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特集・サイバーアジア

陸根丙


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《The Sound of Landscape+Eye for Field
=1995 Survival is History》
(1995,リヨン・ビエンナーレ)
写真提供=ヒルサイド・ギャラリー

image 《The Sound of Landscape+Eye for Field
=1995 Survival is History》
(1995,「こころの領域」展,水戸芸術館)
Photo=安斎重男
写真提供=ヒルサイド・ギャラリー

 ナムジュン・パイクを韓国のアーティストとしてみなすかどうかは別として,韓国の現代美術にエレクトロニック・メディアが導入されたのは,いわゆるインスタレーションの隆盛を見せる1980年代に入ってからのことである.しかし,道教的な倫理観や土着的ともいえる自然崇拝を尊ぶ国民性,そして建前であったにせよ制度的には1988年まで続いた外国文化の移入規制など,きわめて国内的な価値観のもとでひとつの統制が図られてきた韓国美術界にあって,国際的なアート・シーンとの質的乖離は韓国の若きアーティストに潜在的なストレスを与え続けることになった.また,国外で不動の地位を確立していたパイクと李禹煥の存在も,彼らにとって大きな精神的指針ではあったが,この二者の振り子の深遠な軌跡にすべからく彼らの活動が収斂されてしまうという皮肉は,再び彼らに表現者としての苦悩を与えてきたといってよい.

 1957年に生まれた陸根丙は韓国の現代美術のいわば第三世代に属するアーティストであるが,その評価はパイクと李を融合するかのように,メディアとアイデンティティをひとつの肉体の内に巧みに引き合わせ,多くのアーティストが消化できずにいた韓国的な土着性を普遍的な世界を語る視覚的言語として再提出してみせたことにあった.

 陸の作品はドローイングにしろヴィデオ・インスタレーションにしろ,一貫して「The Sound of Landscape + Eye for Field」のタイトルによって発表されてきた.1992年,カッセルのドクメンタ9で発表された,韓国の伝統的な墳墓の形である土饅頭を援用した巨大な土盛りと,その中央に埋め込まれたヴィデオ・モニターにエンドレスに映し出される眼という作品はその集大成であり,その後,支持体としての土饅頭形は円筒形の鉄鋼などに変わるものの,その内部に組み込まれたヴィデオ・プロジェクターとモニターというスタイルは,メディア・アートというにはシンプルな回路によって成り立つものであるにもかかわらず,映像作家としての資質を暗示する.すべてを見透かす眼,裸形の人体,自然,そして20世紀の歴史を映すドキュメント・フィルムをコラージュ化した映像コンテンツによって,静かな眼差しで人間の営みを凝視するドラマティックな作品として,見る者の心を打ち続けている.それらの作品に使用される音楽もすべて彼自身の作曲によるものであり,優れたミュージシャンとしての一面も見逃すことができない.

 陸根丙は自らをメディア・アーティストと名乗ることはない.しかし,ドローイングからヴィデオ・インスタレーション,そしてパフォーマンスまで,総合的に芸術表現を関係づける真摯な表現者としてのありようは,パイクと李の後継者であるとともに,きわめて今日的なアーティストであることを指し示しているといえるだろう.

(みなみしま ひろし・美術評論家,インデペンデント キュレーター)

image 「ドクメンタ9」出品作
《The Sound of Landscape+Eye for Field》の前で
Photo=上田雄三

■ユック・クンビョン
80年代後半から美術活動を開始.韓国内にとどまらず,92年の「サンパウロ・ビエンナーレ」など海外の企画展に多数参加,個展開催.96年は「火の起源と神話――日中韓のニューアート」展(埼玉県立近代美術館)参加のため来日,ヒルサイド・ギャラリー(東京)で個展も同時開催.



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