情報の回廊を逍遥する

デジタル・アーカイヴ
実現に向けての各国の動き

ディジタル・アレキサンドリアのメンバーのうち,青山,小野,岩渕は昨年の夏,アメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,オランダなどを訪れ,美術館所蔵品画像データの通信環境におけるディストリビューション・システムの学術研究に従事する多くの関係者と意見交換する機会を得た.
その結果,「収蔵美術品の画像をデジタル化することによって美術館・博物館もビジネス・チャンスをつくろう」などという幻想を抱いている人は,もはや存在しないという感慨を深くするに至った.

なぜ,誰もそんなことを考えなくなったのかと言えば,「もし,ビジネス・チャンスがあったのなら,とっくの昔に民間企業がプロトタイプを確立して娯楽用の美術鑑賞ソフトをゲームと同じようにばんばん売っているはず」だからである.しかし,そういう状況に至っていないということは,頭の良い企業が「そんなことをしてもビジネスにならない」ということにいち早く気がついたからに違いないと彼らは指摘する.

それでは,なぜ,「そんなことをしてもビジネスにはならない」のか? その根拠を知ることは,なぜ,欧米の美術館関係者が「公共財としての美術館・博物館データ」という前述のコンセプトに行き着いたのかを理解するうえでの鍵となる.

商業用に「娯楽用美術鑑賞ソフト」を開発・販売することを想定した場合,制作者はまず,二つの独立したステップを通過しなければならない.
一つめは,まず,美術品の画像そのものを,あらゆるアングル,あらゆるディテールでデジタル・データとしてキャプチャーすることだ.次に,二つめのステップとして,多くの画像データのなかから用途にふさわしいものを選び出し,これを,動画・静止画を含む,そのほかの関係資料のデジタル・データと組み合わせて,ナレーション,文字原稿データ,さらに音楽などを付け加えてストーリーに組み立てていくことが必要になる.その作業は1本の映画を制作するのと同じか,それ以上の労力にもなる.

確かに,一つの美術館の収蔵品,あるいは,特別な企画展に際して,CD-ROMのようなかたちで,デジタルの「娯楽用美術鑑賞ソフト」がプロデュースされ,そこそこの成功を収めたことはある.しかし,こうしたソフトが音楽CDのように,何千タイトル,何万タイトルという規模でリリースされないのはなぜなのか.

基本的な問題は,ワン・ソース・マルチ・ユースという利点を最大限に活かせるはずのデジタル・メディアを駆使して美術鑑賞ソフトをプロデュースするためには,まず,「自由自在な組み合わせを実現するに足る素データが圧倒的に不足している」ということにつきるだろう.

一人の画家の絵画作品の鑑賞用タイトルを1本制作しようとした場合,その画家の全作品が一つの美術館に収蔵されていることなどありえず,また,比較のために必要となる,その画家が影響を受けたほかの作家の作品や同時代人との書簡などは,当然,まったく異なった場所(研究機関)に保管されている現実がある.さらに,時代考証のための古文書,ニューズ・アーカイヴ,地図,風景写真などのデータも,その量があまりに膨大なために,重要度のプライオリティを決めることさえできずにいるのだ.したがって,そのほとんどがデジタル化されてはいないのである.

要するに,美術鑑賞ソフトをプロデュースしようと思う者は,まず,世界中の美術館や個人コレクションに収蔵されている美術品のさまざまな角度からなるデジタル画像データをキャプチャーし,さらには,あらゆる古文書,風景写真,地図などをデジタイズするところからスタートしなくてはならないのだ.

それが完了した段階で,初めて第2ステップの「自由自在にデータを組み合わせて編集する」という,デジタル・メディア特有のメリットを享受することが可能となる(それでも著作権や所有権保持者からの画像使用の許諾作業が自動的に解消されるわけではない)わけで,その環境が整ってこそ,プロデューサーやディレクターの創造的な個性を反映した「作品」としての娯楽用美術鑑賞ソフトが成立するというわけだ.新タイトルを音楽CDと同じレヴェルで,恒常的,かつ,大量に発表可能になった時点で,初めて「ビジネス・チャンス」も生まれてくる.

前述の「ダムと水」のたとえで言うならば,ペリエやペルグリーノのような「瓶入りミネラル・ウォーター」が登場するわけで,人は代価を支払って「水」を買うのと同じように,鑑賞用にパッケージ化された美術品画像情報に喜んで代金を支払うようになるだろう.そこに至って,ようやくビジネスの概念が成り立つというわけだ.

世界の美術館・博物館の収蔵品,さらには,古文書,地図などの画像をすべてデジタル化しようとするのは途方もない作業になると言っても,巨大な美術館や図書館に馴染みの薄い日本人にはなかなかピンとこないことかもしれない.一つ想像しやすい例を挙げるならば,ニューヨークのメトロポリタン美術館の収蔵品点数は300万点を遥かに超えている.欧米の美術館の場合,これらの膨大な作品の少なくともタイトル,作者,制作年代,メディウム,購入年代と元々の所有者などに関するデータはきちんと記録してファイルされており,文字データに関してはコンピュータ化されて,コレクションズ・マネジメント・データベースによって検索することが可能になっている.

しかしながら画像に関しては,変色しやすく,色調の再現性が低いカラー写真を美術史学者らが極度に嫌ったこともあって,原則として,いまだに研究者のあいだでは,作品の資料画像は白黒しか使わないのが通例だ.美術史学者たちは作品の判別のためにのみ白黒写真を用い,色調に関しては自分の記憶,そして,何よりも目の前に存在するオリジナルだけを頼りにしている.

研究者向けに全世界の美術館・博物館の収蔵品を対象としてデジタル画像アーカイヴを設立しようというコンセプトは,娯楽用の美術鑑賞ソフトで金儲けをしようというアイディアよりは遥かに必然性,さらには,実現性が高いかのように感じられる.しかし,現状では文字テキスト・データとサムネイルの白黒画像だけを添付したコレクションズ・マネジメント・データベースに,研究者の目に耐えうる正確な色彩で再現されたカラー画像を入れ換えるとしたら,そのキャプチャリング作業を行なうだけで,まさに人知を超えた時間と経費がかかることが予測される.

何しろ,たった一つの美術館だけで,300万点の収蔵品の画像,このほかにディテールを含めると,潜在的には1000万点を優に超える画像データをキャプチャーしなければならない計算となり,いままでどおり,4×5インチのポジ・フィルムからドラム・スキャナーで画像入力していたのでは数十人の専従スタッフが週40時間絶え間なく働いたとしても,いったい何年かかって作業を終えられるのかわかったものではない.
しかも従来のやり方では,デジタル化した画像を,1点ずつ,丁寧に色調修正していかなくてはならないのだ.一見,簡単そうに思える研究者を対象としたデジタル画像アーカイヴ,すなわち,将来の第2ステップへ向けての素データを蓄積する基本の作業ですら,いままでどおりのやり方では完遂するのは不可能に近いというわけだ.この現実を目のあたりにして,美術館の収蔵品画像のデジタル化権をすべて手中に収め,一気に娯楽用美術鑑賞ソフトの独占販売に乗り出そうとしたビジネスマンの野望はあっけなく崩れ去ったのである.

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