InterCommunication No.14 1995

Feature

テクノロジーの過去が復活する


メディア・アート考古学序説

エルキ・フータモ
藤原えりみ 訳


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新しいメディアの歴史に向けて
発掘の戦略
美術館に展示されるタイム・マシン
研究所兼遊び場
テクノ・カルチャーの不安と闘う


 ゾーイトロープ(回転覗き絵),キネトスコープ,ステレオスコープ,蓄音機,ピンボール・マシン,占いマシン,潜水艦撃沈ゲーム,家電製品,年代もののテレビジョン・セット,旧式のコンピュータやテレビゲーム.テクノロジーの変化のスピードが速まるにつれてどんどん増えていくこうした過去のテクノロジーの産物が,美術館に侵入してきているようだ.メディア・アート展を訪れると,まず,あたかもテクノロジー博物館に行ったかのような気分を味わうことだろう.だが,現代美術展と教育的展示とは同じではないし,また同じであってよいはずがない.  ロンドンの映像博物館(MOMI)や東京都写真美術館のような場所で見ることができる,映画が登場する以前の,細部まで正確に細工されたインタラクティヴな装置のレプリカ.また,サンフランシスコのエクスプロラトリアムやパリのラ・ヴィレットの科学センターなどで入場者の利用に供されるような,ノブ,ハンドル,ジョイスティックといった人を惹きつけるインターフェイスの数々.これらのものは,その形態においても機能においても,メディア・アーティストたちの仕事を思い起こさせるだろう.事実,重要なテクノロジー・アートの作品は,こうした機関の依頼によって生まれてきている.  工学技術の過去へのタイム・トラベルや,はるか以前に日常生活の一部であることを止めてしまったアプリケーションにじかに触れるといった,現象的な体験を観客に与える巧妙な仕掛けの検討は,確かに教育的目的として重要なことである.だが,だからといってそれがそのまま,アート作品としての資格を保証してくれるわけではない.それには別の何かが要求される.そしてその「何か」を,「考古学的な」傾向をもったメディア・アーティストたちが準備しつつあるのだ.ジェフリー・ショーや岩井俊雄といったアーティストたちは,すでに80年代(あるいはさらにそれ以前)から「考古学的な表現形式」によって作品を制作してきたが,メディア・アートにおいて私が考古学的アプローチと呼ぶ,より広い美的関心を包括するものの登場は90年代に入ってからである.ポール・デマリニス, ケン・ファインゴールドリン・ハーシュマンペリー・ホバーマン,マイケル・ネイマーク, キャサリン・リチャーズ,ジル・スコットといったアーティストたちが,彼らの戦略の中心的な美的・構造的要素として,かつてのアナログ的,機械的な装置との関係が明らかに読みとれるような作品を生み出している.

新しいメディアの歴史に向けて

考古学的アートの登場と文化的,知的環境の下で生じた変化は,時を同じくして起こったようである.一般的な知の枠組みにおいては,80年代の「ポストモダン的」な言説が徐々に後退し,それに代わって,再び「現実の」時空間に立脚するアプローチが求められるようになってきた.ポストモダンの時期には,人々は歴史の宝庫をさまよい歩くこと(それは略奪に到ることもあった)に魅了され,それを模倣と引用の切り貼りに満ちた,果てしなく続くテキスト相互間のゲームのための拠り所として歴史を使った.だが,この万華鏡的,自己内省的なお芝居は,文化的産物の歴史的刻印を際立たせるのではなく,むしろ消し去る方向に向かうものだった.そして歴史は絶えず「はめ込み可能」なモザイクになってしまった.  それと同時に明確に定義づけられた主体の位置も失われ,主体はあたかもサーフィンをするかのように,はっきりした交通標識も信頼するに足る空間座標のシステムもないままに,新しいポストモダンの情報空間の波間を漂い,滑っていく(それぞれのポジションにより,ある人は絶望的に,またある人は勝ち誇って).上下,左右といった概念は,突然,外部の道しるべとの関係ではなく,相互の関係においてのみ意味をなすようになってしまった.さらにこうした代用的な座標システムも,常に変容する状態にある奇妙な流動性を帯びてしまう.「イデオロギーの死」,「作者性の死」,「歴史の死」といったような概念が流行し始めたのも不思議ではない.  変化の兆候は,80年代後半以降のメディア研究における新しい歴史意識となって現われていた.曖昧な論理化や自己言及的な言語ゲームよりも,メディア研究者たちは歴史に立ち戻ることを選び,特定の歴史的・文化的枠組みにおけるメディア・テクノロジーの展開を分析したのだった.だが,完全なる「パラダイム変換」が起こったと主張するのは誤解の元だろう.むしろ,新しい歴史主義には,先行するポストモダニズム理論の波紋の痕跡が数多く残されている.例えば,歴史の作用因として,言説や言語を重く見るという点だ.その結果,新しいメディアの歴史は「そのもの」としての産物や作品を論ずるのではなく,より広い文化的,イデオロギー的または社会的な現象の兆候としての関心を作品に対して抱くようになっている[★1].  メディアの歴史研究者たちはまた,彼ら自身を取り巻くイデオロギー的な言説の網の目からは自由にはなれないことを認め始めている.この意味では,歴史は過去に属するのと同じく現在にも属しているわけだ.しかも歴史は客観的な立場に立っていると主張できない.過去と現在(そして議論の余地はあるが,未来も)の間で機能する媒介者,ないしは意味の生産者としての役割りを認識することしかできないのである.新しいメディアの歴史は,不可謬の真実のための場所というよりも,むしろ対話的学問としての立場を明らかにすることだろう[★2].  こうしたアプローチをメディア考古学的アプローチと呼ぶことができる.私が思うに,「メディア考古学」には主に二つの目標がある.まず,メディア文化の発展の根底に横たわり,またそれを導いていく.周期的に立ち現われる要素およびそのモティーフの研究.第二には,次々と推移するこうした伝統と公式化が,さまざまな歴史的コンテクストのなかで特定のメディアのマシンやシステムに「刻印」されてきた筋道を「発掘」することである[★3].サイモン・ペニーの「ヴァーチュアル・リアリティの2000年」というエッセイは,こういったメディア考古学的なアプローチの好例である.

