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ジェイ・デイヴィッド・ボルター『ライティングスペース....電子テキスト時代のエクリチュール』

1991
葛山泰央

 本書は「印刷時代末期」に生きるわれわれにとって来るべき「電子テクスト時代」における書くこと(ライティング)の問題を考えさせてくれる一冊である.著者であるボルターによれば,書くことの伝統的な諸技術(古代のパピルス・ロール,中世の写本,近代の印刷書籍)の中でコンピュータ・ライティングは,先行するどの技術よりも「流動的でダイナミックなものである」とされる.この流動性やダイナミズムは電子ライティングに固有のものとされるが,果たしてそう言い切れるであろうか.それはこのエクリチュールの新たな様態を今世紀におけるモダニズムの運動と並べてみることで明らかになるであろう.

 20世紀の文学を特徴づけているさまざまなモダニズム的実験は,近代的な文学空間がいわばその内部から自らの偶像を破壊しようとした,苦肉の運動としてこれを捉えることができる.それが一つの自己矛盾であることは,この運動が印刷文化の効果として産み出されてきた文学的形象の破壊を,ほかならぬ印刷文化の枠内において遂行しようとした点に基づいている.これに対して,「エレクトロニクス文学」における偶像破壊は,著者によれば,こうしたモダニズム的実験の伝統を受け継ぎつつも,それを「電子メディア」という別種のテクノロジーにおいて代行する点で,かかる実験的伝統が抱えてきた限界を克服する可能性を持つものとされる.

 しかしながら,この肯定的な評価を踏まえた上でもなお,この新たな偶像破壊が果たしてモダニズムの内在的な限界を突破できるのか,それともその転覆の単なる繰り返しに止まるものなのか,という疑問は残る.著者の言う通り,モダニズム的実験は確かにその転覆的性格を拭い去ることはできないものの,現時点においては,印刷文化ならびにその効果として産み出された形象の多くを浮かび上がらせているようにも思える.とすれば問題は,印刷文化に反=印刷文化(ここには無論「電子文化」も含まれる)を対置することではなく,むしろその内部から自らを破壊するかのように現われる要素を産み出してしまうような印刷文化の規定力とその不気味さを捉えることではないだろうか.

 ここで本書の内容を大きく逸脱してしまったように思われる向きもあろうが,著者がしばしば用いる「印刷テクスト/電子テクスト」「印刷文学/エレクトロニクス文学」という区別があくまでも「概念的な」ものであることに注意を促しておこう.このことを読み書きのプラクティカルな水準で考えるならば,これら二つはしばしば相互に汚染し合っているはずである.著者の言うように,われわれが「印刷時代末期」から「電子テクスト時代」ヘの移行期に置かれているならばなおさら,われわれの読み書きの実践は重層的に決定されているはずである.ところで,この重層性は恐らくは身体感覚の次元に定位することではじめて見えてくるものであろう.というのも,もし仮に(印刷メディアを踏まえた)モダニズム的実験の電子メディアヘの拡張が「ごく自然なもの」として受け止められるのだとすれば,それはわれわれが両者を通過するような身体感覚を何らかの形で保持しているからである.われわれは少なくとも実践的な次元では,相異なるテクノロジーを横断するなかでそれらの重層的な効果にさらされる身体(性)を形成している.このことと関連するさらに根本的な問題として,「印刷からエレクトロニクスへ」という技術の展開自体が印刷文化の内部で生じている可能性がある.このことは例えば,われわれの持つ文学的想像力が印刷のテクノロジーによって深く規定されていることを想い浮かべてみても分かる.確かにそれが中世の羊皮紙や電子メディアと親和的であり,そこにおいて十分な発現をみるものであるとしても,われわれは先行あるいは後続するテクノロジーを印刷文化との関連において理解するほかないのである.

 以上の問題は次の一点に関係している.それは一体何が「電子メディア(電子テクスト)」に固有の特徴なのかということだ.本書ではそれに対して答えようとするいくつかの試みがなされており,いずれも興味深い論点を含んでいるのだが,なかでも最も注目すべきは「電子的ライティングにおける新しい次元の創造性」の問題であろう.著者によれば,この新しいレヴェルの創造性とは「ロマン派の芸術家の見かけ上のオリジナリティーと伝統的な読者の見かけ上の受動性との中間に位置する無数の新しいレヴェル」を決定している,とされる(p.279).本書が戦略的に提示しようとした,新しいエクリチュールの可能性の中心はどうやらこの辺りにあるのかもしれない.

(かつらやま やすお・社会学)

ジェイ・デイヴィッド・ボルター『ライティングスペース....電子テキスト時代のエクリチュール』(黒崎政男+下野正俊+伊古田理訳),産業図書,1994.

    

■関連文献
ジャック・デリダ『根源の彼方へ....グラマトロジーについて(上・下)』(足立和浩訳), 現代思潮社,1976.
大澤真幸『電子メディア論』新曜社,1995.
マーク・ポスター『情報様式論』(室井尚訳),岩波書店,1991.
ウォルター・オング『声の文化と文字の文化』(桜井直文,林正寛,糟屋啓介訳),藤原書店,1991.