ICC Report


ICC New School
1999年1月19日−2月21日
ギャラリーD,4Fエントランス・ロビー



コンピュータは私たちの一番身近にある楽器になりうるのか.6回目を迎えたニュースクールは「音・音楽・コミュニケーション」というテーマのもと,1999年1月19日から2月21日まで13回にわたって行なわれた. 今回は,コンピュータにより音や音楽がどのように拡張,または変化していくか,それらにより新しいコミュニケーションのかたちが生まれていく過程を考えるうえで,テクノロジーからのアプローチ(第1週),芸術からのアプローチ(第2週),コンピュータ・ミュージックの現在(第3週)という3通りの切り口を設定した.

●第1週「テクノロジーと音・音楽」
1月19日 NTT基礎研究所長(現NTTコミュニケーション科学基礎研究所長)東倉洋一氏は,「音の科学 歴史から未来へ」と題して,最も身近な音の一つ「声」を例にとって,NTTが行なってきた,音の科学についての研究とその展望を紹介した.東倉氏は,日常生活で交わされる「声」に対して正確な認識がもたれていない現在,音と人のより深い理解が必要であり,音の科学の果たす役割の重要性を強調した.
1月20日 聞かせるのではなく,聞こえている側からのアプローチで研究を進める柏野牧夫氏は,「聞こえの世界はいかに創られるか」と題して発表された.「音が耳に届いてから,聞こえが成立するまでの情報処理の過程は,新聞記者が膨大な断片的事実を取材し,ときには脚色も加えつつ適宜編集して一貫した記事を仕上げる過程とよく似ている」と興味深い指摘がなされた.
1月21日 平田圭二氏(NTTコミュニケーション科学基礎研究所研究員),片寄晴弘氏(和歌山大学),田辺義和氏(カクタスソフト)は自動作曲,自動演奏,楽音の解析・合成・表情づけの現在を紹介しながら,音楽的知性とコンピュータとの関係,プログラミングと作曲の考え方,ひいては創造性と組み替えという考えを開陳された.コンピュータは人間のように音楽を作り出し,演奏することができるのだろうか,また,コンピュータも聞く耳をもてるのか,話は続いた.
1月22日,23日 第1週目の締めくくりとして,音色を創る合成システム「Otkinshi−オッキンシャイ(Ototo koega isshoni naru shisutemu)」が紹介され,そのワークショップも開催された.小坂直敏氏は「『生きた音』と『死んだ音』,またその境界線について」「音素材の多様化」などについて話され,実際にシステムを用いて制作された作品を,ヴァイオリニストの甲斐文子氏とともに実演された.

●第2週「音楽・テクノロジー・作曲と演奏空間」
2月7日 「ナンカロウを通して考える西洋音楽と日本の僕ら」というテーマのもと,美術家の中ザワヒデキ氏とともに,そもそも芸術とは何なのか? を考えた.西洋音楽における楽譜の存在とは? といった問い掛けにはじまり,「権威」と「感覚」,数学と芸術,私たち日本人にとっての西洋音楽について等々,文明論的アプローチで現代音楽について考えられた.あわせて自動ピアノによる演奏も披露された.
2月9日 テーマは「演奏,聴取,テクノロジー」で,高橋アキ氏の熟練のピアノにより,クセナキスの難曲《ヘルマ》,一柳慧の《ピアノ・メディア》,三輪眞弘氏の《東の唄》の演奏をしていただいた.佐近田展康氏には18世紀ヨーロッパの,氏の言葉で「時計に対する偏愛に象徴される思想」である「機械をめぐる信仰」と,その合理的体系,普遍的システムをもちあわせた機械自体が美しいという思想のうえに最新テクノロジーや表現方法の拡張があるという観点から,現代のわれわれを取り巻く状況について語ってもらった.
2月10日 「即興と音楽を体験する空間」と題して「作曲」と「即興」について考えた.DJとしても活躍するヲノサトル氏と作曲家でありピアニストの渋谷慶一郎氏により,ターンテーブル演奏とピアノの即興演奏を行ない,ライヴとは何か,録音とは,記録とは,楽譜とは,作曲とは,即興とは等々,三輪氏を交え「今の音楽」をめぐる話が続いた.
2月11日 「このワークショップで紹介される作品の分析」として慶應義塾大学の藤井孝一氏とともに,今回のワークショップで紹介した曲の解説が行なわれた.譜面を見ることと音を聞くこと,現代音楽作品を理解するうえで構造や理論を知ることは必須のことなのか,テクノロジーは音楽に何をもたらしたのかなど考えさせられた.
2月13日 映像作家の前田真二郎氏の「社会的空間における時間芸術の体験」として作品を鑑賞するとともに空間,時間芸術というものについて考えた.現代音楽を時間芸術として捉えた場合,作品は音のコンポジションよりも空間や時間,または体験の不思議を扱っていることが多い,とする氏は,CDではその良さが味わいにくい現代音楽の問題についても触れ,ライヴ表現とパッケージ・メディアによる表現,両者の可能性と展望について語った.

●第3週「コンピュータ・ミュージックの現在」
2月18日には「演奏される音楽」と題して千野秀一氏,後藤英氏による作品を,2月20日には「記述される音楽」と題して岩竹徹氏,三輪眞弘氏の作品をそれぞれ披露していただいた.
後藤氏は作曲家であり,演奏家でもある.センサーを体中につけたスーツや,MIDIヴァイオリンによる演奏は常にヴィデオ映像と共振し合う作品.
千野氏は演奏家でパフォーマーの川仁宏氏とともに身体性を伴う演奏を披露した.光と影,指の動き,ロッキングチェアの振れにより音を生み,操る作品である.
岩竹氏はコンピュータにより処理された音響をバックにした雅楽の即興演奏の作品を,三輪氏はコンピュータが時々刻々と小型プロジェクターに映し出す旋律や言葉に従って演奏される4台のキーボードの作品を披露した.
2月21日は古川聖氏,藤幡正樹氏の最新作(現在ZKMで両氏が手掛けているアプリケーションを用いたもの)で,グラフィックと音楽の融合,そしてそれらを音楽家ではない一般の人々が楽器として扱える秀作を提示した.
その後,第3週はゲスト全員+モーリー・ロバートソン氏によるセッションを行ない,表現方法がまったく異なるメンバーが音という言語を使って,まるで会話を楽しむようなセッションが展開された.

[伊東祥次]

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