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ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』

1984
東浩紀

 84年に刊行された記念碑的小説(邦訳は86年).SFの文脈では,「サイバーパンク」と呼ばれる一潮流を生み出したことで知られる.より広い文脈では,82年に封切られた映画『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督)と共に,80年代以降の都市,テクノロジー,メディアその他に関する言説/イメージを決定的に方向付けた作品として有名.90年代半ばを過ぎた現在も,いまだ,両者の磁力圏を内破させる新しい都市イメージ,メディアイメージは生み出されていない.従って必読の書である.

 筋を紹介しておこう.主人公ケイスは元職業ハッカー.この時代ハッカーは,高度に発達した生体神経系インターフェイスを用い,意識自体をサイバースペース内に投射する.ある裏切りのためその能力を奪われた(神経系を損傷された)ケイスは,能力回復を求め,世界最高のテクノロジーを持つ千葉市のダウンタウンを彷徨する.治療は成功するが,その代償として,彼はいささか奇妙な仕事に巻き込まれてしまうだろう.奇妙というのは,依頼主の正体と目的が不明だからだ.要求された仕事をこなし,千葉から合衆国東部,イスタンブール,最後はラグランジュ点に浮かぶスペース・コロニーへと移動するケイスは,物語の進行とともに,徐々に真の依頼主へ近づいていく.そしてどうなるか? 最終的に彼が出会うのは,「冬寂」と呼ばれる巨大な人工知能が地球全体を覆う一つの母胎(マトリックス)=集合精神と化しつつある姿だ.しかもケイスは,サイバースペース内に,もう一人の自分が,集合精神に取り込まれた形ですでに存在していることに気付くだろう.そこでの彼は,外傷が癒され,女性とともに,死者さえも復活する母胎的仮想世界の中で安らいでいる…….

 本書の面白さは三重である.まず第一に,本書は,古典的筋立てを整えたなかなか泣かせるハードボイルド小説だ.殺人もあればセックスもある.この点はまず評価されるべきだろう.第二に,本書は,極めて刺激的かつ予言的な都市,テクノロジー,メディア・イメージに満ちている.特に冒頭の千葉市(生体−情報テクノロジーが高度に発達した,退廃的な東洋の多国籍犯罪都市)描写は圧巻であり,ある意味で『ブレードランナー』を超えている.また,繰り返される「サイバースペース」(この語自体がこの小説の登場で一般化したものだ)内への没入(ジヤック・イン)シーンは,インターネットの全面化だけでなく,ヴァーチュアル・リアリティの問題系の出現を正確に告知している.本書が多くのアーティスト,作家,研究者たちに衝撃を与えたのはこの点においてであり,必読の所以だ.第三に本書は,その存在自体が徴候的であり,分析に値する.例えば,影響関係がないにもかかわらず,その都市描写は『ブレードランナー』の映像に酷似している.何故か? 無論それは,その二つの作品がそれぞれ,80年代中期における現実の社会的欲望を写し取ったものだったからに他ならない.また,サイバースペース=集合無意識=母胎(マトリックス)という隠喩連関も,ユング/マクルーハン以来のメディア論を規定しているひとつの徴候だ.本書の刊行から10年以上が過ぎた今,私たちは,そろそろ80−90年代の「メディア・イデオロギー」自体の批判的検討を始めねばなるまい.そのためにも本書の再読は不可欠である.

 さて,関連書を3冊.1冊目は,ギブスンは読みたいが本書は長すぎるという人へ.『80年代SF傑作選(上)』(小川隆,山岸真編,ハヤカワ文庫,1992)所収の短編「ニュー・ローズ・ホテル」を読むといい.この短編は美しい.「都市的なもの」「メディア的なもの」のギブスン流美的・ロマン主義的変容の白眉である.2冊目は,ギブスンとブルース・スターリングの共著『ディファレンス・エンジン(上・下)』(黒丸尚訳,角川文庫,1993).蒸気機関で動くコンピュータが登場する,19世紀大英帝国が舞台の少し変わったサイバーパンク作品.妙なガジェットが出てこない分,サイバーパンク的世界観の本質を掴むことができる.3冊目は,フィリップ・K・ディックの長編『ヴァリス』(大滝啓裕訳,創元推理文庫,1990).81年に発表されたこの作品もまた,無意識=サイバースペースの問題を,ギブスンとは全く別の角度から扱っている.ギブスンを相対化する上で参考になるテクストだ.

(あずま ひろき・表象文化論)

ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(黒丸尚訳),ハヤカワ文庫,1986.