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特集・サイバーアジア

キム・ヨンジン


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《祖母と軍人たち》(1993)
Courtesy the Artist

 キム・ヨンジン(金栄眞)は,韓国の「新世代の作家」であり,現在ニューヨークで活動している「テクノロジー・アーティスト」だ.テクノロジー・アーティストといってもキムが使うテクノロジーは,せいぜいビデオやスライド,それにキム自身が制作した手作りのプロジェクターなどで,かならずしも最先端の高度なテクノロジーを駆使しているわけではない.

 キムは,自分自身が子供のころに体験した出来事や過去に起こった小事件の記憶を分析し,それらをもとにして展示空間にひとつのストーリーを構成する.時間が止まってしまった過去を探し出し,それらを視覚的に具現化することで「自己の存在」すなわち自分自身が存在していることの意味を提示するのだ.テクノロジーは,その提示の仕方として使われているにすぎない.

 たとえば,1993年制作の《祖母と軍人たち》は,5つの大きな縦長の水槽に各々5インチのモニター・テレビが4台ずつ浮かんでいる.真ん中の水槽のモニター・テレビには上体を動かしながら経典を読んでいる女性の後姿が,ほかのモニター・テレビには行進する軍人たちの足元が映し出されている.そして,後方の壁には,ゆっくりと落ちる水滴が「おばあさん,おばあさん」というハングル文字と重なって拡大投影されている.

 この作品は,キムの子供のころの体験がもとになっている.ある退屈な昼下がり,おばあさんといっしょに野原を流れる小川を見ていた.すべてのものが永遠に止まってしまったような静寂のひとときだったに違いない.突然,小川を渡って行進する軍人たちが目に入った.キムは,その光景をいまでもよく思い起こすという.これは,キムの戦争に関する個人的な記憶だ.しかし,なぜ何度も何度も繰り返しこの光景だけがよみがえるのか.キムは,きっと「記憶の深層」に何か個を超越した,人類にとって普遍的なゾーンみたいなものがあるのではないかと考える.それは,もしかしたら全人類に共通した過去の歴史であり,DNAに刻まれた記憶として遺伝子の世界まで遡ったところに存在しているのかもしれない.

 やがて,キムは,自分自身のきわめて個人的な記憶から抜け出し,まるでもっと奥深い「記憶の深層」を開示するかのように,《祖母と軍人たち》で後方の壁に拡大投影されていた水滴の映像をよりクローズアップさせていった.

 キムは,《祖母と軍人たち》で水滴を拡大投影する装置を自ら開発した.それは,水を汲み上げるポンプを装備したプロジェクターで,OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)を改造したようなメカニズムだ.注射針からゆっくりと一定の速度で流れ落ちる水滴に光をあて,レンズによって拡大して壁に投影する.

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《リキッド――上方へ》(1995)Courtesy the Artist

  《リキッド》のシリーズではそのプロジェクターを数台並べて壁面全体に水滴の映像を投影する.光の陰影としてより直接的に映し出される水滴は,スライドやビデオによる過去を記録した映像ではなく,刻々と発生し変化している現実にいま存在している映像だ.日常の生活でよく見るなんでもない水滴が何百倍,何千倍にも拡大投影されて,うごめくさまに新たな驚きと関心を呼び起こす.

 壁一面に投影された水滴は,記憶を詰め込んだ単体の細胞のように,体内を流れる生命の源泉のように刻一刻と変化し,もう二度と同じ形にはもどらない.生命を与えられた水滴は,じっと見つめている私たちに私たち自身の存在の意味を語りかけてくる.

(まつうら じん・映像論)

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■キム・ヨンジン
1961年韓国,釜山生まれ.弘益大学大学院彫刻科卒業.1989年,第8回「大韓民国美術大展」彫刻部門大賞,1994年第13回石南美術賞受賞.1994−95年にはニューヨークのPS1インターナショナル・スタジオ・プログラムに参加.12月3日−17日にソウルのPyo Galleryにて個展開催予定.



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