特集: 音楽/ノイズ--21世紀のオルタナティブ
オペラ/インターネット/ノイズ

共感覚
視覚と聴覚のコラボレーション

逆に,絵を音楽に変換してしまうという可能性はありますか.ピカソの絵を音楽に変換するといったような.

坂本――目と耳というのは違う感覚器なので,基になっているbit数が違うんですよ.情報処理のスピードが全然違う.どのぐらい時間を割ったら,違いを認識できるかというような感覚の閾値が2桁ぐらい違うんです.そうすると,例えばある現象に対して,目だったら2時間観ていられるけど,それを音に変換したらとても2時間は聴いていられないとかいうことが起きるわけです.

 映画のストラクチャーと音楽のストラクチャーとは全然違う.F・コッポラの《地獄の黙示録》は3時間ぐらいですよね.映画だったら3時間でも観ていられるけれども,音楽作品で3時間ずっと楽しみながら聴いていられるようなものはなかなかない.だから,単純に絵の傑作ということでピカソを音に変換しても,面白いとはかぎらない.そもそも,二次元で見えるものと,音楽という,いわば一次元の時間軸で一方向に流れていくものを単純に変換するのはナンセンスです.

 ただ,共感覚という現象も実際はあるんです.というのも僕は,東大で脳と音楽について研究していらっしゃる杉下守弘さんのところに志願して行って,実験台になったことがあるんです.核磁気共鳴(MRI)という何億円もする巨大な機械に入って,その中で作曲をしたりしたわけですね.MRIを通して脳の状態を見ることができるわけですが,そうすると,「これは共感覚だな」というようなデータはちゃんと出てきますね.そのとき僕は音は聴いていない.想像しているだけなの.つまり頭の中で作曲しているわけね.

音符は?

坂本――書かない.身体は絶対動かせない.縛られちゃうんですよ.動かすと他の情報が入って,運動野とかが発現しちゃうんですね.でもその状態で作曲をすると,視覚野がちゃんと発現している――つまり「見ている」わけですよ.作曲しているとき,譜面も頭に浮かんでいるし,その音楽から影響されるいろんな風景や記号や抽象物がどんどん出てくるし,それが根底になっているわけでしょう.頭の中で音も聞こえているわけだから,聴覚野と視覚野が両方とも発現して,しかも運動野も発現している.作曲しているときの連想で筋肉が実際に緊張したり弛緩したりしているんですよね.ですから脳としてはちゃんと運動している状態なんです.

例えば,さきほど触れた岩井さんのシステムのような装置があると作曲しやすくなるということはあるんですか.

坂本――しやすくなるかどうかはわかりませんけど,ないときとは違った音楽になることは確かですよね.そのいい例は《春の祭典》など,ストラヴィンスキーが初期にたくさん書いたバレエ曲です.音楽としてみるとすごく変な曲なわけ.余分なところがたくさん繰り返されていたり,ガクッと急に変わったりとか.当時の音楽としてはとても革命的で,初演のときは聴衆の半分がリンゴを投げたりして,たいへんな騒ぎになっちゃったんだけれども,バレエのために書いた曲ですから,このダンサーがここまで歩いてきて回る,とかいった振付けがあって,それに沿って書いていったので,そういう変な構造になっちゃったんです.映画のサントラと同じですね.振付けを取って音楽として聴いたときに,とても変わった構成になっていて面白いんですけれど.岩井さんとのコラボレーションではそれと似たような現象が起きるわけです.音楽だけだったら3回繰り返せば飽きちゃうのに,12回も繰り返されていたら,なんだ……と.そういうことは起きるはずなんですよね.だから,他のジャンルと協働してみるとうまくいく場合もあるし,つまらない場合もあるということですね.

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