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特集・サイバーアジア

「後進」から「先進」へ


space  デジタル・ネットワークや衛星テレビによって越境していくアジアの情報交通.それは,莫大な人口をかかえたこの広大な地域の政治や経済,文化に大きな変容をもたらそうとしている.短期的に見れば,守旧的な国家イデオロギーがテクノロジーの利用に足枷をはめ,知識の自由な表現・流通を抑圧する動きがないわけではないが,21世紀におけるアジアのメディア地図は現在以上にデジタルな色調に染め上げられていることは間違いない.とりわけ,後述するように,インターネットのコネクティヴィティはいまや日本を上回る勢いでアジア各国に浸透しつつあり,「開発途上」という表現がもはや無効になる日が近づいている.

 とはいえ,それがアジアという地域をボーダーレスなかたちで融け合わされた一つの経済的・文化的ブロックに統合していく――という見方はあまりにナイーヴであろう.デジタル・テクノロジーによって完全に覆い尽くされてしまうほど,各地域の文化的多様性は底が浅いものではないし,急速な,そしてそれゆえにアンバランスな経済発展から生じる歪みが,メディア環境へのアクセス格差を拡げていき,新たな社会問題を顕在化させる可能性も残されている.

 従って,APEC諸国が連合して構築を目指しているAPII(Asia Pacific Information Infrastructure)というブロック化された情報圏も,現在イメージされているようなかたちで実現されるかどうかはいまだ不透明である.統合化と個別化(あるいは多様化)が同時進行するサイバーアジアの浮上へ向けて,いましばらく渾沌とした状態が続くだろう.

 ここでは,アジアの諸地域で加速する情報インフラ整備の現状を概観するとともに,いくつかの問題の所在を提起しておくことにしたい.

急伸する移動系サービス

 最初に,基本的な通信インフラストラクチャーの状況から見ていくことにしたい.ユニヴァーサル・サービスと言うべき固定電話の普及率は,アジア域内全体では依然として低いレベルであることは確かだが,各国とも政府およびドミナントな通信キャリアが主導しつつ,外国資本や技術の導入をはかりながら普及へ向けた取り組みに本腰を入れている.また,質的にも,これまでインフラが整備されていなかった分,デジタル化された新しい設備を積極的に導入することが可能であり,遅れていたがゆえに一気に先端へと向かうサイバーアジアの可能性が見て取れる.

 1995年末時点での各国・地域の固定電話普及率(人口100人当たりの回線数)は,日本(45.1)と同レベルにあるのが韓国(41.5),台湾(43.4),香港(54.6),シンガポール(47.7).香港とシンガポールは都市国家的なその地理的特性ゆえにインフラ建設が進み,日本よりも普及率は高い.

 これに対し,その他の諸国は,マレーシア(16.8)を除くと,中国(2.6),タイ(5.8),フィリピン(2.1),インドネシア(1.9),インド(1.2)など,軒並み1ケタ台に留まっている.とはいえ,1984年から1994年にかけての建設のペースはハイピッチであることは明らかで,伸び率では中国(25.7%),タイ(18.4%),インドネシア(16.7%),インド(13.0%),マレーシア(12.9%)と世界平均の5.2%を大きく上回っている[★1]

space  さて,投資対効果が短期的には見えにくく,リスキーなインフラ建設を進めるために,各国では,欧米や日本の資本と技術の導入を促す仕組みを用いている.タイのBTO(Build, Transfer and Operate)方式とインドネシアのKSO(Krja Sama Operasi)方式がその代表的なアプローチである.BTO方式は,タイ電話公社(TOT)が外資を含む民間セクターに免許を与え,インフラの建設から初期段階におけるサービスの運用までを任せる(その代わりに収益の一部をTOTに提供する)という方式で,これによって建設にかかるコスト負担を軽減し,自国内の技術や事業ノウハウを蓄積する,といった効果が得られる.BTOによる300万回線の建設のうち,バンコク首都圏の200万回線をテレコム・アジア(タイのコングロマリットであるチャロンポカパン・グループとアメリカの地域電話会社ナイネックスの合弁)が,地方の100万回線をTT&T(ジャスミン,ロクスレーなどタイ国内企業4社とNTTの合弁)がそれぞれ担当している.

