InterCommunication No.14 1995

Feature

スクリーン
遮蔽と露出


松浦寿輝


「もっともらしさ」と「嘘臭さ」の均衡
リア・プロジェクションの世界観
『禁断の惑星』から『2001年宇宙の旅』へ
「迫真感」の昂進とその代償

「もっともらしさ」と「嘘臭さ」の均衡

 リュミエール兄弟によるシネマトグラフの発明以来,今年できっかり100年間を数えることになった映画の歴史は,むろん単一のものではなく,いかなる視点に立ってそれを記述するかに応じてそのつど異なった分節化が施され,異なった相貌を見せることになる.映画史の一世紀をいかなるクロノロジーに従って分節化するか.たとえばそうした分節化の一例として,今ここに,「1932年から1968年まで」の36年間を,それ以前からもそれ以降からも区別されたある固有の「時代」として取り出し,それに「スクリーン・プロセスの時代」の名を与えてみたいと思う.第二次世界大戦を間に挟むこの三分の一世紀ほどの期間において,スクリーンへの投射行為の重層化を通じてある特徴的な映像群が作り出され,それが32年以前とも68年以降とも異なる映画的感性を育んだでいたのではないかという仮説を提起したうえで,この仮説に基づく映画史的見取り図の輪郭を粗描してみたいのだ.そこでは,サイレントからトーキーへの転換とか,大衆娯楽の王座を占めていた黄金時代からテレビに追い落とされた凋落期への移行とか,その他考えられうる数多のパラメーターとまったく無関係に,1895年以来の一世紀がほぼ三等分され,1932年までが「スクリーン・プロセス以前」,次いで「スクリーン・プロセスの時代」,そして1968年以降に来るのが「スクリーン・プロセス以後」として記述されることになろう.
「スクリーン・プロセス」は日本の映画人が使い習わした和製英語であるが,英語では正確にはリア・プロジェクションないしバック・プロジェクションと呼ばれるこの技法が,スタジオで演技する俳優の背後に半透明のスクリーンを張り,そこに別の場所で撮影してきた画像を後ろから映写し,その全体を改めて撮影し直すことで,俳優がその場所にいるように見せかける特殊効果の技術であることは言うまでもあるまい.1932年とは映画にこの技法が導入された日付であり,爾来,映画的イメージにおける「本当らしさ」と「嘘臭さ」との微妙な均衡は,この二つの空間の重ね合わせの技法の醸し出すある特有の物質的感触の上に成立していったように思われる.あらかじめ撮影された映像がスクリーン上に投射され,それがスクリーンの反対側から撮影し直され,かくして出来上がった映像がわれわれの眼前でまた再び映画館のスクリーンに投射されることになる.投射の二重化,あるいは,スクリーン中にはめこまれたもう一つのスクリーン.
 たとえば「タクシーの場面」.それが,フィルム・ノワールであろうがロマンティック・コメディであろうが,黄金時代のハリウッド映画ではいつでも決まって物語の重要な結節点をなすシーンとなっていることは,映画好きなら誰でもよく知っていることだろう.登場人物がある地点から別の地点までタクシーで移動する途中で,しばしば説話の流れにギア・チェンジが起こり,人々の運命が別の方向に向かって走り出すことになるのだが,1932年以降のハリウッド映画では,自動車で移動する人々を描くのに,スクリーン・プロセスが用いられなかったためしがない.疾走中の自動車の後部座席に座っている男女が表象される場合,左右に並んでこちらを真正面から見つめている二人の間の隙間から,車のリア・ウィンドウを模したスクリーンが見え,後ろへ後ろへどんどん流れてゆく街の風景がそこに映し出されている――そんな画面をわれわれはどれほど眼にしてきたことだろう.二人は,もちろんスタジオに設えられたスプリング付きの模型の上に座っているだけで,水平方向には1メートルたりと移動しているわけでなく,背景の映像の流れが運動感を醸成しているにすぎない.静止している対象がまとう運動のイリュージョン.そこには,嘘っぽさの魅惑とでも言うべきある奇妙な視覚の快楽があり,映画という装置=メディアの本質につながるとも言えるこの快楽によって,自動車のシーンは映画史に豊穣な彩りを添えつづけてきたのである.
 自動車の疾走は,ある程度本当らしく表象されねばならない(そうでなければ物語への感情移入は不可能になってしまうだろう)が,同時にまた,その同じ疾走が,非現実的なイメージの世界で起こっている夢のような出来事であることを強調するための虚構性の香りも必要となろう(そうでなければ映画が表象芸術として成立していることの意義は失われてしまうだろう).スクリーン・プロセスの画面とともにわれわれ観客は,「もっともらしさ」のコードと「嘘臭さ」の魅惑との間にある微妙な均衡が保持される時空へと導かれることになる.そこには,リアルな迫真性と演戯的なシミュラクル性の共存という映画的イメージに固有の情動体験が,純化された極限形態で露出していると言ってもよい.映画がイメージの歴史に付け加えた特異そのものの物質的感触といったものが存在するのであり,恐らく,それをほとんど純粋状態で露呈させているものこそがスクリーン・プロセスによる映像なのである.

