新たな文化・社会の情報基盤としての次世代インターネット

文化・社会の情報基盤

 

武邑――いまの青山先生の指摘を,社会的側面からトレースして話をしたいと思います.アメリカでは93年に「NII(National Information Infrastructure=全米情報通信基盤)」構想が出て,それから1年もたたないうちに全米ネットワーク連合(CNI)とゲッティ・トラストが中心になり,「人文科学と芸術のための情報基盤整備」という特別委員会が組織され,文化コンテントの情報基盤整備を戦略的に走らせました.一方,日本ではどちらかというと技術や産業という視点のなかでインターネットの創世記を見てきたわけで,このあたりに,かなりのタイムラグがあったかなという気がします.

 文化の情報基盤という意味では,日本でも青山先生の「ディジタル・アレキサンドリア」(本誌29号参照)などのプロジェクトがありますが,米国NGIのアプリケーション開発の部分でも,やはり教育やデジタル・ライブラリーなどが注目されています.これはいわゆる産業経済に軸足を置いたアプリケーション開発というよりはむしろ,それを支えていく根底の,人知や文化の形成力を高めていくというのが背景にあると思います.

 NIIでも,情報スーパーハイウェイというグローバル・インフラストラクチャーと,それによって起こる経済的・産業的なドラスティックな変換にかなり大きなフォーカスが当たっていたんですが,じつはその背景には,コンテント,そしてコンテント産業というもう一つの大きな水脈が市民や人間社会にとって不可欠なるものとして,本質的に情報スーパーハイウェイを根底から支えていくという考えがあった.そして,それこそ新しい情報基盤における文化政策のあり方だったのです.

 この2,3年の間に,アメリカの大規模アーカイヴやライブラリーやミュージアムのプロジェクトがかなり膨大なコンテント資産というものを醸成し,それがいまやサイバースペースのなかの文化の情報地図を大きく塗り替えてしまった.いまではむしろアメリカの文化情報発信にアクセスしない限り,世界中の文化の多様性というものすら認識できなくなってきている.
米国NGIは,もともとNIIの上位階層化から出てきているもので,文化も含めたグローバリゼーションのなかでの多様性確保という点においても,アメリカの一極的な支配構造を非常に色濃く感じる部分が多いわけです.逆に言えば,私たちは自身の文化や社会という問題を新しい情報基盤整備という問題とパラレルに考える必要があり,そのために多様な文化のあり方というものをいかに把握しておくかが重要です.米国NGI,インターネット2というのは,グローバルに広がった90年代以降のインターネット第一世代から,さらにそのピラミッドを特化させて,まったく新しい知識文化のヒエラルキーを生成するということだと思います.
人間の未来のヴィジョンという意味では,テクノロジーと社会・文化が織りなす関係性を開発していくことが,産業経済の目指すべき方向だと思います.地球規模の情報基盤が形成されるなかで,本質的な多文化社会の価値観が無視されるとすれば,それは非常に単一的な生態系,情報環境体系を生むということで,望ましいことではありません.アメリカが多文化を包括する情報基盤を生産しても,それはあくまで米国流のディレクトリーとインデックスであるわけです.

 これまで家電製品の開発のうえで,日本の産業基盤や文化基盤は,世界的にも非常に大きな役割をもっていたわけです.
今年,ウォークマンは世に出て20周年なんですが,音楽を移動体として外で聴くということは,西洋の空間的遠近法の概念からすると,おそらく発想すら出てこなかった価値観だと思います.この20年間,新しい文化創出に,日本独特の文化的な遺伝子が作用してきた面は,相当大きいと思います.大体いまのノート・パソコンやモバイル系端末にどんどんカメラが内蔵されており,眼で補足するカメラではなく,手や空間の参照として客体化されたカメラという発想自体,まさに日本独特のコンシューマー・エレクトロニクスの産物だと思います.次世紀に向けた,テクノロジーと文化の新しい関係性を構築するうえで,私は日本の役割は非常に重要だと思っています.

