながらあるということを実証しつづけることで,先に挙げたソフトの育成と運用をみんなに伝えたいと思いますね.その意味でも芸術の行き着く先は誰にも見えないわけで,その見えない闇にある一定方向を指し示せば,ある限界までは行けるだろうから.でも,今後の限界は,限界が来たこと自体が限界であって,その限界をサヴァイヴさせるということが,多分芸術大学などで教えなければならないことじゃないかと思います.要するに,ソフトウェアの寿命とか,ソフトウェアの発生原理とか,時代とソフトウェアのリアリティの接合部とか,そういうことがもう少し論理的に語られれてもいいのにと感じています.

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