InterCommunication No.15 1996

Feature


巨大な都市の記憶装置

高階――美術館の役割は,伊藤さんが言ったように,古いものを保存しておくだけではなくて,新しい創造主義が必要です.ルーヴルも最初はそれが非常に強かったんです.観客に見せるのと同じくらいの重みで,芸術家養成の機関でもあった.だからルーヴルでは模写もできる.芸術家に模写させるわけです.それは新しい芸術創造は古いものの模写から始まるという考えからきているわけですから,模写の伝統を受け継いでやっているわけです.今はそうではなくて,まったく逆に古いものを否定しようという動きが出てきたわけです.それをどう取り入れていくか.
 さっき僕が言った戦後の日本の美術館の現実,つまり倉庫型からイヴェント型になって,現在のシヴィック・センターという一連の流れについてですが,倉庫型の時に必要な人というのは,要するに管理人です.だから倉庫の監視や管理の人がいる.イヴェント型の時に必要なのはイヴェント演出者であって,あとは観客が外にいる.シヴィック・センターというのは参加型になっているんです.伊藤さんが言ったのはそういうことだと思うんですが,参加しながら,何か刺激を受ける.場合によっては自分も一緒に作る.そうすると観客参加型が美術館に要求されてきた場合に,「まったく触ってはいけません」などという従来の方法,つまり作品と観客の場所が離れていいのかという問題が出てくるわけで,これは建築空間の作り方に全部関係してくるわけです.ですから,作品の中に入り込むような場所を作るということも,これからは考えていかなくてはいけないと思います.野外彫刻の会場などでは,場合によっては登ってもいいというところも出てきましたね.そういう意味での美術館の新しいあり方というのは,いろいろ考えていかなくてはいけない.ということは,従来型の美術館が不要だと言ったら僕はクビになるから困るんだけれども(笑),それは必要だけれど,それだけでは済まないということがあるんですね.

浅田――不要どころか,僕が最初に言ったように,当然あってしかるべきものがまだ遅れているという現状からすれば,そこにかなり力を入れなくてはいけない.

高階――遅れているんですよ.それは大いに言ってほしい.それ以外に,伊藤さんが言ったように新しい刺激を受けるようなものを,パフォーマンスやインスタレーションを含めて,ヤン・フート式に街の中でバラバラにやるといったようなことがあるとすれば,美術館の役割は場所を提供することではなくて,参謀本部になることなんです.つまりヘッドクォーターとしてプランを立て,作戦を練って,兵員を配置する場所になるべきなんです.それは結節点になる.そうするとやはり参謀本部で大事なのは,場所ではなくて人材です.

彦坂――ただ,中央官庁にそういう横断的な組織がばしっとできないと,なかなか動けないですよね.

伊藤――ミュージアムをもっと巨大な都市の生きた記憶装置として考えてゆく必要がある.みんなが交流し,創造し,記憶とふれあう場として積極的に捉え直していくと,もう少し仕組みが変わるような気がするんです.

高階――そうだと思うね.

彦坂――これはアメリカ人に聞いたんですが,コンテンポラリーやサイエンスなどテーマによるタイプとは別に,プロフェッショナル・ミュージアム,リージョナル・ミュージアム,それからコミュニティ・ミュージアムという分け方が存在する.コミュニティ・ミュージアムというのは,どちらかというと,ボランティアも含めてマンション内の公開サロンや画廊で交流しているようなものです.リージョナル・ミュージアムというのは,ニューヨークで言えばニューヨーク市立博物館で,“情報の展望台”みたいに,つまり実際登ってみるのではないけれども,そこの都市がどう情報を持ち,どういうアートを生んで,どういう人材を生んだかということをとにかく一覧できるようになっている.プロフェッショナル・ミュージアムというのは,多分ニューヨークMoMAみたいなものです.そもそも,アメリカの場合は組織からして分かれている.それに対して日本というのは,世界的ファイン・アート展とおばさんの絵画展が同居するというような変な複合型になっていて,参加性という点において弊害がすごくあるような気がするんです.アメリカ型がいいのかどうかわかりませんけれども,性格づけみたいなものをもっときっちり持たないとやはりまずいという気がする.専門家でかなり見識ある人にも十分対応できるミュージアムと学芸会的なミュージアムとでは,やはりハード・ソフトの作り方からしてまったく違ってくるのではないかと思うんです.

