1919
石崎順一
バウハウスは,一般に「機能主義」あるいは「合理主義」の表出としてのモダン・デザインの成立過程において,非常に大きな影響力を持っていた運動体として知られている.そうしたデザインの誕生の根底には,グロピウス自身も終生主張し続けたように,建築と近代の工業技術をいかにして統合するかという問題設定があった.しかし,彼およびバウハウスが,このようなザッハリヒな目的に向かって一直線に突き進んでいたわけではなく,その約14年間にわたる活動の実際において,芸術的交流,あるいは政治的な力学の中で様々なふれを見せていたことも事実である.
このバウハウス創立にあたっての宣言には,全くといってよいほど機能主義や近代的技術主義を標榜する語りが見られない.建築家,彫刻家,画家たちに職人的手工芸への絶対的回帰が説かれ,等価に扱われた芸術家と職人による中世的なギルドの創成が叫ばれており,まさにそうした社会を担う人材を育成する工房=共同体がバウハウスに託されている.そして,手工芸を習得することからはじめれば,非生産的な芸術家が不完全な芸術実施と断ざれることはないという主張には,生産技術と結合することが「造形活動の最終目的たる建築」へと向かっていく力となるという信念を読み取ることもできよう.
一貫して近代テクノロジーに強い関心を持っていたはずのグロピウスの上記のような回顧的態度には,単なる時勢的なふれと片づけられない,「技術」に対する根本的な無邪気さが見え隠れしている.彼にとっては,その生産方式や生産者の職務あるいは管理のありかたにおいて,手工芸の技術とは決定的に相違する近代テクノロジーについても,デザイナーによってアッセンブルされる対象として全く等価に存在しているのであって,宣言での態度表明は,まさに技術自体を支える生産環境への関心の希薄さの一つの現われなのであった.
手工芸的生産から工業的生産へと生産方式における劇的な変化こそが,社会変化の大きな要因であることはグロピウス自身も痛感してはいたろうが,デザインされる対象として双方の生産物が質的差異が見出されないまま現前した瞬間に,それらは生産という過程から切れてしまった存在となってしまう.さらにいうなら,芸術と近代的技術との統合を目論む以前に,既にデザイナーは大きな技術のシステムからは疎外されて,美的操作の段階に押しとどめられてしまっているのである.実は,一宣言文において嗅ぎとることが可能な建築と技術との関係をめぐる限界は,多くのモダニズムの建築家に通底する問題でもあるのだ.
(いしざき じゅんいち・建築学)
■関連文献
バックミンスター・フラー,ロバート・マークス『バックミンスター・フラーのダイマキシオンの世界』(木島安史,梅沢忠雄訳),鹿島出版会,1978.
ミース・ファン・デル・ローエ「工業建築」,1924=ウルリヒ・コンラーツ編『世界建築宣言文集』(阿部公正訳,彰国社,1970)所収.