発掘の戦略

 メディア考古学に関心を寄せるアーティストが採る戦略と,考古学的な指向をもつ研究者たちが採る戦略との間には相似が見られる.メディア考古学的なアート作品は,空間に展開された対話的な「歴史的著述」,ないしはテクノロジーの過去との対話を保持する方法として受け止められてもよいのではなかろうか.確かに,考古学的な指向をもつアーティストたちは現代のデジタル・ハイテク技術の開拓に熱心であるが,それと同時に,階級,ジェンダー,権力,イメージが持つ歴史的性質,ハイ・カルチャーとロウ・カルチャーの関係といったテクノロジーに関係するイデオロギーの問題に立ち向かうための領域として,自分たちのアート作品を活用することに興味を抱いているのである.  例えばいくつかの,美的戦略が見受けられる.歴史の書物に見られる機械装置に酷似したアート作品がある.そして,なかには作品がレディ・メイドないしはオリジナルのリメイクとして解釈されることを要求しているようなものまである(例えば「ピープ・ショー・マシーン」として分類されうるようなキャサリン・リチャーズの《Virtual Body》.だが,さらに多く見受けられるのは,明白な歴史的言及が他の関連性と置き換えられたり,混合せられたりしているものである.その結果,混合的構造が生まれてくるのだが,それは歴史的関連項を超越し(だがそれを消してしまうわけではない),意図的に曖昧な時空間的,準 歴 史 的オブジェとして立ち現われる.ジェフリー・ショーの古典的なインスタレーション《大地の創出》(1986)や,過去と現在の間(そして議論の余地はあるが,未来も)を連続的に動くポール・デマリニスのサウンド・インスタレーション《エジソン効果》などは,こういった作品の例である.  過去の特定の装置を直接に再現してはいないが,より連想的なコラージュ的アプローチを採用した考古学的な動機づけをもつ作品もある.ケン・ファインゴールドの《幼年時代/熱い戦い,冷たい戦い(自然の外観)》(1993)は,50年代のテレビの登場が,希望・恐れ・欲望といったアメリカ人の漠然たる集合的無意識のシステムに与えた影響を取り上げている.ファインゴールドは,個々ばらばらな要素をそれぞれの連想的な潜在力と結びつけ,一つの「彫刻」作品としてこれを表現した(例えば50年代の郊外の家の部分,広島の「原爆ドーム」の残った骨組のレプリカ,床置きの大型振子時計,透明な球体を回転させて観客が動かせる50年代のテレビ映像クリップの膨大な蓄積,素材としてのアルミニウムの使用など)[★4].  考古学的な作品であっても,古いテクノロジーの形態をまったく呼び起こさないようなものも時には現われる.その場合,こうした作品はメディア考古学的発掘のための場や道具として,現代のテクノロジーを使っている.CD-ROMを中心とするクリスティーン・タムブリンの作品(《彼女はそれを愛している,彼女はそれを愛していない――女性とテクノロジー》,1993)や,ジェイムズ・ペトリロ(《シネマ・ヴォルタ》,1993),柴山信広の作品(《バイオモルフ エンサイクロペディア マイブリッジ》,1994)などの場合がそうだ.彼らは個人的で詩的な内省や歴史的素材,テクノロジーに関する文化的言説を混在させて,それを観客が発掘すべきものとして呈示している.

