日本のリアル

デッサン力至上主義を解体しないと……

村上──話はいきなりプロレスに変わりますが,ジャイアント馬場やアントニオ猪木,力道山の名前は日本人なら誰でも知っているし,リスペクトされていますね.でもアメリカだと,アートを嗜好するような人たちにプロレスの話とかをすると,全然だめなんですよ.
「それはなぜか」とプロレスのマニアに聞いたら,「アメリカのプロレスは被差別者のエンターテインメントだからじゃないですか」と言われました.では「日本ではなぜプロレスがリスペクトされるのか」と聞いたら,彼は「それは武道に通ずるからでしょう」と言うんです.
僕はその説明にすごく納得してしまった.武道なんていうわけのわからない論理は日本にはまだあるし,逆に言えば,アメリカではそういったあいまいな論理はなくてしっかりと階層が分かれている.だから,アメリカの社会で成功を収めるには,短いスパンでの時間軸や設定,階級構造をしっかり作って,そのなかでの自分のキャラクター設定をすることが必要なんだなと知りました.

香山──戦略的にしなければいけないんですね.

村上──もちろん,僕が日本人として感じたことですが…….

香山──でも,日本では逆に,プロレスは自分の肩書きや地位とは関係なく楽しめるから面白いと思うでしょう.それと同じように,村上さんの作品も,日本だったら,そういう時間軸など関係なく面白がられるのでしょうか.

村上──そう言われてみれば,でも一方でオタクは被差別階級ですよね.いまだにネガティヴなイメージを突きつけられますし.

香山──日本でも,ということですか.

村上──いや,日本では,です.海外では逆にそれはありません.トランスファーに《攻殻機動隊》界隈で一度成功し,階層を上に設定できたので,キャラクター設定がかっちりとあるんです.でも日本ではそのキャラクター設定が常に曖昧じゃないですか.オタクというのはある種被差別階級のレッテルを貼られているから,その意味では逆にリスペクトは低いですね.いくら海外ですごいレヴューが出たりしても,絶対に国内でリスペクトが上がらない.

香山──では日本で,曖昧ななかでもリスペクトされるというのは何を言うのでしょう.

村上──非日常のイラストレーション化に成功した人でしょうね.日常のリアリティを突きつけるようなものは,やはり日本ではアートではないのでしょう.エンターテインメントとしてのアートの役割が,アメリカとは全然違うと思いました.

香山──アメリカでは,成功するのは大変だけど,一度やってしまえばあとは安泰ということですか?

村上──設定が曖昧茫漠としているという状況が,日本のリアルだったりもします.その曖昧茫漠としているところを突き詰めると,パースが極端に少ない世界だと言えると思います.でも一方で,日本のアート教育は本当にスキル至上主義で,「アート=デッサン力」だったりする.明治維新からの呪縛としてのアカデミズムをいまだに引きずっているわけです.
一定以上のスキルが必要でそれを獲得すれば次に行っていいという説明なんですね.藤田嗣治とかが教科書に出やすいのは,やっぱりデッサン力があったからです.日比野克彦さんや横尾忠則さんにしてもデッサン力の裏付けがあったんで同業者は納得してたんだと思います.しかし芸術は,デッサン力とはまったく無関係のところから起こるということを,日本の芸術教育の分野では誰も何も言ってない.
いま芸大が先端芸術表現学科みたいなものを作って,受験のスタイルを含め美術教育の構造から変えようとしてますが,このデッサン力至上主義を解体してゆくのはメチャクチャタフな仕事だと思いますね.

前のページへleft right次のページへ