 また,インドネシアのKSO方式は,外国系企業に免許を与え,インフラの建設と初期段階の運用を経て設備を当該国に譲渡するBOT(Build, Operate and Transfer)方式の一種であるが,PTテルコムの既設の電気通信網の管理を受け継ぐと同時に増設される電気通信網の設計,建設,運営といった一連の業務をPTテルコムと共同で行なうという特色がある.KSO方式により200万回線の建設をNTTやフランス・テレコム,USウェスト,オーストラリアのテルストラなどの各国キャリアで構成するコンソーシアムが,地域ごとに進めている.

 アジア諸国における基本的な通信インフラのもう一つの特徴は,時間とコストのかかるワイアードの固定電話に代わって,ワイアレスつまり携帯電話などの移動系のインフラが急速に浸透し,音声通話の需要をカバーしつつあることだ.

 中でもタイは,固定電話の加入数の3分の1に相当する120万ユーザーが移動電話を所有しているほか,中国やマレーシア,韓国でもすでに100万オーダーのユーザー数に達している.バンコクでの移動電話の普及は,慢性化した交通渋滞と関係が深いといわれ,92年5月に起きた民主化運動の際には,報道管制の網目をかいくぐって市民相互で弾圧の実情を伝えあう手段としても機能した.

 各国に導入されている移動通信システムは,アナログとデジタルが混在しており,外資系を含む複数のオペレータが多数参入している.それは国営から民営化へと移行しつつある通信自由化の状況を象徴しているわけだが,中でもここ2−3年で伸びているのはEU(欧州連合)で策定された統一規格であるデジタル方式のGSMである.GSMはタイ,インド,インドネシア,マレーシア,シンガポール,中国,台湾などが導入しており,デファクト・スタンダードとしての地位を占めている.また,中国,シンガポール,香港の間ではローミング(相互接続)協定が合意され,ユーザーが同一システムを導入している別の地域に移動しても利用できるようになる.

 日本から生まれた規格であるPHS(Per-sonal Handy phone System)もタイ,シンガポール,マレーシア,中国・上海で実用化へ向けた実験がスタートしつつあるところである.これらに加えて,今後実用化される,モトローラ社を中心とする「イリジウム」,インマルサット(国際海事衛星機構)の「I-CO(インマルサットP)」,米TRW社の「オデッセイ」といった,低周回軌道衛星(LEO)を使った衛星移動電話ネットワークが,さらにグローバルな規模に拡がる通信環境をアジアにもたらすことになろう.このほか,ISDNサービスも92年頃から各国で順次始まっているが,そのユーザーの大部分は外資系などの企業が中心で,導入規模もまだ小さいのが実情だ.

バックボーン整備が進むインターネット

 ここ数年続くインターネットの爆発的な拡張は,もちろんアジア域内でも例外ではない.

 70−80年代から各地域で個別に構築が始まったコンピュータ・ネットワークが,80年代末には国際専用線によるIP接続で世界規模のインターネットへと繋がっていった.ただし,コネクティヴィティの状況は地域ごとにバラつきがあり,バングラデシュやモンゴル,ヴェトナムなど電子メールのみの接続(UUCP)に留まっている国や,カンボジア,ラオス,ブータンのようにまったく接続されていない国も多い.問題の一つは,これらの国々が,いかにして地球規模の知識共有環境に参加していくのか,ということだ.

