back tocontents
bookguide50
24
C・P・スノー『二つの文化と科学革命』

1959
桂英史

 「二つの文化」と聞いて,何を思い浮かべるだろうか.ある人は「東洋と西洋」と答え,人によっては「男性と女性」を問題視するかもしれない.本書は,1959年5月にケンブリッジで行なわれたあまりにも有名な講演「二つの文化」をはじめとして,関連する講演や反響に応えたエッセイなどを集成したものである.物理学者でもあり小説家でもあったスノーが問題視した「二つの文化」とは,平たく言えば,「文科系と理科系」(スノーは「科学的文化と文学的文化」という表現を用いている)である.本書は「ソ連とアメリカ」という「二つの世界」が極度の緊張を深めていた時期に発表され,「二つの文化」の断絶と葛藤あるいはその弊害が批判的に論じている.そして,その批判の矛先は主にさまざまな特権を依然として固持しようとしていた文学的知識人に向けられている.文学的知識人とそこに渦巻く特権が,20世紀後半のダイナミズムに見合わないことを直感し危機感を表明したのだ.教育問題や第三国への援助問題も含んだ諸問題がわかりやすく論じられていたため,イギリス国内外で大きな反響を呼んだ.

 スノー自身も指摘していることであるが,文化の安易な分類はナンセンスである場合が少なくない.ただ,「二という数字は非常に危険である」(p.17)というスノーの指摘には,ひとまず耳を傾けておかなければならない.一見して相反する二つの文化的なコードを内蔵する分裂症的な状況,つまりモダニストが陥りやすい二重の拘束状態にとって,「二つの文化」は最も象徴的な表現である.「二つの文化」は,「教育の専門化」や「(イギリス)社会の保守化」という観点から,まったく折り合う余地がないように見える分裂症的な文化状況の危険性を象徴的に表現している.

 皮肉にも,スノーの警告は,その後イギリス国内外で指摘される「英国病」を予言することになってしまった.「二つの文化」というモダニストが陥る二重の拘束状態という根本的な問題について,単に分析結果に感心したり面白がったりしてみても仕方がない.分析がなされるだけでなく,分析の手法がその内容を映し出すような形で進行していくような対話的な状況が作り出されなければならない.対話的な状況があってこそ,「二つの文化」がさらに差異化していくプロセスとそのディレンマを読み取ることができるだろう.そこにテクノロジーを巻き込んだ問題提起的な分析手法が導入されるとすれば,スノーが望んだような「おたがいがぶつかりあい,話しあうこと」(p.27),言い換えれば自己組織的な実践が立ち現われてくることになろう.そのことを,われわれは「オートポイエーシス」(マトゥラーナ)や「双対性理論」(バレーラ)といった新たなシステム観に学ぶこともできる.

 結論を急ごう.スノーは間違いなく誠実なモダニストであった.それは「モダニストの最も偉大なものは,ドストエフスキーの創作のように,変転する文化の起伏を越えて泳いでいくであろうことも認めざるをえない」(p.130)というスノーのモダニスト観にも表われている.

 ベンヤミンは「歴史主義は歴史のさまざまな契機の間の因果関係を確定することで満足する」と述べたことがある.その古い支配階級が固執する歴史主義をめぐって,「われわれがもっとも望むものは,そしてこれこそ私の議論の核心をなすものであるが,知的な水準において,コメニウスのいわゆる,理解の第一段階に到達すべきだということである」(p.146)とスノーは述べる.コメニウスを持ち出すあたり,「マリエリスム再考」が「西洋の没落」(「英国病」ももちろん含まれるずだ)といった自閉症的な症状を克服するはずだと直感していたようにも思う.このようなスノーのモダニストとしての誠実さは,教育の根本的な改革を声高に提言する真摯な語り口となって本書に溢れている.

 20世紀の終焉を見届けようとしているわれわれの今日的な状況においても,広い意味での「教育」がすでに大きなテーマとなっている.世界中が「第二の啓蒙主義」を待望しているかのようでもあるが…….

(かつら えいし・文献情報学)

C・P・スノー『二つの文化と科学革命』(松井巻之助訳),みすず書房,1960.

    

■関連文献
トーマス・クーン『科学革命の構造』(中山茂訳),みすず書房,1971.
ジル・ドゥルーズ,フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(宇野邦一他訳),河出書房新社,1994.
モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ....世界の再魔術化』(柴田元幸訳),国文社,1989.
エドワード・サイード『知識人とは何か』(大橋洋一訳),平凡社,1995.