 この7月から《スター・ウォーズ》が衛星を通して正式にデジタル・プロダクションを開始しました.
これは,衛星から大容量の情報をハードディスクにそのまま送って,通常の映画館の大スクリーンにフィルムを介さないでデジタル映写するもので,これは従来の映画産業とディストリビューションの形態を根底から変えていくと思います.24フレームの高精細デジタル・カメラも登場しており,この先は映画というフォームはそのままで,すべてはデジタル・コンヴァージェンスとなるわけです.

 この数年,デジタル文化生産が新しい産業や経済を先導,牽引する基盤になってきました.96年にロンドンのウェストミンスター大学のハイパーメディア研究所が投げかけた問題論文「カリフォルニアン・イデオロギー」は,シリコン・ヴァレーとサンフランシスコをベースにしたデジタル文化の創出基盤が,戦後ベビーブーマー世代が夢見た巧妙な新対抗文化生産の結果で,全世界規模にその影響を及ぼすための戦略的な文化覇権主義であり,なかでも雑誌『Wired』によって巧妙に喧伝された文化戦略であったとの指摘も,非常に説得力あるものでした.その直後,メディア・アナリストのマーク・スタールマンによって書かれた『イングリッシュ・イデオロギー』は,さらに驚愕すべき内容で,それらの文化生産と世界戦略は,グレゴリー・ベイトソンからスチュワート・ブランドに至る文化リプログラミング戦略,さらにネグロポンテやジョン・バーロウなどが加担する新ジェファーソン主義の巧妙な陰謀であったという指摘以後,文化生産と産業経済の関係性は大きなテーマとなっています.

 ある意味で「カリフォルニアン・イデオロギー」がグローバルな先導的産業文化だとすれば,現在,日本というのは,大いなるサブカルチャーを産出している国なんです.テクノ・オリエンタリズムやサイバー・アニメランドといった蔑称を気にもとめず,あるいは西欧への「他者」として,ゲームやアニメなど地球規模のサブカルチャーを創出している日本という国は,逆説的に言えば次世代のグローバルな情報基盤のうえで,きわめて大きな文化的影響力を行使しています.

 そういう意味では,NGIからさらに,日本的なサイバー文化への欲望や,デジタルなビヘイヴィアのなかから新しいアプライアンスというものが創出されていくという環境として,第3世代のスーパーインターネットというものを捉えていく視点が重要だと思います.そしてこれはアプライアンスだけではなく,コンテントの部分でも非常に重要な役割を含んでいるなという気がします.

青山――そう,第3世代では文化面でも技術面でも日本が貢献できるフェーズだと思います.ある意味でインターネットが家電やテレビの領域に拡大するわけで,これは日本が強いところです.第1世代では米国に席巻され,第2世代も追い上げているとはいえ開発の層の厚さではまだまだです.その次は何とか日本に活躍してほしい.研究開発に携わる者としては,やはり自分たちが考えたものが世の中の役に立つことに意義を感じるわけで,いつもアメリカの後塵を拝していたのでは何のために研究しているのかわかりませんので.  いま,先生の言われたように映画が従来のフィルム・ベースではなくネットワークでデジタル配信されるようになると,ある意味でデジタル放送とデジタル・ムーヴィー,すなわちテレビと映画の境目がなくなってくるわけで,次世代インターネットではそういう可能性も考えてみたいですね.実際,超高精細(SHD=Super High Definition)画像の動画版が開発されつつあり,デジタル・ムーヴィーの可能性は見えてきました.

武邑――フィルムは関税商品として,これまで通産省の管轄だった「物質」なんですね.ところが映画は多分これから郵政省の管轄になるでしょう.ネットワークの伝送路の中を走る,かなり重厚なコンテントの一つになるでしょう.このように社会のシステムの大きな変動をもたらすプロセスが,インターネットの進化のプロセスだと思います.

 次世代インターネットは,単にインフラストラクチャーとか,われわれの通信,コミュニケーションというものの次世代型基盤,あるいは社会変化ということ以上に,多分,人間という概念,あるいは人間という価値観を,大きく変えていくでしょう.それは多分,根底から脱人間というようなレヴェルに深く踏み込んだ変化を促しているという気がします.

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