space  通信キャリアによる計画的な設備投資によってインフラを張り巡らせていく公衆通信網とは違い,グラスルーツ的に需要のある部分から比較的低コストにコネクティヴィティを拡げていけるインターネットは,いまだ通信事情の貧弱なレベルにある諸国にとって,大きな意味をもつ.電子メールやネットニューズ,あるいはWebを含む情報資源が,医師やエンジニア,教育者などによって活用されれば,社会システムの維持・向上にかなりの貢献をしうるはずだ.実際,いままでインターネットのコネクションが存在していなかったカンボジアやラオスなどにインターネットの導入を図るため,すでに各種の支援プロジェクトが進行している.たとえば,カナダのIDRC(国際開発研究センター)が,インターネットの接続国拡大のために,機材購入にあてる資金の援助やネット管理者の育成といった事業を行なっている.

 数値的に見たインターネット・コネクションの伸びは,1996年1月までの1年間の成長率で,インドネシア(13.3倍),シンガポール(4.34倍),中国(3.77倍)のように,欧米諸国を上回るホスト・コンピュータ数の増大を示している国が多い.さらに過去3年間の成長を見ても,シンガポール(16.7倍),日本(11.6倍),インド(9.97倍)の成長が目ざましい.

 人口当たり,もしくは国民総生産当たりのホスト数では,必ずしも日本が普及しているとは言えない状況も明らかになる.人口1万人当たりで言えば日本のインターネット・ホストは21.61台で,香港(29.20台),シンガポール(77.69台)より少ない.GNP100万ドル当たりのホスト数は日本(0.07台)に対し,韓国(0.09台),台湾(0.11台),シンガポール(0.41台),香港(0.17台),マレーシア(0.07台)と,アジア諸国が日本を超えるペースでグローバルな情報環境へと直結しつつある状況が浮き彫りになってくる[★2]

 こうした中,アジア域内でプロバイダが共有できる大容量バックボーン(幹線)を整備する動きも始まっている.合衆国中心型で構築・発展してきたインターネットの構造に,アジアの独自性を盛り込もうというわけだ.これまでは,アジアの内部で受発信されるトラフィックも,合衆国のバックボーンを経由して運ばれていたが,それがネットワークに余分な負荷をかけるなどの弊害が指摘されていた.これに対して各地域を直結するバックボーンが構築されれば,今後増大すると予想される企業内のイントラネット,あるいはエレクトロニック・コマース(EC)などのトラフィックにも対応した,ルーティングの効率化やネットワークの負荷分散,通信品質の向上が期待される.

 このため,日本のプロバイダ最大手IIJや住友商事,香港のスーパーネット,シンガポールのパシフィック・インターネットが出資して「アジア・インターネット・ホールディング」が95年秋に発足.A-Boneと呼ばれる域内各国の主要プロバイダ間を繋ぐバックボーンの構築が始まった.すでに香港−日本の間に1.5Mb/s,シンガポール−日本には2Mb/sの専用回線が整備され,98年度までには台湾やタイ,マレーシア,インドネシア,インド,韓国などアジア各国,さらにオセアニアまで含めたアジア太平洋地域の主要国がA-Boneに接続されていく.

 また,ビジネス・ユーザー向けにはA-Boneに直結する共用型のアジア・サーバーが設置され,企業のWebページ開設やエレクトロニック・コマースあるいはCALSを実現するためのプラットフォームとして提供される.

 ケーブル網ではなく,衛星回線を使ったインターネット・バックボーンの構築に乗り出したのは日本サテライトシステムズ(JSAT)で,アジア全域をカバーするトランスポンダを備えた同社の「JCSAT-3」を使い,96年夏からインドネシア,タイ,香港,マレーシア,カンボジア,中国,ヴェトナム,フィリピンなどの諸国を巻き込んだ実験を始めている.いずれにしろ,こうしたバックボーンの強化によって,地域内のインターネット接続環境は大きく改善されることになる.

