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特集・サイバーアジア

ヘリ・ドノ


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 写真提供=黒田雷児
《ガムランのざわめき(Gamelan of Rumour)》
(1993)福岡市美術館所蔵

 エスニック・グループの数が250から300,言語の数は300から400存在すると言われるインドネシアという国家は,国家の存在自体が近代主義の産物である.インドネシアは西欧(ここではオランダ)植民地主義との緊張関係から生まれた国であって,植民地主義という近代主義に対抗して,その裏返しとして生まれた近代国家なのである.つまりさまざまな多様性を無理やり覆いつくすことで国家としての理想をうちたて,インドネシア国民とインドネシア語というものを創造した.こうして無理をしなければ強い者の餌食となることは歴史が教える.そしてまたインドネシアの成立の善悪を判断するのも歴史でしかない.しかし地をはってこの国を旅し,先鋭的な感性のアーティストたちに出会えば,歴史の判断を待てない状況が存在することがわかるであろう.ヘリ・ドノはそうしたアーティストたちの一人であり,近代主義が覆い尽くせぬものを鮮烈に表現せずにはいられない人間である.

 ヘリ・ドノはジャカルタに生まれながら,ジョグジャカルタの美術学校で学んでいる.ジョグジャカルタは古都ソロの近くにある都会で,ジャカルタが近代国家を象徴する都市であるのに対して,ジャワの濃密な血が流れている土地である.すぐそばにはボロブドゥールの仏教遺跡もあり,そして国教のイスラム教を奉じながら,この地に数千年いや数万年単位のあいだ営まれてきた独自の文化,生活を伝える場所である.ヘリ・ドノは多分美術学校では近代的な手法を習ったのであろう.しかし彼はその後伝統的な影絵劇ワヤン・クリッを学んでいる.そして表現の多くをワヤン・クリッに負うている.

 ワヤン・クリッの内容には近代主義とはまったく相容れないものがある.それが演じられるのは夜の朦朧とした時間帯であり,文学と音楽と美術が渾然一体化して精霊を呼び出すのである.そして人々は無限の時間と空間を体験し陶酔へと導かれる.それは近代主義とはまったく異なる価値観の源泉であり,ヘリ・ドノを魅了したことであろう.

 それではワヤン・クリッによるヘリ・ドノの表現とはどのようなものか.先年の福岡市美術館でのアジア展に提示した作品は,最も鮮やかにそれを示しているだろう.その作品とはワヤン・クリッの音楽であるガムランを電気的に演奏するというものだった.電気仕掛けの楽器が床いっぱいに並べられ,それぞれがアトランダムに音を出す.ヘリ・ドノによれば,信仰深い人々は電気にも精霊を見出すのであり,その作品は電気の精霊とガムランとの出会いである.しかしその音はあの陶酔にいざなうガムランのように調和に満ちたものではない.それはどこか哀しげな音であり,電気の精霊はどこか閉じこめられた場所から必死の声をしぼっているようでもある.その声は近代主義の軋む音であり,近代的生活を享受するかのように見えてじつは分断されてしまった人々の叫びである.昨年の「幸福幻想」展での作品は,ガラスのなかに人形を閉じこめたものだった.人形は言うまでもなくワヤン・クリッからきている.しかし人形はガラスのなかで声もたてずにいた.それは精霊と分断され疎外された現代人を表わすのである.

 芸術とは本来はワヤン・クリッのように,混沌とした世界から精霊を一時的に呼び出す行為なのであり,日常に深く浸透していたものなのだ.インドネシアで出会う多くの造形芸術家は,音楽家でもありパフォーマンスもする.それぞれのジャンルは細分化されておらず渾然としている.それに反して沈黙する人形たち.それは現実社会の異様さへの先鋭的な批判である.もちろんその批判は政府批判という近視眼的なものではない.芸術と人生を一致させたいという長期的ヴィジョンから出たものなのだ.

(しみず としお・キュレーター)

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■ヘリ・ドノ
1960年インドネシア,ジャカルタ生まれ.インドネシア美術大学(ISI,ジョクジャカルタ)で学んだ後,1987−1988年スカスマンにワヤン・クリッを学ぶ.個展,グループ展等多数.1995年「幸福幻想」展(東京,大阪/主催:国際交流基金アセアン文化センター)に《ガラスの乗り物(Glass Vehicles)》を出展.

 



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