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03
フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ「未来派設立宣言」

1909
松浦寿夫

 世界に散在するいくつもの要素が,互いの間に存在する距離を無化して,自由な結合状態を産出することができるか,しかも,これらの可変的でかつまた前代未聞の結合が,不断に更新される新しさという徴をとどめた美でなければならないとすれば.1909年2月20日付のフランスの新聞,『ル・フィガロ』紙に掲載された,フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティによる「未来派設立宣言」は,それがあらゆる場面で身にまとう,同時代の科学技術体系への無条件の礼讃の徴をそなえた主題群にもかかわらず,ごく端的に,距離の無化と,それにともなう可変的かつ直接的な結合の仕組みを夢みたテクストであったといってもよいだろう.もちろん,この自由な結合の体系の産出という夢が,国家,民族,党派等々といった既存の共同体的な枠組みから完全に離脱していたわけではないという意味で,当初から,イタリア未来主義はその特異な政治的軌跡を描き出さざるをえなかったことを忘れるわけにはいかないとしても.

 ところで,イタリア未来主義が自らの芸術的な実践を合理化するうえで要請した科学技術体系,より正確に,イタリア未来主義が自らの欲望の受容器として想像した科学技術的な地平に関していえば,現時点において,その素朴さを指摘してみることもたいして困難な作業ではないだろう.実際,イタリア未来主義が標榜する科学技術体系は,ある意味で,二重の限界をとどめている.つまり,現時点からみた当時の科学技術的な地平に内在する限界と,そして何よりもイタリア未来主義者たちが同時代の科学技術に対して持たざるをえなかった認識論的な限界でもあるだろう.それゆえ,この後者の認識論的な限界によって条件づけられると同時に,この限界のゆえに逆説的に可能になった,イメージ編成の体制が注目されるべきだろう.

 ともあれ,イタリア未来主義のイメージ編成を特徴づけた指標のひとつとして,たとえば,速度という主題を取りあげてみることもできるだろう.「未来派設立宣言」に付された11箇条の宣言のなかのひとつに,
「世界の輝きにひとつの新しい美,つまり速度の美がつけ加えられたことをわれわれは宣言する.蛇のような巨大な排気管で飾られたトランク付の,爆発のような呼吸で走行中の自動車,一斉掃射と戦うかのように咆哮する自動車は,《サモトラケの勝利》よりも美しい」(拙訳,『ユリイカ』1985年12月号)
という,きわめて著名な一節がある.ここで,速度という抽象的な概念は,その経験の次元でこの速度を実現可能なものとする道具=装置として,自動車という物体を要請している.おそらく,この点にイタリア未来主義の美学的プログラムを拘束せざるをえないパラドックス,とりわけ,造型美術の領域でこのプログラムを実践しようとした者たちにとって難題たらざるをえなかったパラドックスがある.つまり,運動,速度,同時性,等々の美学的なプログラムが,その存在論的な次元において,非物質性の徴を帯びざるをえないにもかかわらず,その視覚的な表象は絵画,彫刻といった手段によるかぎり,あくまでも,物質に依拠せざるをえず,たとえば,運動ではなく運動中の物体を,それも例証的な仕方で暗示し,かつ表示しなければならなかったからだ.そして,このパラドックス....それは,近代芸術のさまざまな場面で露呈するのだが....からの解放を,現実空間/表象空間の縁の同一視において夢想した点で,イタリア未来主義は,パフォーマンス的な実践へと拡がり,かつ,現実の政治主義のなかに矮小化されてゆくことになるという帰結を準備したといえよう.

(まつうら ひさお・美術史)

フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ「未来派設立宣言」 『未来派1909−1944』(堤康徳訳),展覧会カタログ,東京新聞,1992所収.

    

■関連文献
田之倉稔『イタリアのアヴァンギャルド』,白水社,1981.
『ユリイカ』1985年12月号(特集:未来派),青土社.
キャロライン・ティズダル,アンジェロ・ボッツォーラ『未来派』(松田嘉子訳),PARCO出版,1992.
セゾン美術館他編『未来派 1909−1944』(展覧会カタログ),東京新聞,1992.