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特集/20世紀のスペクタクル空間

「スペクタクルの20世紀」年表1900-1909

万博・オリンピック

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1900  
パリ万博(仏/主会場シャン・ド・マルス)
4.15−11.12,5086万人[1855年から約10年おきに5回連続して開かれたパリ万博の最後.くじ付き入場券を発売.パリ市街域に2階建て市電や地下鉄が走る.553エーカーの会場周囲には,2本の木製ベルトによる3.6kmの動く歩道(時速は4kmと8km).電気宮や月の世界を見せる幻想宮,水の宮殿が人気.大々的なイルミネーション,グラン・パレとプチ・パレが登場(部分的にアール・ヌーヴォーを使用).セーヌ川沿いに各国の様式による22の外国館が並ぶ.ロシア館では,シベリア横断パノラマを設置.マルセイユから横浜まで航海するマレオラマ.機械館では,リュミエール社の映画を公開.新型映写機,X線,ライノタイプ鋳植機,テーラーの切削工具,自動車などの出品.イベントには気球競争,娯楽施設にはさかさの家,フェリス回転観覧車など]
第2回オリンピック(仏/パリ)
5.20−10.28,19カ国1078人[もともとパリはオリンピックの父クーベルタンが,第1回大会とスポーツ博覧会の開催地として考えていた場所だが,万博に組み込まれた附属国際競技大会になり,勝者には公然と賞金が出された.主競技場はブローニュの森のグラウンド]

1904
ルイジアナ購入100年記念セントルイス万博(米/フォレスト公園)
4.30−12.1,1969万5千人[1272エーカーという万博史上最大級の敷地だったが,入場者はのびなかった.会場には1576の白い建物群と21kmの鉄道(17の停留所),ほかに160台の乗合電気自動車やバイト学生のガイドが押す手押しのローラー・チェアが移動手段として活躍.夜景のイルミネーション.2つの塔をつなぐ無線電信の実験.デ・フォレストのラジオチューブや飛行船を出品.アイスクリームを新発売.約540の娯楽施設.直径30mの巨大な花時計]
第3回オリンピック(米/セントルイス)
7.1−11.23,13カ国689人[これも万博附属の大会となるが,アメリカで培われたスポーツ技術の普及に貢献した.「人類学の日」には先住民による競技を行なう]

1906
臨時オリンピック・アテネ大会(ギリシア)
4.22−5.2,22カ国884人[第1回大会で盛りあがったギリシアの情熱に負けて,ただ一度,行なわれたIOC公認★1の中間大会]

1908
第4回オリンピック(英/ロンドン)
4.27−10.31,22カ国2035人[当初ローマを予定していたが,災害の影響などで実施が困難となり,仏英博の協力を得てロンドンに変更された.しかし,博覧会に吸収されることは回避した.初めて国旗を先頭に入場行進.「参加することに意義がある」の言葉が生まれる]


★1……国際オリンピック委員会(IOC)1894年にパリのソルボンヌ大学で,クーベルタンの提唱によって,オリンピックを運営するために創設された国際スポーツの組織.加盟が国単位でなく,国内オリンピック委員会(NOC)としたところが特徴的であり,植民地や自治領,州などの地域も一単位となりうる.事務局はローザンヌにあり,月刊誌を出している.