ICC Report

Wodiczko

クシュシトフ・ウディチコ講演会
「自作を語る」

1999年7月27日
ギャラリーD



クシュシトフ・ウディチコは,「第4回ヒロシマ賞受賞記念展」を広島市現代美術館で立ち上げたその2日後,ICCを訪れた.

講演会の主題は,彼がポーランドを離れた後,1980年代以降のプロジェクトであった.ウディチコは,民主主義の哲学的本質をもつ物理的な場,あるいは舞台としてとらえたパブリック・スペースの定義から始めた.そこは,公共の場,開かれた広場として,誰の占有物でもなく,お互いの存在と政治的な権利を認め合う場である.しかし,そのような公共の場は,「存在していながらも存在していない」のである.彼はW・ベンヤミンを引きながら,都市が,勝利者の歴史をもつ記念碑的な場所であると言う.勝者は,自分自身の歴史を称え,敗者,弱者,社会の周縁にいる者を忘却させる.人々は勝者の塔(記念碑)をもつパブリック・スペースに集まるが,そこでは,誰もが言いたいことを言い,話したいことを話す権利をすでに奪われているのである.

ウディチコは問いかける.「パブリック・スペースにおいて,アーティストはどのように機能するのか.街の中のアートとは,反(カウンター)アートなのか,民主主義的プロセスを助けようとするアートなのか.」

ウディチコのパブリック・スペースにおけるアート・プロジェクトが目指している方向性は,大きく分けて二つある.一方は,このような勝者の歴史をもつ都市の記念碑性の解体を目指す「パブリック・プロジェクション」であり,他方は,記念碑的な都市,勝利者たちの都市における敗者,異邦人,周縁の人々が,「語る」ことを可能にする「道具」を提供する「インタロガティヴ・デザイン(問いかけるデザイン)」である.

前者の記念碑や建物へのプロジェクション(投影)は,国境を越え,多くの国々で行なわれ,都市権力の批判として辛辣かつ多義的な意味をもっている.また,後者の「ホームレス・ヴィークル」「ポリスカー」「エイリアン・スタッフ」「ポルト・パロール」などのプロジェクトは,都市の周縁の人々や移民のために考案されたコミュニケーション・メディアである.この種のメディアによって,「都市の傷口」を目撃する彼らの視線が明らかにされ,そのメディアとの対話を通じて彼ら自身の存在は変化する.このとき新しいコミュニケーション形式をもつ都市のヴィジョンが生み出されるのだ.

講演の最後に,8月7,8日に予定された広島原爆ドーム対岸へのパブリック・プロジェクションのプランが紹介された.護岸には「組んだ手」が投影され,川に設置されたラウド・スピーカーを通して,日本人の被爆者,在日朝鮮人の被爆者,被爆した親や祖父母をもつ人々の語りが流れ,彼らの体験が原爆ドームと重ねられる.ウディチコは,決して広島に恣意的に働きかけているのではなく,その場から学ぶことによって,新しい可能性が開かれることを望んでいる.また,「原爆資料館よりも,むしろこのプロジェクトにショックを受けた」という感想に対して,ウディチコは,資料館を否定するわけではない,と断わりながら,戦争の恐ろしさを伝えるには,戦争を体験していない人々にとって資料館や博物館では限界があり,アーティストを含めた多様な人々が戦争の恐ろしさを語っていかねばならず,広島は現在と過去が結びつく共通の遺産である,と答えた.

[上神田敬]

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