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特集・サイバーアジア

ナウィン・ラワンチャイクン


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《私は 私の 私に 私のもの 私自身》
(部分)(1994)
Courtesy the Artist

ナウィンは,いつも「美術」という制度を疑い,「美術」という制度のもつ強固な枠組みを超えていくことを,自らに課しているように見える.

 ナウィン・ラワンチャイクンは,タイ北部の古都チェンマイに,インド系移民の子として生まれた.チェンマイ大学の芸術学部で美術を学んだが,在学中から,お寺の仏舎利塔に日用品(靴下など)によるインスタレーションを行なって先生に作品を壊されたり,国立美術館に瀕死のエイズ患者と百名のお坊さんを呼んだパフォーマンスで警察が呼ばれる騒ぎとなったり,卒業制作では,生きた人間(男女の老人)を展示して批判されたり,と過激な制作活動で知られる.大学卒業後間もなく福岡市美術館での「第4回アジア美術展」に招待出品し,3週間の滞在制作を行なって日本でも注目されるようになった.

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《失意の芸術調査にあなたの
アイデアを寄贈してください》
(1993−94)
Courtesy the Artist

 チェンマイ大学は,バンコクの名門シルバコーン大学とちがって技術よりも自由な発想を重んじる大学であり,当時モンティエン・ブンマーという優れたアーティストが教師としていたことも刺激となったであろうが,彼自身の,世界の美術動向につねに目を向け咀嚼する明晰な思考力,斬新なアイデアを実現してしまう果敢な行動力,つねに作品を美しく仕上げる洗練された造形力などによって,短時日のうちにタイを代表する若手アーティストという評価を受けるようになった.

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《有限会社ナウィン・プロダクション》(1994)
バンコクのタマサート大学構内で
メカ川の水の瓶詰を売るナウィン社長.
Courtesy the Artist

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《バンコク・ナウィン・ギャラリー》(1995−96)
中村政人の個展を開催しながら走る
タクシー・ギャラリー.
屋根の黄色いランプは中村の作品.
Courtesy the Artist

 主な作品として次のようなものがある.会社を設立してチェンマイの汚染された川の水を瓶詰にして販売した《有限会社ナウィン・プロダクション》(1994).チェンマイ市民3000人に各自が「これが美術だ」と思うものを寄贈してもらって展覧会を構成した《失意の芸術調査にあなたのアイデアを寄贈してください》(1993−94).福岡市郊外に住む老人を訪ね,その肖像写真をその人が生きてきた土地の土とともに展示する《私は 私の 私に 私のもの 私自身》(1994).営業中のタクシーをそのまま画廊に変えてしまった《バンコク・ナウィン・ギャラリー》(1995−96).自ら自動車教習所を開設した《ナウィンのドライヴィング・スクール》(1995).団地の片隅に忘れられた放置乗用車にそこに住む人の歴史を重ね合わせた《室住団地プロジェクト》(1996).失われた地名が書かれ,さらに子供たちのメッセージを収納したタイム・カプセルともなっている大きな本を上大岡駅(横浜)に設置した《「わたし」の歴史,あなたのなかにある》(1996).

 ナウィンは,「美術」を「美術館」という特権的な,聖化された場所に閉じ込めるのではなく,ふつうの人々が日常の中でふつうにアートに出会い,それに参加し関わりあえることが大事なのではないか,と考えている.つねにアートが社会と関わっていくことが彼にとって必要なことなのだ.

 現在開催中のクイーンズランド・アート・ギャラリー(ブリスベーン)での「アジア太平洋現代美術トリエンナーレ」,同じくアジア・ソサエティ(ニューヨーク)の「アジア現代美術」展(1996)に招待出品しているほか,来年の「東南アジア――美術の現在」(東京都現代美術館,広島市現代美術館)への出品がすでに決まっている.社会とアートをつなぐますますおもしろいプロジェクトを展開してほしいものだ.

(うしろしょうじ まさひろ・美術館学芸員)

image Photo=後小路雅弘
■ナウィン・ラワンチャイクン
1971年タイ,チェンマイ生まれ.1993年チェンマイ大学美術学部修了.1994年バンコクで初個展開催.以後,社会とアートとの新しい関係を模索する作品を発表し続けている.国内のみならず,「アジア美術展」(世田谷美術館ほか)での滞在制作にも参加.



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