リア・プロジェクションの世界観

 もとよりスクリーンとは遮蔽幕の謂である.光の進路をそこで遮断し,反射させてしまう拒否的なカーテンとしてのスクリーン.その場合,スクリーン・プロセスという技法が興味深いのは,そこで用いられるスクリーンが,この語の本来の意味を裏切って完全な遮断を実行しない半透明のものでなければならず,光を100パーセントはね返してしまうことが禁じられているという点であろう.後ろから投げかけられてくる投射光が,ある程度は幕を透過し,こちら側まで届いてくるということがなければ,スクリーンの上への背景映像の浮上は可能とならないのだ.従ってそこでは,遮蔽に対する露出,反射に対する透過という,本来は矛盾し合うはずの二つの運動性の間の微妙な調和が要求されることになる.そのことが何に由来するかは言うまでもあるまい.投射光の光源が,スクリーンの背後に――すなわちそこに見えているイメージの背後に設えられているという点が,リア・プロジェクションの機制を決定しているのである.光源とイメージとの間に立ちはだかっている半透明の布――光線を,ある微妙な割合によって半ばは弾き返しつつ半ばは透過させているこの薄幕の介在こそ,われわれの瞳にとってイメージを可視的なものとしている必須の装置にほかならない.
 影法師たちを壁に揺らめかせているプラトンの洞窟さながら,映画館におけるプロジェクターのハロゲン光源がわれわれ観客の背後に位置しているのは,まことに興味深いことである.だが,スクリーン・プロセスの使用に当たって,そこでの光源が,われわれの後ろではなく今度はイメージの裏側にあること,そして,光源とわれわれの瞳との間に,光を遮蔽しつつ露出させるスクリーンが立ちはだかっているのは,それに劣らず興味深い事態と言うべきではあるまいか.しかも,そうしたすべてが俳優の身体所作とともに撮影し直されたうえで,改めてわれわれの背後の現実の光源から再投射されるとき,かくして精妙に重層化されてゆくイメージ投射の機制が,眩暈のするような光の交錯の戯れを実現しているという点に注目しなければなるまい.精神分析と同時代の発明品である映画のテクノロジーが,もしある程度までわれわれ自身の内なる心的装置のモデルないしアナロジーたりうるとするならば,スクリーン・プロセスによる二重投射画面は,それがわれわれのイマジネールに及ぼす特異な魅惑を通じて,心的イメージの投射の機制においてもまた反射と透過の両義的な共存が見出されるという点を,改めて浮き彫りにしてくれるのではないだろうか.
 実際,ひょっとしたらわれわれの視界は,映画館のスクリーン上に推移する非現実的な物語に熱中しているときに限らず,日常的な現実生活においても――街の雑踏の中を歩いているときでも,恋人の瞳にうっとりと見入っているときでも,窓の外の大空に飛行機雲の航跡を辿っているときでも,どんな具合でもつねにスクリーン・プロセスのようにして構成されているのかもしれない.視界という名の表層的な〈面〉の後ろ側から投射された光が,半透明のスクリーン上にイメージを生成させるのだが,それが可能となるのは,一種の検閲が働いて,光のうちのある部分が反射されある部分が透過することによってのみである.遮蔽しようとする力と露出しようとする力との間に,危うい均衡が成立しなければならないのだ.そして,その全体がさらにもう一度,心的なキャメラによって撮影し直され,今度はわれわれの背後に位置する光源から――すなわち絶対的な他者たる「無意識」という名のトポスから投射されることで,われわれの瞳にとって,世界は初めて目に見えるものとなる.スクリーン・プロセスによって作られた画面がある種の嘘っぽさの魅惑でわれわれの瞳を眩ませるとすれば,それは,実のところ,われわれの瞳の前に視像として立ち現われてくる世界の全体が,ということは結局われわれにとっての現実そのものが,スクリーン・プロセスが湛えているのと同じ輝きを――むろん極度に希釈化されたかたちにおいてながら――漲らせているからなのではないだろうか.世界とは映画のように現実的な何かのことであり,それはつまるところ,映画とは世界そのもののように表層的な,ないし虚構的な何かであるという命題を裏側から言い換えたものでしかない.
 ヒッチコックの『海外特派員』(40年)のあの名高い飛行機墜落シーンは,スクリーン・プロセスの嘘っぽさの魅惑そのものの大掛かりな誇張と,かつまたその批評的な異化を試みている希有なシークエンスだと言えるだろう.反射と透過のせめぎ合いを光に演じさせていた半透明の薄幕が突然破け,イメージならざる現実の水がどっと噴き出して,その奔流が飛行機のコックピットを模したスタジオ内部の空間をあっという間に満たし,そこに集まっていた人々を溺れさせようとしたとき,そのさまを,さらに手前に位置するもう一つのスクリーン越しに息を呑んで凝視しているわれわれは,いったい自分が,何の上に映っている何を見ているのか,不意にわからなくなってしまう.何が何の反映なのか,何が何の似姿なのか,何が現実で何がイメージなのか,いやそもそも現実とイメージの間に区別などありうるのか,そうした問いに対する答えをわれわれは,甘美な立ち眩みの中でふと見失ってしまうのだ.そこには,映画という表象メディアの限界点そのものが露出しているのである.

