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クリフォード・ストール『カッコウはコンピュータに卵を産む』

1989
野々村文宏

 もともと天文学が専門ながら,さすがにそれだけでは食えないので,自分の勤める研究所のLAN(ローカル・エリア・ネットワーク,研究所内のコンピュータを結んだネットワーク)のシステム管理者を兼任している主人公クリフォード・ストールが,社内のネットワーク利用の計算書が75セントだけ合わないところに疑問を持ったところから,この物語,いや「実話」は始まる.原題の「カッコーの卵」とは,カッコーのいわゆる托卵(違う鳥の巣に自分の卵を産み込み,本当の親ではないその鳥に卵を温めかえしてもらう)と,ハッカーが外部のコンピュータ・ネットにそっと自分のプログラムを残していくことを,引っかけたものである.数字が75セント分合わないところから,主人公=筆者はハッカーの托卵に気付き,やがてアメリカとヨーロッパを股にかける大捕物....もっとも,通信を通じての,だが....の冒険に出かけるのである.

 本書は何通りにも読める.たとえば,古き良き時代のフェアリー・テールとして.なにせ研究所内の回線速度が9600ボー,外部から電話線を使ってリモート・ログインしてくる速度がたったの1200ボー(この「ボー」という言葉も死語.現在はbpsと表記する)という牧歌的な時代なのである.今,自宅でWWWをダイヤルアップ28800bpsで見ていて「遅い」とお嘆きの貴兄,1200ボーと言えば,いまの読み込みの22−23倍もかかるのだ.もちろんその当時は,WWWなど無く,一般にはテキスト・コードしか送っていなかっただろうが.しかし,それでも本書中に,ARPAネットからNSFネット,そしてインターネットへの予兆は十分に感じられ,こと通信環境に関して,20世紀後半が画期的な躍進を遂げていたこともまたよくわかる.また,本書で登場する侵入者の所属するドイツの「カオス・コンピュータ・クラブ」は,本誌でも武邑光裕が触れ,またデヴィッド・デヒーリも取材したことがある,実在するハッカー・クラブである.

 ところで,何通りもの読み方ができるとさきほど書いたが,とくに過激に,本書を読み替えてみよう.本書は,すぐれた他者論として読める.文中で,第一人称である主人公にとって,見えない侵入者の行動を推理し予測するためには,その侵入者のモデルを内面化しなければならないことにお気付きだろうか.

 すなわちそれが,本書が全米でかなりの売上を達成した理由なのである.お気付きだろうが,本書を貫いている時間の流れ,つまり,他者の行動を推理予測し主体の行動に組み込んでいく流れは,実に古典的で正統な推理小説に見られる筋の運びなのだ.したがってこの本は,日本語版の帯に引用された書評にもあるように「上質のミステリー」(『コスモポリタン』誌),「90年代のスパイ小説」(トム・クランシー)として全米で売れたのだ.極論してしまえば,たとえば『アーサー王物語』を読む際に,狂言回し役の魔術士マーリンはアーサー王の内面の投影であり,実は存在しない,と読むことができるように,もしも本書がフィクションであるならば,ハッカーはいなかった,とも読めるか,もしくは江戸川乱歩の探偵小説ばりに,主人公こそ犯人だったのだ,というあからさまなオチが付いてもかまわないのである.しかし,そのような読みが許されないのは,本書が事実にもとづいたドキュメンタリーだからであり,その意味でも本書は,入れ子状の読む楽しみをわれわれに与えてくれるのだ.....そして,もちろんこのような深読みは,ネットワーク社会を社会学的に考察するうえでも示唆を与えてくれるし,なによりネットワークにまつわる意識を作品化しようとするアーティストにとっては,実に多くの示唆をふくんでいる,絞っても絞っても果汁の出る黄金のオレンジのような本なのだ.いま,遠隔地からアクセスしてきている「あなた」とはいったい誰なのか? モニター上に映るあなたの顕在(appearance)は現存(presence)なのか,または,表象無しのあなたの存在を,私はなにかの痕跡から類推できるのだろうか.....

(ののむら ふみひろ・VR,マルチメディア研究制作))

クリフォード・ストール『カッコウはコンピュータに卵を産む』上・下巻,(池央耿訳),草思社,1991.

    

■関連図書
橋本典明『リアル・ハッカーズ』アスキー,1996.
岡嶋二人『クラインの壷』新潮社,1989.