space  ところで,アジア地域内でのインターネット動向において無視できないのが,各国で強化されつつある規制の問題であろう.宗教的,あるいは国家的なイデオロギー統制などの観点から,インターネット・コンテンツのある種の領域を「有害」なものとみなし,それへのアクセスや発信を禁じるというもので,たとえば,シンガポールでは,96年7月からSBA(シンガポール放送庁)が有害と判断した11分野(暴力やポルノなど国民のモラルに影響を与えるもの,国家安全保障や治安を損なうもの,など)の情報の排除を目的とした規制が導入された.SBAは「有害」なコンテンツの監視や市民からの苦情受付を行なうほか,プロバイダや政治・宗教的内容に関するWebページ制作者の登録制,利用者に対するProxyサーバーへの接続の義務づけ(有害情報に対するアクセス制限),などが規定された.また,中国では,96年1月からユーザー登録制が採られ,一部のネットニューズへのアクセス制限が行なわれていることはよく知られている.物理的な回線の遮断も半ば日常化しているようだ.96年3月にはASEAN情報相会議において,公衆道徳や宗教上の観点から「有害」なコンテンツに対する規制を各国が進めていくことが合意され,監督当局による作業部会が発足している.

 合衆国のCDA法やドイツのコミュニケーション監視法に対する論議をきっかけにして,国家とインターネットの関係性が取り沙汰されているが,とりわけメディアに対する国家統制の色彩の強いアジア諸国で,いまだインターネットへの接続がオープンになっていない段階にもかかわらず,権力による一方的な規制強化が進むことは,「知識のオープンで自由な流通」を是としてきたこの情報環境の「原理」と逆行するものであり,反発の声は強い.しかも,「国境」に相当するネットワークの接続点でそこを流れるパケットを監視したとしても,政府がインターネットの検閲を完全に行なおうとすることはナンセンスであり,宗教的・文化的な風土が異なるASEAN各国が一律の規制に向かうことにも無理がある.それでもなお,規制に向かおうとする各国でインターネット・カルチャーがどのような対応を見せていくのか,注意深く見守る必要があろう.

アジア太平洋ハブを目指す各国

 通信インフラの普及が比較的進んでいる諸国では,アジア太平洋地域におけるデジタル・ネットワークのハブとしての地位を獲得すべく,欧米や日本に匹敵,あるいは凌駕する情報環境を政府主導のトップダウンで整備しようとする,先進的なプロジェクトを展開している.シンガポールの「IT2000」,マレーシアの「ヴィジョン2020」,韓国の「超高速情報通信網計画」は,とりわけ注目される.

  「IT2000」は,「ネクスト・ラップ」と呼ばれる国家ヴィジョンを踏まえ,合衆国よりも一足早く「NII(National Information Infrastructure=国家情報基盤)」という語を用いつつ,シンガポール全土を「Intelli-gent Island」へと変貌せしめるためのプランである.そこには,かつて物財貿易における中継拠点であった同国を,ネットワーク時代におけるアジア太平洋域内の新しいハブとして機能させるための,具体的な推進目標が示されている.

 たとえば,「グローバルなハブの開発」に加え,「生活の質の向上」「経済エンジンの加速」「コミュニティを結ぶ」「個人の可能性の発展」といった観点からの戦略が設定され,市民に提供される各種のアプリケーションと,その利用を支援するためのファシリティ・サービス,およびそれらが送受されるインフラストラクチャーの3つのフェイズが同時展開している.

 96年6月には,IT2000実現に至るまでの中間フェイズといえる「Singapore ONE(One Network for Everyone)」という計画が発表された.これは,国内のインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)各社をATM(非同期転送モード)交換システムと光ファイバーケーブルで構成されるバックボーンに収容し,利用者がネットワークに接続すればどのISPのサービスでも容易に受けられるという,一種の「情報コンセント」を提供するものと見られる.資金を拠出したのはIT2000の旗振り役であるNCB(国家コンピュータ庁)を中心とする政府機関である.インターネットのバックボーンを一元化する発想の背景には,前述のコンテンツ規制が密接に絡んでいるとも言えそうだ.

