back tocontents
bookguide50
17
ノーバート・ウィーナー『サイバネティックス....動物と機械における制御と通信』

1948
沼田寛

 この本の初版が出版されたのが,1948年.同じ年に出たシャノンの『コミュニケーションの数学的理論』とともに,情報科学の成立を告げるマニフェストと言えるだろう.

「それでわれわれは制御と通信理論の全領域を機械のことでも動物のことでも,ひっくるめて‘サイバネティックス’(Cybernetics)という語でよぶことにしたのである.これは‘舵手’を意味するギリシャ語κυβερνητησからつくられた語である」(序章,pp.14−15)という造語の由来については,よく知られている.そして,今日「サイバーなんとか」という言葉が洪水のように溢れているわけだが,本元の原典のほうが読まれることは少ないのではないだろうか.

 この本は必ずしも読みやすいものとは言えないが,この半世紀の歴史をふりかえりながら開いてみると,なかなか興味深く読める.この分野が社会に与える影響の巨大さを確信しつつ,ウィーナーは序章の末尾に,かなりペシミスティックな予想を書いている.「この新しい領域の研究によって人類と社会の理解を深めることができるという善い成果が挙がり,その方が,危険よりもずっと大きいという希望をもつ人々もいる.私は1947年にこの本を書いているが,そういう希望は根拠薄弱であると言わねばならない」(p.36).

 科学技術的な予想もいろいろ述べられていて,時系列パターンを複製するシステムを考察した箇所では,遺伝子もこれと類似したものではないか,とウィーナーは書いている.その後の遺伝子=DNAという常識からすると「はずれ」だが,発生などを考えている生物学者の中には,案外いまだに魅力を失わない予言とみなす人もいるかもしれない.

 ウィーナーは,やや躁鬱の気のある,感情の起伏の激しい人だったようだが,この本にも乱れた起伏みたいなものが感じられる.なにか,水と油が分離したドレッシングといった趣きで,確率過程や時系列解析と制御の数学理論をえらく教科書的に書いた部分と,生物・医学・工学から社会・文明まで,関心をもった現象についての彼の思いつきを「はしゃぎすぎ」といった調子で書いたエッセイふうの部分とが,交互にやってくる.

 1940年代にウィーナーとローゼンブリュートを中心とする,研究者たちの異業種交流サークルが盛り上がったことは有名だ.サイバネティックス理論の孵化器となった,このサークルに参加した数多くの人たちの名前が,本書の序章に挙げられており,マーガレット・ミードやベイトソンの名も見える.

 そして,このサークルを含め,第二次世界大戦という大きな時代背景がある.よく知られているように,戦闘機を撃墜する高射砲の性能向上をはかるための,予測と制御の工学がサイバネティックス理論のベースになった.ちなみに,この予測理論をまとめた黄表紙の冊子は,戦時中は機密扱いで流通したが,あまりの数学的難解さゆえ「黄禍(イエローペリル)」と呼ばれたという.さすが神童,と言うべきか.

 戦時研究と,大戦を挟む時期の流動的な人間交流からウィーナーが発見したのは,無数の多様なコンテクストに置かれたときに「時系列」概念が帯びる新たな相貌,と言っていいのではないか.

 ブラウン運動の数学的解析(ウィーナー過程)をはじめ,相関関数・スペクトル解析など,時系列を取り扱う数学的道具を確立してきたことは,ウィーナーの主要な専門的業績である.この本の第1章「ニュートンの時間とベルグソンの時間」は,彼の問題意識を端的に表わすタイトルだろう.つまり,系の挙動の大部分が統計的にしかわからないとき,部分的パラメータの時間変動や予測をどう考えるべきか,という問題だ.ある条件(エルゴード性)があれば,統計的平均をもとに数学的にきれいな扱いができる.

 しかし,よくわからない時系列と,別のよくわからない時系列が,どんな関係によって結びついているのか,時系列間のコンテクストに目を向けてみよう.そこに,驚くべき新しい世界が広がっている.そのことに,ウィーナーは気づいたのである.

(ぬまた ひろし・サイエンスライター)

ノーバート・ウィーナー『サイバネティックス....動物と機械における制御と通信』(池原止戈夫+彌永昌吉+室賀三郎+戸田巌訳),岩波書店,1962.

    

■関連文献
ノーバート・ウィーナー『人間機械論』(鎮目恭夫,池原止戈夫訳),みすず書房,1979.
クロード・シャノンほか『コミュニケーションの数学的理論....情報理論の基礎』(長谷川淳,井上光洋訳),明治図書出版,1969.
レオン・ブリルアン『科学と情報理論』(佐藤洋訳),みすず書房,1969.
エルウィン・シュレーディンガー『生命とは何か』(岡小天,鎮目恭夫訳),岩波新書,1951.
マーヴィン・ミンスキー,シーモア・パパート『パーセプトロン』(中野馨,坂口豊訳),パーソナルメディア,1993.