『禁断の惑星』から『2001年宇宙の旅』へ

「スクリーン・プロセスの時代」の映画的イメージが,その特徴的な表情をもっとも露骨なかたちで押しつけがましく誇示しているさまを,われわれは,ハリウッドを中心にして50年代に撮られた一連のSF映画のうちに見ることができるかもしれない.パラマウントの『宇宙戦争』(53年)やMGMの『禁断の惑星』(56年)のような豪華大作から,ロジャー・コーマンのAIPが濫造した『原子怪獣と裸女』(55年)や『金星人地球を征服』(56年)のような極めつきの低予算ゲテモノ映画に至るまで,50年代に入って突如として華開いたかに見える一群の空想科学映画に開陳されていたものは,いわゆる「特撮」の精華のオンパレードにほかならなかった.イギリスのハマー・プロが量産した怪奇映画もまたそうした流れに属する現象の一つと言えるものだろうが,そこでの非現実的な幻想性の基盤をなしていたのは,模型でも張りぼてのぬいぐるみでもなく,またいわゆる「コマ撮りアニメ」でもなく,やはりスクリーン・プロセスであったように思う.
 そこでの特撮なるものは,むろん技術的にはまだまだちゃちな子供騙しにすぎず,今日のわれわれの眼から見れば,そこにあるものは,愛すべき稚気に思わず微笑んでしまう――というかむしろ,そのあまりの馬鹿馬鹿しさについ呆気にとられてしまうといった画面の,連続また連続でしかない.しかし,人を唖然とさせるようなそのあっけらかんとした非現実性に,先ほどから言及してきた嘘っぽさの魅惑の途方もない増幅を見ることも,あながち不可能とは言えないのではあるまいか.その増幅ぶりがあまりにもナイーヴで脳天気なので,結局は単に馬鹿馬鹿しいイメージの浪費以上のものにはなりえていない場合がほとんどなのだが,にもかかわらずこの馬鹿馬鹿しさは,映画というスペクタクル装置の本源的な魅力に,あるいは20世紀のエピステーメーにおいてこのテクノロジーが占めてきたイデオロギー的役割の本質に,どこかなまなましく触れ合う種類のものでもまたあったはずだ.この途方もない馬鹿馬鹿しさの輝きを発見したのが50年代のSF映画の特撮なのであり,その点で,『禁断の惑星』の,今日見直せばちゃちとしか映らないスクリーン・プロセスは,『スター・ウォーズ』シリーズの,それよりずっと精巧で,そのぶんより「迫真」だとも言えるマット・ショットなどより,はるかに重要な映画史的現象だったはずである.恐らく映画的イメージとしての「特撮」がもっとも輝いていたのは,「スクリーン・プロセスの時代」の最盛期をなす1950年代のことなのである.