space  さらにシンガポールでは,97年初めまでに300世帯を対象にインターネットの高速アクセス環境と電子図書館システムへの接続の実験を開始.99年からは,対話型アプリケーションの実験を,2001年までには政府の情報サービスを総合的に受けられるインタラクティヴ・キオスクを各公共機関などに設置し,2005年には全家庭を対象にしたFTTH(Fiber To The Home)化が完了する.すでに大規模なオフィスビル直下には光ファイバーが引き込まれ,IT2000の実現に向け,インターネットを利用した学校教育のパイロット・プロジェクトも96年1月から開始している.

 マレーシアの「ヴィジョン2020」は,2020年までに先進国の仲間入りを果たそうとする同国の国家的な戦略を踏まえ,国内最大の通信キャリアであるテレコム・マレーシアが策定したヴィジョンであり,ネットワークのデジタル化,加入者系の光ファイバー化(2015年完了),通信サービス品質の向上などの目標が掲げられている.

 また,同国では首都をクアラルンプールから南南西20kmにあるプトラジャヤに移転する計画を進めている.2005年完成を目指した「マルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)」と呼ばれる計画では,新首都を中心にATMシステム+光ファイバーによる広帯域ネットワークを建設,クアラルンプールとの間にデジタル技術を基盤とした「回廊(コリドー)」を形成して,この回廊の中に,コンピュータ・通信,ソフトウェアなどの情報関連産業を集積していく.余談になるが,産業誘致に関するスーパーヴァイザーとしてはマイクロソフト社のCEO,ビル・ゲイツが予定されているという.

 韓国の「超高速情報通信網計画」は,政府・公共機関のための共有のインフラとしての国家情報通信網(Gネット),および民間ベースでの建設・運用による公衆情報通信網(Pネット)と,各種の実験プロジェクトの推進のために45兆2443億ウォン(約6兆円)を投じ,2015年の完了を目指している(これと並行して,通信事業への新規参入事業者を許可し,競争促進による市場の活性化も図る).このうちGネットは,行政機関や研究所,大学を接続し,最大でギガビット/秒級のネットワークを構築し,高速LAN間接続やワンストップ住民サービス,電子図書館,遠隔医療,交通総合情報サービス,HDTVによる映像情報サービスといったアプリケーションが試行される.

 一方,Pネットは,第一フェイズとして97年までにソウルと大田(戦略的研究団地が整備中)の間に広帯域の光伝送路とATM交換システムを導入するのを皮切りに,加入者アクセス系の光ファイバー化も推進.オフィス地域や人口密集地域に関しては2002年までに,2015年までには全家庭までのFTTH化を目指している.

APIIは実現するのか

 合衆国副大統領アルバート・ゴア Jr.が,94年3月にブエノスアイレスで開かれた世界電気通信開発会議で提案したGII(Global Information Infrastructure)構想は,G7情報通信サミットなどを経て,その構築が国際社会における共通の問題意識として共有化されており,アジア域内でもGIIの構成要素の一つとなるAPII(Asia Pacific Information Infrastructure)の構築へ向けた各国共同のプロジェクトが始動しつつある.

 APIIは,95年5月にソウルで開かれたAPEC情報通信大臣会議で合意され,次いで同年10月大阪でのAPEC首脳会議で整備のための10の原則と7つの行動計画が発表された.大阪会議で合意されたAPIIの目標とは――
「地域において相互接続された,相互運用可能な情報インフラの構築および拡大の円滑化」
「インフラの開発におけるAPECメンバー間の技術協力の奨励」
「情報の自由かつ効率的な流通の促進」
「人材の交流および養成の促進」
「APIIの開発に望ましい政策と規制環境の創出の奨励」
――の5点で,これを踏まえ,APEC加盟諸国それぞれが国内の情報インフラの構築を促進すること,柔軟な政策・規制の枠組みを創出すること,先進諸国と開発途上諸国のインフラ格差を縮小していくこと,文化的・言語的多様性を含むコンテンツの多様性の確保,知的所有権やプライヴァシーおよびデータ・セキュリティの確保,といった原則が採択された.また,各国共同の取り組みとしては特にエレクトロニック・コマースの推進が重視され,中小企業を含むビジネス・ユーザーを対象にした次世代電子商取引実験(INGECEP)を,インターネットおよびATM網の上で展開すべく準備が進んでいる.

