特集:テレプレゼンス――時間と空間を超えるテクノロジー/ウィリアム・バクストン・インタヴュー

専用化されたテクノロジー

――集中ではなく分散こそが重要である.そして入出力用の端末だけ身近にあればよい.それはさまざまな用途に応じた多様な形態をもつべきだ,ということですね.それは,エコロジカル・デザインから必然的に生まれる考え方である,と.あなたのユビキタス・コンピュータの考え方と端末デザインについて,もう少し詳しく教えていただけますか?

WB――はい.基本的なアイディアとしては,コンピュータに人間の仕事のやり方を反映させるようにするというものです.アーティストのためのコンピュータであれば製図用デスクのような形をしているべきだし,学校の教師用だとしたら黒板のような形をしているべきです.これが私がオンタリオ・テレプレゼンス・プロジェクトでしていた仕事です.

あるいは,家庭には冷蔵庫がありますね.冷蔵庫のドアに磁石で紙をとめたりしていませんか? うちの冷蔵庫には,子供や馬の写真,家族との予定表,妻からのメッセージ,子供が描いた絵,さまざまなものがとめてあります.うちの冷蔵庫のドアはまさにホームページなんですよ.じゃあ端末を冷蔵庫のドアにつけてしまえばいい.日本の企業が実際にそういうものを作っていましたね.お宅の冷蔵庫をイメージしてください.そこに絵を描いたり,ペンでメッセージを書いたりする.同じ家に住んでいる一人ひとりが小さなインデックスをもっていて,私は,私宛てのe-mailやヴォイス・メールやファックスをチェックできる.すべて冷蔵庫の前でできるんです.妻への伝言も冷蔵庫にメールを送ればいいんです.うちではメッセージを残すのは,冷蔵庫のドアと決まっていますから.

つまり,テレプレゼンスと共同作業は,ここでは,テレプレゼンスと共同生活となるわけです.これもテレプレゼンスです.テレプレゼンスはオフィス専用ではなく,家庭生活にも応用できるのです.私は,自分のコンピュータをもつ以前に,自分の冷蔵庫をもちたいですね(笑).冷蔵庫は家庭における真の情報設備だからです.最も重要な情報設備とさえ言っていいでしょう.わが家の冷蔵庫には予定表があり,写真があり,メッセージがある.この情報設備は,すでに家庭内に確固たる場を占めている.このロケーションを利用している社会的構造物なんですよ.つまり,これこそエコロジカル・デザインの好例と言うべきです.これに代えて,キッチンに現在のようなコンピュータを置くなど,どうしてできるでしょう? そんなことはばかげています.レシピをさっと見ることのできないコンピュータなど,キッチンでは役に立ちません.

――われわれは,特定の目的のために専用化された場所,そして,その場所と活動向けに専用化されたテクノロジーを手にすべきだということですか?

WB――そうです.現在,テクノロジーは自分がやるべきことは何か知っています.それなりの知性をもちうるわけです.すると作業はずっと楽になります.例えば,食料品店に行って1週間分の食品を買うというシチュエーションを考えてみてください.あなたは両手にいっぱい荷物を抱えて,店を出ようとしています.食料品店のドアは,自分が銀行のドアでないことを知っています.銀行のドアは安全性の面できわめて厳重にできていますが,食料品店のドアは,食料品店の社会学を知っているわけです.多分,客は両手にいっぱい荷物を抱えていて,ドアを開けるのに手を使えないだろうということも知っているわけです.そしてさっと開く.

また(カメラを取り出して)これもコンピュータです.このコンピュータとノート・パソコンの違いは,ノート・パソコンのようなキーボード=イン,ケミストリー=アウト方式の代わりに,ライト=イン方式をとっている点──液晶パネルとはまったく異なった方式です.しかし,重要なのは,このコンピュータは自分の機能を知っているという点です.このコンピュータは,自分がワード・プロセッサでないことを知っている.電話でもラジオでも表計算ソフトでもアニメーション・プログラムでもないことを知っている.これは写真を撮るためのものです.
だから,光量や露出やピントの知識をもっている.その知識はすべて内部にある.内蔵のマイクロプロセッサのパワーはおそらく昔のコンピュータよりはずっと大きいはずです.それでも,写真を撮るという目的のもとにデザインされているため,きわめて使いやすい.かつてのニコンFやハッセルブラッドは,MS-DOSかUNIXのようなものでした.そうしたカメラを使えば,思い描ける限り,いかなる写真でも撮ることができるのですが,エキスパート・ユーザでない限り,仕上がりが良い写真になる可能性はきわめて低い.しかし,写真について考えてみると,重要な基本的問題は二つだけ──何を,いつ撮るか.これは二つのアクションに言い換えられます.ポイントとクリック.これがすべて.それ以外のこと,例えば,ピントをずらしたりといったこともできるわけですが,そうしたことはいっさい二次レヴェルの決断事項であって,やりたくなければ無理にする必要はありません.
つまり,以前にはきわめて複雑だったことが,現在はきわめてシンプルになった.しかし,何よりも素晴らしいのは,仕上がりが良い写真になる可能性がきわめて高いという点です.それは,このデヴァイスが自らのアイデンティティを知っている,自らが何をなすべきかを知っているからです.

これは,ユビキタス・コンピューティングと関連があります.私がやっているのは,単にユビキタス・コンピューティングについて話をするだけでなく,そこから,私がユビキタス・メディアと呼ぶものを変化させること──というのも,ユビキタス・メディアという言葉は,ユビキタス・コンピューティングにおいて重要なことは,同時にヴィデオ会議においてもすべて正しいということを示しているからです.いまや私は,専用化された場所で動作するテレコミュニケーション・テクノロジーとコンピュータ・テクノロジーを手にしています.
これこそが,多様性の真の恩恵です.

前のページへleft right次のページへ