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08
セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン『映画の弁証法』

1923,1935
槻橋修

「理性がわたしを照らすのは,感動した後からである.理性は感情を壊すのではなく,それを照らしてくれるのだ」[★1]
 ヴァルター・ベンヤミンの『ロシア映画芸術の現状』(1927)によれば,十月革命を契機として急進を遂げたロシア・アヴァンギャルドの映画は当時ベルリンで最も早く観ることができたという.エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』やプドフキンの『母』は1933年にベンヤミンがパリへ亡命する以前に公開され,後に「複製技術の時代における芸術作品」(1936)の中で論じられる「新しい芸術作品」としても重要な位置を占めていた.ロシア映画のモンタージュ理論は主にエイゼンシュテインの「衝突」とプドフキンの「連結」に大きく分かれるが,この理論的対立は部分と全体に関わる弁証法の相違を根底に含み,それはテクノロジーの時代における方法と意味をめぐる問いであると言い換えることもできよう.

 本書は「衝突」のモンタージュ論者エイゼンシュテインの1923年から35年の期間に発表された論文から11本を編訳したものである.映画作品についてもいえることであるが,エイゼンシュテインが発表した論文に付された日付には特に注意しなければならない.日付に従って本書を追うと1923年「アトラクションのモンタージュ」に始まり,1935年「映画形式−新しい諸問題」に終わる.前者は処女作『ストライキ』(1924)に先立つモンタージュ理論に関する彼の最初のマニフェストであり,後者は撮影中止の運命を辿ることになる作品『ベージン草原』の制作を開始した年に開催された,ソヴィエト映画産業50周年記念式典のための講演草稿の全文である.この式典は党が社会主義リアリズムへ傾倒していく中で彼に対する形式主義批判が叫ばれた,いわば彼の映画界での挫折を象徴するものであった.ロシア・アヴァンギャルド芸術の盛衰と期を同じくしてエイゼンシュテインにとって象徴的である二つの言説の間に位置する小論群は,彼の後期モンタージュ理論のような映画の編集技法としての専門的な理論とは性格が異なる.心理学,人類学から文学や日本文化に至るまで様々な領域を自由に飛び回る論考は映画理論と言うよりも,むしろ彼独自の〈モンタージュ思想〉と呼ぶのがふさわしい.したがって本書においても収録された論文は映画のショットのように細かく分節されてはいるが,通読すると部分の直和を超えて三つの極を持った全体像がモンタージュされて浮かび上がるのである.エイゼンシュテインは政治的側面においてマルクス・レーニン主義者であり,学究的側面において構造主義者であり,そして衝動的側面においては実践的な個人として芸術家の感性に突き動かされていたのである.前二者は各論文のマニフェスト,方法論的探求に描かれている.「アトラクションのモンタージュ」や「知的映画」における映画監督としての発言にはレーニンを経由したマルクスの弁証法の影響が色濃くみられる.弁証法的モンタージュ理論においてショットは単に連結される要素ではなく唯物論的細胞として自身の力を内包していなければならず,この意味でプドフキンとの対立は必然であったのである.また,「映画の原理と日本文化」や「モンタージュの方法」等において方法論の探求や事例の検討を行なうときに用いる「対位法」や「多声法」は,当時のサンクトペテルブルグにおいてバフチンのドストエフスキー研究によって提起された概念である.そして,多声法が持つ芸術的意味としての人間個人の内的発話(バフチン)にエイゼンシュテインもまた辿り着くのである.彼はジョイスの『ユリシーズ』の内的発話の中に自らの芸術的意味を見出してジョイスとの会見を熱望し,1929年パリにおいてそれを果たす.冒頭に引いた言葉は同じパリ滞在中の興奮の中で話されたものである.

 ベンヤミンが芸術作品の鑑賞形式としての価値の変容を憂えた機械時代の渦中で,芸術家エイゼンシュテインが内的発話に辿り着く思想のダイナミックな遍歴を綴ったのが本書の持つ意味である.岩本憲児が「テキストには使えない」と評じてはいるが[★2],それは同時に本書の初版が1953年と古いことに注目させる.戦後エイゼンシュテインの作品が日本で公開されるようになる1959年(自主上映)と考え合わせると,本書自体の文化史的な価値は映画理論固有の水準によって減じられることはないと思われる.ただし現在は絶版[★3]

(つきはし おさむ・建築計画学)

セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン『映画の弁証法』(佐々木能理男訳編),角川文庫,1953.

    

■関連文献
★1....1929年,ルーヴル美術館のダ・ヴィンチ作《岩の乙女》を前にしてエイゼンシュテインがジャン・ミトリに語った言葉(『現代のシネマ 8 セルゲイ・エイゼンシュタイン』三一書房,1971,p.214).
★2....岩本憲児編『エイゼンシュテイン解読』フィルムアート社,1986.
★3....なお,本書収録の論文は,ロシア語原文からの直接訳のかたちで『エイゼンシュテイン全集』(キネマ旬報社)で読むことができる.