高階――そうです.それは日本の大きな問題で,役所の話ばかりするようだけれども,情報収集にしても,結局どういう情報を集めるのかということです.それを公開するのは当然ですが,誰でも使えるようにしなくてはいけないというのが役所の基本概念です.誰でもということは中学生でも見に来られるということです.そうすると,収集の対象がやっぱりスキラが出すような画集になってしまうんです.できるだけ新しい重要な文献情報や学術論文が欲しいとすると,誰が使うかという話になるんです.もちろん美術館にもよりますけれども,例えば僕は西洋美術専門で,非常に高度な外国の研究者が使えるような美術館を作っていこうと思っているんです.向こうの美術館というのは当然そうなっていますよ.その代わり,誰でも入れるのではなくて,中学生は駄目だということになる.ルーヴルでは専門研究者には資料を公開するという方針ですが,それは僕は当然だと思っているんですが,えてして役所の考え方は,誰でも入れなければならないということになる.
 特に地域型の専門美術館というのは,地域の人は誰でも使えないといけないから作りにくいんです.学者も行くけれども,家庭の奥さんや子供も行って何かできるようにしないといけない.しかし,やっぱりそれは分けて考えるべきなんですね.そういう場所は必要だけれども,日本はそういう場所ばかりになってしまうんです.つまり,ハイレヴェルのものを作るというのは難しいんです.大学でも全部同じにしようということで,どこかだけが特にいいというのは非常に具合が悪い.フランスは比較的中央集権で,冒頭で出たように19世紀初頭まではルーヴル,あとはオルセーがやりましょう,20世紀はポンピドゥーがやりましょうと分化しています.ポンピドゥーに20世紀の資料があるけれど,ピカソ美術館ができると,ピカソの資料だけはそこへ持っていきピカソはそこでやりましょうとなる.そうやってうまくやっていけばいいんですね.そのために,逆にピカソならここに行けばいいという専門分化になってくるけれども,日本は,少しずつすべてなければいけないというのが,今までのあり方です.

伊藤――フランスのTVにアルテという芸術文化チャンネルがあるんです.バウハウスの特集とか,ベンヤミンの特集とかを5,6時間連続放映したりしている.日本のTV放送の現状を考えると,そういう芸術文化チャンネルが1局でもあればいいと思うんです.例えば,いずれ家庭のTVも500 チャンネルくらいの多重放送になると言われていますけれども,芸術専門のテレビ局がひとつあると,状況がすごく変わってくると思う.
 マルローが「想像の美術館」の後に,「テレビ美術館」みたいなことに実は言及していて,それが明確化する前に彼は亡くなってしまった.美術館もそういうメディアの中に解消されていくというか,新しくメディアの渦の中で再組織化されて,芸術文化チャンネルのような新しい回路を用意していく可能性も方向性としてはあると思います.

高階――それは可能性としては非常にあると思います.日本の場合はよくわからないけれども,フランスでアルテみたいな番組ができるのは,お金と関係あるのではないでしょうかね.日本の場合は,テレビは要するに完全コマーシャリズムでしょう.NHKもコマーシャリズムというか,大衆路線だと思っているんですけど,ほかはもっとそうですから,いい番組を作っても出せないでしょうね.NHKの教育テレビでも文句を言われる.それは番組は誰でもわからなければいけないとされているからです.視聴率が低いということはそういうことですよ.視聴率は低いけれども質の高いということは勘定に入ってないわけです.つまり密度を計る手段がないわけだから,ぼやっと見ているのと一所懸命見ているのでは違うわけです.同じ視聴率でも.一所懸命見ている方がはるかに大事だけれども,それは率に表われない.だからNHKでも教育チャンネルは予算がない.民放はもっとそうだと思っているんです.だから,芸術文化番組ならば国が補助金を出す,あるいは志ある企業が金を出すとか,そういうことでやるなら,それは制度化の問題だと思います.