 さらに,96年9月には,オーストラリアのゴールドコーストで2回目の情報通信大臣会議が開かれ,a)パイロット行政情報網,b)ルーラル開発のための新サービス, c)相互接続および相互運用性のためのテスト・ベッド,d)情報共有およびデータベース開発,e)遠隔医療,遠隔教育およびマルチメディア通信,f)先進エコノミー・開発途上国エコノミー間のAPIIに関する政策対話,g)情報社会の社会・経済的影響の研究――の各共同プロジェクトの推進がうたわれている.

space  焦点は,経済的にも文化的にも幅のあるアジア諸国と共同歩調をとりつつ,こうしたブロック化された情報圏が形成しうるのかどうか,ということだろう.とりわけ,世界的な通信マーケットの自由化傾向の中で,国境を超えたビジネス展開を進めようとしている合衆国などの先進国グループと,自由化・民営化による効果や技術導入の利点は認めながらも,基幹インフラの運営実権を奪われることを警戒する,いわゆる途上国グループとでは,APIIに対する思惑が異なるのは明らかだ.その実現への道のりはけっして平坦ではない.

越境する衛星テレビ

 インターネットと並んで,アジア域内における情報環境のボーダーレス化を加速させているもう一つのメディアがテレビだ.90年代になって続々と打ち上げられている通信衛星によって,国家による放送メディアの統制は事実上無効になりつつあり,アジアの文化的共時性を強めている.

 とりわけメルクマールとなったのは,言うまでもなく91年のSTAR TV(Satellite Television Asian Region)の放映開始であろう.香港の実業家リー・カーシン(李嘉誠)によって設立され,現在はオーストラリアのメディア王,ルパート・マードックの手に渡ったSTAR TV.それは,アジア全域とオセアニアを含む53カ国,27億人もの潜在視聴者層に,同時に映像プログラムを送り届けることのできる,世界最大の衛星テレビである.現在の放映チャネル数は8つ,英語,中国語のほかにヒンディ語のプログラムも提供されている.92年5月に起きたタイの民主化運動の武力鎮圧事件では,報道管制を敷く地上波に代わってSTAR TVの報道映像がテープ録画されて街頭に出回ったり,その内容をもとにした口コミやファクシミリでの「報道」がまたたく間に事の真相を伝え,メディア統制を前提とする権力の目論見は崩れさった(事件後にタイ政府はテレビ電波の民間への開放を余儀なくされている).

 STAR TVの開局を起点として,アジアでは本格的な衛星テレビの競争時代に突入した.93年にはTVB(Television Broadcasts,無綫電視)の衛星波が,94年にはCTN(Chinese Television Network,傅訊電視),CETV(China Entertainment Television Net-work)が放映を始めたほか,CNN,BBC,MTV,ESPNなど欧米系の衛星チャンネルも多数参入している.いまや,アジアをカヴァーする静止軌道からのテレビ電波はおよそ200チャンネルに達しており,今後デジタル伝送技術の導入が進むことによって,そのチャンネル数はさらに4倍から6倍に膨れ上がる可能性がある.

 このほか,76年に最初の通信衛星パラパを打ち上げたインドネシアはアジアにおける衛星利用の最先進国であり,「オープン・スカイ・ポリシー」に基づき衛星波の受信に対する規制は行なわれていない.周辺諸国へのトランスポンダ提供も当初から行なわれており,日本が近年まで一国衛星主義を堅持していたのとは対照的だ(その一方でスハルト大統領の独裁体制下における国内報道メディアの統制は厳しいものがある).韓国では,95年に最初の通信衛星ムグンファが打ち上がり,96年7月から実験放送が始まっている.