 だが,1950年代に訪れた空想科学映画のラッシュにある意味でその頂点を極めた後,「スクリーン・プロセスの時代」は,60年代に入って不意の終焉を迎えることになる.60年代後半,リア・プロジェクションに代わって,背景映像を投射するプロジェクターの光源をスクリーンの手前に,つまり撮影キャメラと同じ側に据えて用いるフロント・プロジェクションが,特撮技術の王座につき,それ以後,スクリーン・プロセス方式の合成画面は廃れていくのである.実を言えば,そもそもこれよりはるか以前,映画がカラー全盛へと向かっていった時期に,すでにスクリーン・プロセスの命運は尽きていたとも言える.色彩映画におけるリア・プロジェクションの使用の限界は,もう疾うから明らかになっていた.カラー撮影においては,テクニカラー方式でもイーストマン・カラー方式でも,白黒フィルムの場合よりはるかに多量の光を被写体に当てる必要があり,その強烈な照明がどうしてもリア・プロジェクションの映像をかき消してしまいがちになるのである.フロント・プロジェクションとは,まさしくこの問題点を抜本的に解決することに成功した画期的な新技法であった.それを可能にしたものは,無数のガラス・ビーズから出来た指向性スクリーンと,キャメラのレンズと同一の光軸上に映像を投射するために用いられる半透明ミラーであるが,ここでは技術上の細部に立ち入る余裕はない.
「スクリーン・プロセスの時代」に幕が引かれた日付を,ここでは仮に1968年に設定しておこう.もちろん,それをかぎりにスクリーン・プロセスがぱったり用いられなくなったわけでは必ずしもないのだが,ここで68年という年号をとりあえずの象徴的な目印として挙げておくのは,まだ実験段階だったフロント・プロジェクションを縦横に駆使して斬新な視覚的効果を挙げた巨大なシネラマ作品が公開されたのが,まさしくこの1968年の出来事にほかならなかったがゆえである.それが,スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』であることは言うまでもあるまい.このSF大作で特撮を担当したダグラス・トランブルは,新技法としてのフロント・プロジェクションを一挙に洗練の極みにまで押し上げると同時に,フィルム画上での二重露光という特殊な光学的処理によるマット・ショットの技術もまたほとんど独力で完成させてしまった.以後,SFやホラーや現実離れした犯罪アクションでの特撮の主流は,フロント・プロジェクションとマット技法によって担われるようになってゆく.
 1968年――まことに徴候的な年号ではある.フロント・プロジェクションの制覇と,情念的 = 政治的な叛乱の旗を掲げる若い世代の全世界的な規模での台頭とは,どこかで通じ合っているのだろうか.たぶんここで映画と政治とは,50年代SF映画のスクリーン・プロセス画面に東西冷戦の緊張状態が反映している程度には通底し合っているに違いない.『宇宙戦争』で地球を襲う宇宙人や『禁断の惑星』での実体化した潜在意識の怪物に,「共産主義という亡霊」のイメージが託されていることはほとんど自明の事実であろう.恐らく,スクリーン・プロセスは,プロパガンダによって侵略してくるイデオロギー的他者を表象する仕掛けとして恰好のものだったのであり,それに対して,冷戦構造の内には取り込まれえない超 = 近代の赤ん坊を表象しようとするキューブリックの眼に,それはいかにも時代遅れの装置に見えたのだろう.

