新たな文化・社会の情報基盤としての次世代インターネット

知的所有権とフェア・ユース

 

青山――先生が指摘されたようにこれからますますコンテントが重要になってくるわけですが,そうすると,どうしても知的財産権の問題が浮かび上がってきますね.現在「ディジタル・アレキサンドリア」という活動を理工系の研究者と文系の先生方が一緒になって進めています.これは絵画・彫刻や古い書籍,古代の遺跡など後世に残すべき人類の遺産を超高精細なデジタル画像として収集し,それを研究や教育に活用するための母体を作ろうとするものです.そこではそれら所有者の権利を認めつつも,人類の遺産のデジタル・コンテントを「公共財」として効率的かつ短時間で収集し,それらをリーズナブルなコストで利用できる仕組みを作ろうと考えています.

武邑――私も京都でデジタル・アーカイヴスの一貫として「デジタル・ジャパネスク」と呼んだ伝統文化資源のデジタル化作業を4年ほど展開しましたが,過剰なまでに日本は現物主義の神話が障壁となっています.私は,同じデジタルのイメージでも,誰もが共有できるような,例えば普通のパソコン・ベースで閲覧できるような解像度(1−2メガ程度)に関してはこれは完全にフリーにすべきだと思います.そして,商用利用ができるような高解像度なものについては,資産運用のフレームを設定すべきだと思います.

 欧米でも当然,知的所有権は保護されなければいけないという前提があります.しかしそのうえで,美術館や大学などが所有するコンテントを,なるべく公的に,パブリック・ドメインとしてフェア・ユースすべきであるとの意見が強いのも事実です.米国では,民間のテレビ局が放送した番組でも,公共的な欲求やコンセンサスを得るものがあれば,公衆に提供しなければならないわけで,例えば,大統領の演説の映像も勝手にコラージュできます.
米国の著作権法には「フェア・ユース(公正利用)」という概念があり,利用の目的や性格によっては著作権の侵害にならないと規定しています.日本の映像アーティストの立場にたてば,米国のように一定規模の映像資産を自由に使えないというのは,大変なマイナスだと思います.日本の現状は,デジタル・イメージが「お宝」となりすぎていて,コンテント流通や著作権市場というビジネス・モデルに全部回収されてしまっています.本来そうした文化アセットの基盤整備や,公共財の波及効果がどれだけの循環誘発経済を生み出すかを見落としていると思います.

青山――ヨーロッパでは美術品は王様や貴族が集めたわけですね.その後革命が起きると王様のものは皆のものだということになって,国家が管理するようになっていきました.そのためルーヴルなどのように国立美術館が多いですよね.一方,アメリカでは大富豪が集めて寄付する形式の美術館が多く,国はあまり出てこない.「ディジタル・アレキサンドリア」の活動で世界の美術館を回りましたが,地域によって作品のデジタル化に対する考え方や対応はかなり違いますね.しかしどの美術館もデジタル・コンテントの著作権問題に対する解はまだもっていないと感じました.次世代インターネットのなかではこの知的財産問題を社会学系の方々と一緒に何らかの解を見出していきたいと思います.

武邑――そうですね.ビル・ゲイツもレオナルドの「コデックス」をクリスティーズから買って,それを4000−5000円ぐらいのCD-ROMにマルチメディア化して,結局は世界に分配したわけですね.ただ,彼がヨーロッパに動き,フランスの文化イメージの「権利」取得を目的に,ミッテランに20億ドルを申し出たとき,彼は単純な経営企画を提示したのではなく,実際ヨーロッパの文化的な体制全体に挑戦したことになったわけです.民法慣例として人格権に隣接する著作権という概念をもつヨーロッパと,アメリカのように,著作権システムをもつ国とではかなり異なっています.
ヨーロッパの場合は,EU全体の文化・経済のフレームのコンセンサスとして,「インフォ2000」と同じように「カルチャー2000」という計画が立ち上がっていて,21世紀のデジタル視聴覚資産をどのように捉えていこうかということを議論しています.ヨーロッパの場合,文化というものが政治や政策の中心に位置している点は,圧倒的だと思うんです.日本の今後について考えますと,ヨーロッパ型の文化経済基盤へとシフトしていくことがある意味でスムーズなのかもしれませんが,他方で,アメリカの巨大な文化覇権主義の従僕になっているのも事実です.一方,サブカルチャーでは,日本は圧倒的に影響力のあるコンテント生産国ですし,また,アジア型の伝統文化資源の保有国でもある.この二つの,かなり大きな文化資産を所有しているという意味では,日本はきわめて特異な文化国家だろうと思います.

青山――インターネットはアメリカ発のテクノロジーですが,日米のインターネットの普及率になぜこんなに差があるのかよく議論になりますね.定額制料金の問題やキーボードに対する慣れなどいろいろな要因があるでしょうが,一番大きな差はアメリカ人は良いところに注目し,日本人は悪いところに目がいく,というところにあるのではないかと思うのです.彼らは不完全でも何か良いところがあるとそこに注目して使ってみるという姿勢が強いですね.
日本人はある種の完璧主義で欠陥が少しでもあるとなかなか使わない.日本の家電製品や自動車の品質が世界一なのはそのせいではないでしょうか.初期のインターネットは大変使いにくい代物でした.それでもアメリカ人はどんどん使っていき,また,その過程で皆でよってたかって改良してきました.この辺は日本人が見習うべきところでしょう.

 また,もう一つは日本人の縦割り意識です.インターネット2の会議に出席したことがありますが,私は当然ネットワークの研究者が集まって次世代インターネットのプロトコルの議論などをやっているのだろうと思っていましたら,違うのです.工学系の教授や企業の研究者に混じって,文科系の先生方が大勢いて,自分の学問や教育にこんなものが欲しい,こういう機能をもったものはないか,など自分たちの要求を工学系の研究者にどんどんぶつけているのです.日本の次世代インターネットの研究会はほとんど工学系の先生方と企業の研究者が議論するだけで,米国のようにユーザーである文科系の人々と一体となって議論することはほとんどないですね.次世代インターネットが今後の社会や生活に大きなインパクトを与えるものならば,理系と文系の連携をもっと強くする必要を感じます.

武邑――日本では,これまで文化と工学が一緒に語られるということは,多分なかったと思うんですね.ところが文化工学とか,あるいは芸術工学とか,そのような考え方や,あるいは社会科学のなかでメディアとか電子テクノロジーをどう捉えていくかというようなアプローチも相当関心が高くなってきている.次世代インターネットが及ぼす,社会,芸術,政治,経済,個人のアイデンティティの問題に,さまざまな角度から境界を超えた知恵を集合していくような環境づくりが今後非常に重要だと思います.

 私も,エンジニアリングの世界のなかに,いわば突然異分子が入ったようなものなんですけど(笑),それはそれでかなり刺激的な状況だと思いますし,社会構造全体としてそういう環境が出てきているような気はします.

前のページへleft right次のページへ