 地上に目を転じると,ケーブルテレビ(CATV)は中国と台湾での普及が目につく(現地事情については別稿を参照されたい).台湾では,80年代にわたって「第四台」と呼ばれる闇ケーブル業者が急速に台頭し,国民党の息のかかった地上波局よりも圧倒的な人気を集めるに至った.そのコンテンツ・リソースとなったのは,日本から数日を経ずして届けられる海賊版のビデオ(テレビ放映を録画したものも含まれる)であり,80年代後半からは日本の衛星波のスピルオーヴァーを受信することが流行り,パラボラの設置が公認されたという経緯がある.その後,放送衛星のビーム収束によって台湾を含む日本周辺地域での直接受信が難しくなり,多チャンネルのCATVへのニーズは一気に高まった.93年には有線電視法が制定され,第四台は非合法から制度化された放送へと躍り出ることとなった.

space 衛星波から供給される膨大な映像コンテンツの洗礼を受けた台湾では,これまでの蓄積をもとに,対外的な発信を積極的に進める戦略が採られつつある.政府の策定による,アジア太平洋地域での「メディア・センター」構想は,まさに衛星・ケーブル網をターゲットにした映像コンテンツの供給拠点を指向するものであり,熾烈な競争下で培われてきた映像コンテンツ資産の拡充と生産力の拡充が狙いだ.

 一方,大陸の側では,96年夏現在で全国4000万世帯がCATVに加入しており,その規模において21世紀には現在の最先進国である合衆国を凌ぐことは確実と見られている.ただし,これは明らかにパラボラの個人所有による衛星テレビの直接受信を認めない政府当局の方針によるものであることは言うまでもない(中国は93年10月から直接受信を禁止している).つまり,CATVは大陸中国にとって,多チャンネル化による視聴者の情報消費への欲望に応えつつ,無制限な情報流入を回避するという,格好のメディア環境となっている.しかしながら,インターネット規制と同様に,この種のメディア統制がそう長続きするとは考えにくい.問題は,いつ,どのようなかたちで統制が開放へと向かうのかだ.

 以上,固定電話から放送メディアまで含めたアジア域内の情報インフラが「後進」から「先進」へと向かいつつある状況を走査してみた(このほかインフラに含まれるものとして,コンピュータ・プラットフォームの動向や漢字を含む文字コード体系の標準化,といった話題も盛り込むべきだったが,紙幅の関係上,フォローすることはできなかった).

  「アジアの世紀」の到来は,急速に社会化されつつあるデジタル・メディアの分野においても間違いないものと予見できる(繰り返すように,その道のりが紆余曲折を伴うことは言うまでもないが).新しいテクノロジーの導入が,「後進的」であった地域の情報環境を一気に底上げし,そこに育ってきた多様な文化資源と出逢うことによって,情報文明の新しい可能性を胚胎させることだろう.

■註
★1――固定電話の普及率については『Asia-Pacific Telecom Analyst』(1996.4)を,また普及の伸び率については『通信白書』(平成8年度版)を参考にした.
★2――ホスト数の伸び率については『通信白書』(平成8年度版)を,人口比・GNP比のホスト数については財団法人全国中小企業情報化促進センターの報告書「平成7年度中小企業国際情報ネットワーク事業関連調査報告書」を参照した.

(わたなべ やすし・メディア論)

[取材協力]
隈元信一氏(朝日新聞学芸部),舛谷鋭氏(早稲田大学語学教育研究所),武川恵美氏(情報通信総合研究所海外調査第2部),李双龍氏(東京大学社会情報研究所),金亮都氏(同前),胡暁萍氏(同前)



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