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ポール・ヴィリリオ『戦争と映画―知覚の兵站術』

1984
葛山泰央

 本書は20世紀を通じて発達してきた戦争のテクノロジーが人間の知覚(特に視覚やそれと連動する身体的な運動感覚)に対していかなる変容をもたらしたのかということに関する考察である.そこでは今世紀における戦争の空間が映画的仕掛けを備えていることが指摘され,様々な軍事・映像技術との関連で,その空間が映像の積み重ねとして次第に構成されるに至った歴史的経緯,並びにそのことが人間の知覚に対して引き起こした変容について語られている.

 著者ヴィリリオが本書において最も強調するのは,戦争の空間が虚像に支配されることであり,しかもそれらの繰り出される仕方が当の空間に映画的構造を与えることである.今世紀を通じて戦争に対するテクノロジーやメディア化の要請が強化された結果,戦争は(戦場からは遊離した場所で)過剰に産出される幻想となった.そこで「現実」は,映画を鑑賞する際に求められる眼と身体の態勢(「知覚の兵站術」)の下で初めて到達しうる世界になったのである.
 本書はこのような基本的立場から20世紀における戦争テクノロジーの歴史を以下のように叙述する.今世紀の初めに姿を現わした「光の戦争」は,従来の戦争にはみられない新たな構造を備えていた.戦闘が繰り広げられる空間はどこか光学的であり,さらに言えば,映画的であった.

 第一次世界大戦は歴史上初めて媒介的戦闘を軸に展開された戦争であった.そこで戦闘は不可視の状況において継続されるものとなったのである.従来の戦争の中心的な戦略が,最良の手段を駆使して視界を切り開くことであったのに対し,新兵器が過剰なまでに重要な役割を演じたこの戦争では,戦闘のイメージを予め想定することが欠くべからざる作業になった.かつてベンヤミンは「経験の貧困」の中で,第一次世界大戦からの帰還兵たちを一様に包み込んだ「沈黙」について触れたことがあるが,本書に照らして言えば,彼らを包み込んだあの沈黙は,経験の貧困さから生じたものではなく,むしろ経験のある種の過剰から生じたものということができるだろう.不可視の戦闘状況とそれらが産み出すおびただしい虚像ないしはイメージの拡がりを前に,人々は困惑のあまり,沈黙を強いられることになったのである.

 第二次世界大戦における「電撃戦」は,眼の錯視と身体の運動錯覚との融合を介して妄想が産出される場であった.戦闘の空間はモノと映像と音とが渾然と行き交い,それぞれが伝播の速度を争う場になるだろう.空間のこうした性格は,戦闘機のパイロットたちに一種の「複視的能力」を与えることになった.すなわち,一方で透明な大気と肉眼による視界が,他方で透明なエーテルとテレビによる視界が,彼らの視線を構成する.その結果ただ一つの戦闘の現実は近接/遠隔からなる二つの軍事空間へと分裂することになった.

 ヴェトナム戦争以後,70年代全般を通じて,戦闘はさらに技術介在性を強め,パイロットたちの「人格崩壊」を大いに進行させる.そこでは戦闘開始とともに「どのパイロットも困惑し恐怖に襲われて,だれがだれに語りかけているのか自ら問い続けるほかなかった」のである.ヴェトナム戦争におけるこの感覚の錯乱状態は,様々な技術の介在によって産み出された「めまい」のようなものであった.この段階で戦争のテクノロジーは現実とその模像を識別できない,精神の混乱状態を産み出すことになったのである.

 ヴェトナム戦争以後になると「電子戦争」の精密化に力が注がれるようになる.さらに70年代後半から軍事シミュレーションの使用が増大することで,「現実不在化」の動きに拍車がかかる.これ以後,単に戦闘機を操作する訓練のみならず,現実を模擬した光学的イメージを操作する訓練が必要となる.いまや戦争はその現実らしさをすっかり喪失した.訓練は「戦争ゲーム」の様相を強めるばかりである.

 本書を通読して改めて教えられるのは,いまや戦争の現実なるものはどこにも存在しない,ということだ(「湾岸戦争は存在しない」).20世紀末を生きるわれわれにとって,戦争のリアリティに当たるものがもしあるとすれば,それは増殖する虚像の中で与えられる崩壊の感覚をおいてほかにないのではないだろうか.

(かつらやま やすお・社会学)

ポール・ヴィリリオ『戦争と映画―知覚の兵站術』(石井直志+千葉文夫訳),UPU,1988.

    

■関連文献
ポール・ヴィリリオ,シルヴェール ・ロトランジェ『純粋戦争』(細川周平訳),UPU,1987.
ジル・ドゥルーズ,フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(宇野邦一他訳),河出書房新社,1994.
Jonathan Crary, Techniques of the Observer: On Vision and Modernity in the Nineteenth Century,MIT Press, 1990=遠藤知巳訳,十月社近刊.