「情報」を柱にした大学改革

日本の地位の低下に抗して

歌田――学問研究がタコツボ化してきていると言われていますが,どんどん狭い領域で専門化していく傾向のなかで,学際的な学科をつくるのは難しい面もあるんじゃないでしょうか.

奥島――そうですね.それはいままでのやり方でやったらうまくいかないでしょう.というのは,いままでだったら学部の上に大学院があって,学部の教員がすでに存在していますから,なかなか再編成ができない.

 ところが,いまは独立大学院という,学部に基礎を置かない大学院をつくるわけですから,学内のあらゆる人的資源を再編成していくことが可能なのです.例えば環境問題だったら,テクノロジーの面は理工学部に,社会科学の面は政経学部,社会科学部,教育学部に,法律は法学部に先生方がいる.各学部に関連する研究者が散らばっているわけですよね.だから,学部横断的に研究所をつくって,その上に大学院を立てるというかたちで統合していく方法が,一番無理なく統合性の高い大学院をつくれるんじゃないかと思います.

 もう少し申し上げますと,そういうことを私たちが展開できる条件というのがようやくできたんですよ.埼玉県の本庄に,26万坪の土地を所有しているんですが,ここに,新幹線の駅を誘致する計画を地元と協力して進めてきました.実現すれば,東京から30分でアクセスが可能になりますので地理的なハンディがなくなり飛躍的に利便性が向上します.私は総長に就任した5年前からこれに取り組んでいたんですけれど,2004年に計画が実現することになりました.

 この2004年には,国際情報通信研究科の大部分を本庄に移す予定です.ここでは,情報以外にも環境やバイオなど,産官学が協力した,いわばアジア太平洋地域における研究開発拠点をつくりたいという大きな構想があります.

歌田――グローバルな大学にすると同時に,先端技術の基地にすることを目的にしていると考えていいでしょうか.

奥島――おっしゃるとおりです.私たちは大学の戦略として,アジア太平洋地域における研究教育の拠点校の一つになりたいと考えております.

 この地域は猛烈に通信革命が進んでいます.なぜそういうことになったのかというと,やはり一つはパソコンと,もう一つは携帯電話が発達したことでしょうね.電話線を引かなくてもよくなったわけですから,遅れていたアジアが一気に立ち上がるきっかけをつかんだ.

 そういうアジア太平洋地域において,私たちが一番懸念しているのは,日本がどんどん取り残されてきていることです.アメリカからはバッシングされ,ヨーロッパからはブロックされる.アジアでも,かつて早稲田大学に留学した学生たちの子弟が,アメリカやヨーロッパへ行くというように.こんなことでは日本の将来はないと思うわけです.

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