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ダグラス・R・ホフスタッター『メタマジック・ゲーム....科学と芸術のジグソーパズル』

1985
東浩紀

 本書は1985年に出版された(邦訳は90年).あのベストセラー『ゲーデル,エッシャー,バッハ』(以下『GEB』と省略,79年,邦訳85年)の著者ダグラス・ホフスタッターが,81年から2年半にわたり科学雑誌に連載したコラムと,それとほぼ同量の書き下ろしからなるエッセー集だ.一貫した企図の下に書かれた『GEB』に対して,本著は,各章独立の構成になっており,ある意味で読みやすい.邦訳で800頁近くになる『GEB』を一読する時間と気力に恵まれなかった人は,是非この本を,適当な章から拾い読みして頂きたい.ゲーム理論,分子生物学,ショパン,ナンセンス文学等々について興味深い論考が一杯につまっている.

 一例を見てみよう.ある章で,ホフスタッターは字体の例を取り挙げる.

AもAもAもAも同じAだ.
しかし,これら複数のAに共通する,いやそもそも可能なAの字体すべてに共通した諸特徴を定めることは可能だろうか? ホフスタッターの結論は否定的である.可能なAの字体すべてを産出する諸規則を決定することは,数学的にできない.この不可能性が,ゲーデル的決定不可能性と同型であることはたやすく証明できる.ではここから何が分かるか? ここで問題になっているのは,字体の幾何学的認識能力というよりむしろ,極めて抽象的な「A」概念を把握する能力だ.ある概念の内包を,完全かつ無矛盾に規定することはできない.にも拘わらず,私たちはある概念の同一性をかなり容易に把握し,それによって,新しい字体が出てきたとき,これはAでありあれはAでないということを素早く認識できる.これはつまり,人間の字体認識が,ゲーデル問題に陥るような回路とは別の回路でうまく成立していることを意味する.したがって「人間が行っているのと同程度の柔軟性で字体を扱うことができるプログラムは,知能の全特質を備えていると言ってよい」

 20代の頃のホフスタッターは,インド周辺の言語・文字に興味を抱き,オリジナルの文字体系を創作していたらしい.その成果は各章扉頁に描かれた複雑な文字絵に活かされているのだが,この本を読むと,彼にとって,そんな微笑ましい手作業と極めて形式的・数学的な考察とが完全に等しいことがよく分かる.これは極めて大事なことだ.「ゲーデルの不完全性定理」は,今世紀において極めて強力な哲学的隠喩であり続けてきた(例えばラカン).前著『GEB』もまた,ともすれば,バッハもエッシャーもゲーデルの変奏に過ぎず,人間の知性の秘密はすべて不完全性定理の中にこそあるといった主張の本として理解される傾向がある.しかし,そのような過度の抽象化は思考を停止させる.他方,ホフスタッターの意図は全く逆だ.彼はむしろ,世界の多様性に目を開くことの重要性を訴える.認識には様々な層が関与しており,人間の知性はそれら複数の層を同時に処理することができる.ゲーデル問題は,その複数性を忘却し単一レヴェルに形式化したときにのみ現われるに過ぎない.それゆえ,ホフスタッターは文字について考え続けるし,人工知能の研究を諦めることもない.ゲーデル問題により人工知能の破産を宣告するような議論は,単に,人間を単純化・神秘化しているだけだ.彼は楽観的である.そして私は,この明るさは非常に貴重なものだと思う.

(あずま ひろき・表象文化論)

ダグラス・R・ホフスタッター『メタマジック・ゲーム....科学と芸術のジグソーパズル』(竹内郁雄+斉藤康己+片桐恭弘訳),白揚社,1990.

    

■関連文献
 まず,すでに幾度も言及したホフスタッター『ゲーデル,エッシャー,バッハ....あるいは不思議の環』(野崎昭弘他訳,白揚社,1985).これは名著であり読んで損はない.
 つぎに,日本における「ゲーデル問題」の全面的哲学化の代表例.柄谷行人『隠喩としての建築』(1989),『内省と遡行』(1988)(ともに講談社学術文庫)は,20世紀の思想的・芸術的諸問題の多くがゲーデル問題の変奏だと主張する.なかなか迫力のある議論だ.
 3点目は,ゲーデルの不完全性定理を数学的にきちんと追ってみたい人へ.前原昭二『数学基礎論入門』(朝倉書店,1977)は,学問的緻密さを失わず入門書として成立している好著だ.