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07
ル・コルビュジエ『建築をめざして』

1923
五十嵐太郎

 一つの建築を完成させるたびに彼は4冊の本を出すと,ライトが揶揄したように,コルビュジエは書きまくったし,マニフェストの天才だった.しかし,コロミナが指摘するように,アーカイヴの建築家,コルビュジエは大量の工業製品カタログを収集しながら,その写真を積極的に引用して,『エスプリ・ヌーヴォー』誌のエディトリアルも行なっていた.1923年に出版された『建築をめざして』は,その記事をまとめたものだが,詩的な短文の連続や重複におとらず,挿入された図版とテクストの相乗効果も重要である.図版は文章の内容と必ずしもきれいに対応するわけではない.とりたてて詳しい説明もなく羅列される写真の数々,送風機,荷役機,穀物サイロ,エンジン,発電所のタービン,時速263kmの競争用自動車……,それらは行間から建築に接続されるテクノロジーのイメージを視覚的に刷り込む(特に終章).単に言葉だけではなく,メディアや編集の力を駆使した建築の新たな戦略といえよう.

 本書の構成は大きく7章に分かれるが,さしあたり「工学技師の美学,建築」,「もの見ない目」,「量産家屋」,「建築か革命か」の章が,主にテクノロジーに関わる問題を提起している.それ以外の章はむしろ過去の建築から学ぶという構えをとっており,ここが未来派の態度とは決定的に異なる部分でもある.ただし,彼はテクノロジーが生む形態を評価するときにも,その完全な新しさからではなく,そこに立体や円などの初源的な抽象形を見出したり,宇宙的調和を感じるからであって,古典的な美を再発見することが多い.例えば,最初の章「工学技師の美学,建築」では,建築がふがいない状況であるのに対し,技師が経済と計算により「我々を宇宙の法則と和合させてくれる.かくて調和に達する」と説明する.そして技師がダムや船,鉄道の仕事に忙しかったときに,「建築家たちは寝ていた」といましめる.次章の「建築家各位への覚え書」では,「もっと早い速度が得られる」都市を賞賛し,「鉄筋コンクリートの構造は,建物の美に革命をもたらした」という.そして重要な「もの見ない目」の章は,「商船」,「飛行機」,「自動車」の3部構成をもつ.当然,これらは建築が見習うべきテクノロジーを応用したモデルとして挙げられており,有名なテーゼ「住宅は住むための機械である」もこの章に含まれている.例えば,商船アキタニア号をノートルダム聖堂,凱旋門,オペラ座とコラージュして並べた図版(後に実現したユニテの集合住宅は明らかに船を意識していた)や「飛行機の教訓は,課題の提起からその実現までを貫く論理にある」の主張.彼は機械の設計プロセスを称える一方で,まずい問題設定の例として,これみよがしに近世の様式建築の図版をあげる.そしてパルテノンとドゥラージュの自動車が並ぶ衝撃的なツー・ショット.前者は「既定の標準を応用した洗練の産物」であり,後者はその進行中としながら,「二つの異なった分野ではあるが,二つとも淘汰の産物である」と評価する.自動車は現代の大聖堂であるとした評論もあったけれども,コルビュジエの場合は自動車を現代のパルテノンとしつつ,最新のテクノロジーを古典的な枠組みに回収しようとしたのである.逆に言えば,新旧の時代に目を向け,特定の過去(ギリシアを好んでいた)を現在的に解釈する巧みな作業でもあるのだが.「量産家屋」の章では,来るべき偉大な時代の課題として,工場や大工業と提携した部品単位による住宅の大量生産の問題を指摘し(ここでは自作を売り込む宣伝と思える図版が多い),今や「社会の均衡は建築の問題だ」と宣言する.そして終章「建築か革命か」へ.だが,オルタナティヴとしての建築には,すでにテクノロジーを原動力とする構築術の革命と建築概念の革命があり,工業や企業にも革命はあったと考え,彼は本書の最後をこう結ぶ.「建築か,革命かである.革命は避けられる」

(いがらし たろう・建築史)

ル・コルビュジエ『建築をめざして』(吉阪隆正訳),鹿島出版会,1967.

    

■関連文献
B. Colomina, Privacy and Publicity, MIT Press, 1994.
ピエール・フランカステル『近代芸術と技術』(近藤昭訳),平凡社,1971.