特集: 音楽/ノイズ--21世紀のオルタナティブ
オペラ/インターネット/ノイズ

ノイズ
デジタルからアナログへの回帰?

若い世代を含めて,いまアナログの音を発見してかえって面白がるというところはけっこうありますよね.「やっぱりアナログの音が気持ちいい」という人もいまだにすごく多い.岩井さんも,フェナキスティスコープのような古いメディアをあえてメディア・アートに使ったりされますよね.なぜだと思われますか.

坂本――僕もよくわからないんですけれど,いちおう音的なことで言うと,S/N比をよくするというのはいまでも主流だし,そういう方向でずっと100年ぐらいきたわけですよね.で,デジタルに音楽を再現することによって,ノイズを全部取ることが可能になった.つまり,アナログで,テープなどのモノの上に情報を焼き付けるときには,モノの特性がもっているノイズが必ず存在しているわけだけれど,デジタル技術によって,それを理論的には全部ゼロにしちゃう――S/N比ゼロということが可能になったわけですね.にもかかわらず,どうしてかこの5年ぐらい,若い子とかあるいはメジャーなアーティストもアナログ好きになっている.そうすると「パチパチ」とか「ジャリジャリ」とか,盤から拾ってくるノイズが必ず乗っているわけですね.なんでかなと思いますよ.僕も最近ターンテーブルを廻してるぐらいなのでけっこう好きなんですが,どうしてなのかわかりません.一つには,ノイズというのはすごくイマジネーションを喚起するんですよ.多分ジョン・ケージなんかが普通の人より50年早くて,ケージが聴いていたそういう感覚をいまの若い子たちが違うメディアを通して聴いているのかもしれないし…….

いま「音響派」とか「ノイズ」などと分類されるポップ・ミュージックでも,それこそ「プチプチ」とか針音みたいな音でリズム・トラックを作ったりとか,そういうものがけっこうありますよね.

坂本――多分人間ってのは,やっぱり100パーセントの人工環境に耐えられないんじゃないかな.われわれの社会はますます人工環境に覆われつつあるけど,音楽はもともとモノが発する音でできていたんですよね.楽器も声も,モノが存在しているから音がする.ところが,デジタル・テクノロジーで作られる音楽では,ヴァーチュアルな音になって,かつては石を叩いたり,手を叩いたり,つまりモノと空気があるから音がしていたのに,いまはそういう必要がなくなってきて,ヴァーチュアルな音のほうが多くなってきた.そうすると,針音というのがむしろ楽器として存在するようになったのではないか.つまり,ビニール盤というモノが存在していて,そこにランダムなノイズが出ていて,それを針が拾って――というか,ビニール盤の意識されない,人工的に作られたのではないノイズと針とのセッションで,まさにモノが触れあうことで生まれてくる音なんですね.いわば楽器を鳴らしているのと同じ状態なわけです.人工環境に完全には耐えられないというのと同じで,モノが存在することで,あるいはモノが触れあうことで発生する音というものを人間はどうしても求めるんじゃないでしょうか.

 ライヴだって,ベストな環境でベストなプレーヤーを集めて,1回だけパフォーマンスして,それを衛星なりインターネットで送って,遠隔地で誰かが観るというのがパフォーマンス的にはベストなものが得られるんだけど,なぜ高いお金を使って,わざわざ現地に行って,限られた人の前で演奏するかっていうのは,謎なんです.コスト・パフォーマンスが悪いですよね.それでも,ローリング・ストーンズだって総勢300人ぐらいで世界中を動き回っている.でも,やる側も観る側もライヴを求める.それはディスプレイの解像度が悪いからというのも一つある.解像度が何桁も上がって,少なくとも人間の目から見たら差がないぐらいのものが作れたら,かなり解消されるかなと思うけど,それでも,クサイ言葉だけど,温度とか,実際に同じ空間で楽器を演奏していて,音が伝わって耳にも届いて,身体も空気の圧力で震えるというのがいいという人はいるでしょう.スピーカーも,完全なスピーカーなんて作れないわけだから,逆に言えば,人間の感覚器というのはそこまで優れているとも言えるんですね.それとの競争の問題だと思うんです.テクノロジーもずいぶん進化はしているけど,そうすると,人間の感覚器,人間という生命体がどんなに優秀かということがより具体的にわかってくるという,その連続のような気がするんですね.

 その優秀さというのは,近代の一般的な科学が目指してきた優秀さとはずいぶん違って,間違うことのできる優秀さですね.それから間違いがあっても自動的にそれを取り除いて,必要な情報だけちゃんと受け取るという優秀さ.これがコンピュータにはなかなかできない.例えばわれわれの日常会話は,どんなに正しく喋ろうと思っても,50パーセントは文法的に間違っています.それは統計で出ているんだけれども,反対にコンピュータは,文法的にはまったく正しいけど,人間が聞いたらおかしいと思う文章を作ってしまう.同じように,文法的に正しくないけれども人間にはちゃんと意味がわかるような文章をコンピュータが作ることはものすごく難しい.それが人間には難なくできているというのはたいへんなことなわけですね.ものすごく底が深いと思います.人間の環境とのやりとりでも,人間同士のコミュニケーションもそうだけども,ひところ流行ったリダンダンシー(冗長性)ということがとても重要ですよね.冗長性というのはまさにS/N比の問題で,ノイズなんですね.人間という生物は,あるいは生物一般は多分冗長性がないと耐えられないんですね.音楽を聴くのも,こうやって会話をするのと一種同じようなコミュニケーションなので,非常に冗長性が少ない,S/N比のすごくいい音ばかり聴いているとパニックを起こすんじゃないかな.

 世界中の民族楽器には,どこまでがノイズでどこから楽音かわからないような,グレー・ゾーンの音が出る楽器がたくさんありますよね.それは多分昔からの人間の知恵で,むしろ楽器にノイズを入れる工夫をたくさんしてきたわけでしょう.西洋音楽の歴史のなかでは,楽器を改良していく過程で,あるところで――ちょっと曖昧だけど近代以降と言っておきますけれども――変わってしまって,なるべくノイズを排除する方向にいきました.それの発展形が現在の西洋音楽の楽器で,非常にノイズが少ないんだけど,世界的に見るとそれはそれはむしろ特殊な例で,日本でもアフリカでもどこでも,なるべく純粋な楽音じゃないノイズを入れる工夫をものすごく知恵を絞ってやってきているんですね.われわれに身近な例は三味線の「さわり」ってやつで,「さわり」がないと三味線の音にならないんだけども,あれもただ五線譜上のある音を表わすという意味で言えば,むしろじゃまなものなんですよね.それをわざわざ入れることで楽しむということをやってきている.だから,音楽シーンは10年ぐらい人工的な音環境でやってきたんですけど,ここにきて,むしろ「さわり」的なターンテーブルのノイズとか,そういうものを使った音楽が出てきている.だから,人間はノイズが少ない状態に長時間は耐えられないということなんでしょうね.

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