浅田――そうですね.今後マルチチャンネル化していくとすれば,コマーシャルなチャンネルとクオリティを追求するチャンネルに,おのずと分かれてくると思うんです.クオリティ追求のチャンネルは視聴率は関係ないので,国が補助金を出す場合もあるし,それから,イギリスのチャンネル4がそうでしたけれども,コマーシャル・チャンネルの上前を一定率はねたものでノンコマーシャル・チャンネルをやるということもあり得るだろうし,そういう何らかの形でクオリティ・チャンネルができなければ,とてもじゃないけれど何百チャンネルも埋まるわけはない,また,それをうまく質を中心に運営できれば,新しいオーディエンスを開拓することができると思うんです.ところが,NHKひとつとっても,それこそ高階さんがよく出ていらっしゃったころから比べて,美術番組でも何でも率直に言って質は落ちていると思いますね.音楽でも,70年頃までは新聞社などが後援をしていて,悪しきエリート主義から「大衆を教育せねば」といって,いくつかの演目のひとつぐらいは実験的なことをやっていたのが,70-80年代に企業の冠コンサートが増えた結果,企業の宣伝担当者が安心するレパートリーでなければならないということになり,そうすると全部ベートーヴェン,ブラームスでなければ駄目だということになって,お金が増えた分だけレパートリーが狭まるという,非常に嘆かわしい状況になっていると思います.だから,パブリックなお金を導入するなり,あるいは民間のお金の一部分を別な形で使うなりして,クオリティの高いものを提供していくということをそろそろ始めなければ,本当に平準化,大衆化の果てに行きついてしまうと思うんです.

彦坂――昔,科学技術館が東京12チャンネルに番組を持っていたでしょう.その時は放映されたのは外国のものばかりのインポート仕様でそれなりに面白かったのですが,科学技術館は財団とはいえお役所的なところもあるから,結局ランニング負担がお荷物になって,止めてしまいましたよね.今はこういう時代になったから放送番組を手放したことをたいへん悔いているわけです.ですから西洋美術館も放送局を1局ないし複数持っているとか(笑),そういう形になったらいいんでしょうけれど.

高階――今のテレビでも娯楽番組と教養番組は一応規制はあるみたいです.でも今のところ解説をつければ教養番組になるんですね.そういう専門チャンネルを作るか,あるいは民放も聴視料を取ったらいいと思うんですよ.見た時間に応じて1時間ごとにお金をとる.そうすると質が上がってくると思うんですよね.

浅田――衛星放送のWOWOWなどは有料ですね.それでいいと思うんです.

高階――あれは有料ですか.そうすると放送する方も見る方もずいぶん違ってきますよね.

浅田――あるいは,NHKは4つも電波があるわけだから,ひとつくらいは変わったものをやったって全然構わないわけですよね.

高階――そう思いますよね.あれもセクショナリズムで,それぞれが独立採算というのも不思議なもので…….

浅田――1チャンネルとBSで同時に別のニュースをやったりしている.

彦坂――BBCを真似したのに,何でああなるのかというのは不思議ですよね.

浅田――そういう放送メディアなり,新しいコンピュータ・ネットワークなりがどんどん広がりつつあるわけで,それらの一部分を文化的に使っていくということは,文化全体の状況を活性化するという意味でも意義があることだと思います.美術館もそういうネットワークの中に積極的に入っていくべき時代なんでしょうね.


[1995年10月9日,東京上野にて]


(たかしな しゅうじ・美術史/
あさだ あきら・社会思想史/
いとう としはる・美術史/
ひこさか ゆたか・建築家,環境デザイン)

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