「迫真感」の昂進とその代償

 1968年以後,映画の嘘っぽさは,明らかに変質してゆくことになる.『スター・ウォーズ』三部作の場合は,50年代的風土へのジョージ・ルーカスの強烈なノスタルジアのゆえに,むしろスクリーン・プロセス的な嘘っぽさのアナクロニズムが意識的に採用されていた気配があるが,時代の主流は明らかにフロント・プロジェクションとマット・ショットによって担われるようになってゆく.そこで追求されるのは,ひとことで言えばイメージの迫真感といったものだろう.だがこの「迫真」とは,「真」からの隔たりの度合いという単一のスケールによって計測されうる数量的な価値でしかない.より「迫真」であること,さらにもっと「迫真」であることがひたすら求められてゆくだけなのだ.他方,スクリーン・プロセス画面に漲っているあの嘘っぽさの魅惑とは,量ではなく質として存在する価値にほかならなかった.現実=真実により近いか,より遠いかという距離の計測とは無関係の,ある「質的」な快楽が問題となっていたのである.本当らしいか嘘臭いかという二元論ではなく,「本当らしさ」のコードと「嘘臭さ」の魅惑との間に達成される微妙な均衡の洗練がめざされていたのである.映画史における「スクリーン・プロセス以後」を特徴づけるものは,この種の質的な微妙さの喪失である.
 68年を境として,映画的イメージの物質的存在感は,質的な嘘っぽさの側から量的な迫真性の側へと移行する.たとえば,「川の場面」.野蛮の地で大河を遡ったり激流を下ったりする人々を,映画はどのように描いてきたか.一方にハワード・ホークスの『果てしなき蒼空』(52年),ジョン・ヒューストンの『アフリカの女王』(51年),オットー・プレミンジャーの『帰らざる河』(54年)などを置き,他方にスティーヴン・スピルバーグの『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(84年)やロバート・ゼメキスの『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(84年)を置いて,68年以前と以後とを見比べてみれば,歴史の進展に伴って何が獲得され何が失われたかは一目瞭然だろう.主人公を乗せて激流に押し流されてゆく小舟や筏を表象しようとするとき,映画はある種の合成画面に頼らざるをえないのだが,その特撮シーンの物質的感触が,「スクリーン・プロセスの時代」と「スクリーン・プロセス以後」のフィルムとではまったく異なるのだ.J・リー = トンプソン監督『恐怖の岬』(62年)とマーチン・スコセッシによるそのリメイク版『ケープ・フィアー』(91年)とを見比べて,豪雨の河の場面がいかに表象されているかという差異に注目してみてもよい.
 そこから,ジョン・プアマンの『脱出』(72年)が占めているきわめて曖昧な位置もおのずから浮かび上がってくるだろうし,また,『地獄の黙示録』(79年)では特撮を排しロケ撮影への執着を貫徹したフランシス・フォード・コッポラが,次作の『ワン・フロム・ザ・ハート』(82年)では,一転して極度に人工的な光学処理の美学に向かったことの作家主義的な戦略性も,改めて明らかになってくるだろう.実際,ジョン・フォードの『ハリケーン』(37年)と,2200万ドルかけて制作されたヤン・トロエルによるそのリメイク(79年)とを隔てているものは,本当らしさの迫力をめぐる量の相違なのではない.一方には嘘っぽさの魅惑に執着するものがあり,他方にはイメージの迫真感を追求するものがあって,それら二つの映画的欲望を隔てる質的差異そのものが問題となっているのだ.映画装置のシステムそのもののうちに内在する歴史が露呈するのは,こうした質的差異を通して以外にはない.
 今日,ジェームズ・キャメロンの『トゥルーライズ』(94年)にも,ヤン・デ・ボンの『スピード』(95年)にも,ジョン・マクティアナンの『ダイ・ハード3』(95年)にも,もはやスクリーン・プロセスは用いられていない.人物と背景の合成はすべてフロント・プロジェクションとマット・ショットによって処理されており,テクノロジーが飛躍的に進歩し制作費が途方もなく膨らんでゆくにつれて,映画の「迫真感」は,年を追っていよいよ昂進しつつあるかのごとくである.しかし,それが何を代償として得られた「迫真感」なのかについて,われわれは十分に意識的でなくてはなるまい.また他方,大火災の現場を背景として消防士たちの活躍を描く『バックドラフト』(91年)で,監督ロン・ハワードは,実際にリア・プロジェクションを用いているかどうかはともかくとして,どことなくスクリーン・プロセス的と形容したくなるような種類のいかがわしさを漂わせた視覚的スペクタクルと画面の質感に,なぜあれほどのこだわりを見せていたのだろうか.こうした事柄の微妙な質に視線を届かせるためには,たとえそれが一つのフィクションに近いものであれ,「1932年から1968年まで」を一つの固有の「時代」として取り出すというある特殊な映画史的遠近法を提起してみることは,決して無意味な試みではないはずである.

(まつうら ひさき・表象文化論)


No.14 総目次
Internet Edition 総目次
Magazines & Books Page