美術館に展示されるタイム・マシン

 以前にはもっぱら未来に向けられていたメディア・アーティストの眼差しが,今や過去に直面する別の眼差しに取って代わられた.あるいはむしろ,過去に向かう眼差しに支えられていると言った方が良いかもしれない.こうした視線は,テクノ通のノスタルジアや,ジェフ・クーンズの「調理済み」の機器類のような陳腐な装いのポストモダン的変形に根差しているのではない.ここで明らかにしておきたいのだが,この過去に向けられた眼差しの活動は,ポストモダニズムを超えようとする試みであると私は考えている.それは,「ポストモダンの条件」や普及しつつある視聴覚性を備えた製品に特徴的な,常に曖昧な境界線や定義の輪郭づけを行なうという目的のもとに,過去との対話を始める試みなのだ.だが,メディア考古学的研究者の眼差しが過去を向いているとはいえ,それは固定したものではなく,むしろ,極度に動き易いものなのだ.この眼差しは絶えずテクノ文化のさまざまな形態の歴史的パノラマを走査し,時間を前に後ろに移動し,対応関係や断絶のポイントを探し求める.そして最終的には現在に向かい(あるいは再び戻ってくると言うべきか),また時には未来へと向かう.  考古学的なアート作品はタイム・マシンのようなものである.だが,それらが機能する方法は,H・G・ウェルズ的であるよりも,ベルクソン的,プルースト的な方法に近い.観客は旅へと誘われるが,クロノグラフ的エレベーターに閉じこめられたように,時間軸を単に上下するだけではない.そうではなくて,旅人は,過去=現在,現在=過去の遥かに複雑な領域を進んでいくことになる.そこでは時間の層が重なり合い,互いに結びつき,時間という概念は単純に直線的ではなく,循環的なものとなる.こうしたタイム・マシンは,オートマティックな,ないしはリモート・コントロール的な移動(映画のような大量移動)の手段ではなく,個人が操作できる「手を使った」乗り物なのである.マシンが横断する領域は積極的な参加者だけに開かれる.積極的な参加者は,習慣となっている物事の通時的な秩序や,自らの社会的,文化的に定義づけられた位置を捨て去る覚悟ができており,作品との対話関係に潜む潜在的な次元の探索に乗り出すことのできる人々なのだ.

研究所兼遊び場

 私はメディア・アートの考古学的「ジャンル」について語るのを,敢えて避けてきた.そして「アプローチ」というもっとニュートラルな概念に頼ってきた.そうしながら,私はこの現象の比較的拡散的な特性を強調してきたのである.いかなるマニフェストも発表されておらず,アーティストと考古学研究者のグループも結成されていない.また,「メディア考古学的美学」の原則も規定されているわけではない.作品の実体はますます成長しつつあるにもかかわらず,今のところ,このアプローチはほとんど評論的な注目も浴びていない.もちろん個々の差というものが存在する.ジェフリー・ショーや岩井俊雄,リン・ハーシュマン,マイケル・ネイマークといったアーティストの場合,考古学的アプローチは,ある美学的・イデオロギー的問題を巡る彼らの長い闘いから,徐々にではあるが論理的に現われてきたものである.  だが,これらのアーティストや考古学研究者の全ては,過去の装置を文化的形態として,あるいは文化的,社会的動機づけをもったものとして扱っている[★5].私は彼らのアプローチの範囲をカバーするために,適切なメタファーを考えようと努力してきた.以下にそれを挙げてみよう.研究所兼遊び場,哲学的道具兼玩具,監視塔兼ゲーム・マシン.こうしたメタファーは,この仕事の複雑で,ある場合にはパラドクスに満ちた性格を伝えてくれることだろう.考古学的アート作品は発掘,観察,そして内省の領域を確立してくれる.しかしそれは,この領域を同時に遊び場,子供部屋,あるいはゲーム・センターのような場として定義することを通して達成されるのである.  作品との遊び心に満ちたインタラクションは遊びのために設計されてきたのであるが,その手段が,議論されるべき評論的課題を曖昧にさせることがあってはならない.リン・ハーシュマンの《その人自身の家》のミニチュアの室内のような,人形の家をじっと見つめるのは楽しいことだが,女性(「部屋」の奥の壁のスクリーンに現われる)から誘発される観客の反応は,商業的な覗き部屋の変態的快楽と取り違えられることはない(まさにそのことによって覗き部屋自体を脱構築し,その土台を崩そうとしている).観客との自己言及的なポストモダンの隠れん坊は,その魅力を失ってしまった.

テクノ・カルチャーの不安と闘う

 90年代のメディア・アートにおける考古学的アプローチの出現を説明する,また別の方法もあるかもしれない.テクノロジー・アートはいまだ自らのアイデンティティを探し求めている状態なのである.とくに確固とした基盤を築いている美術界におけるアイデンティティを探し求めている.その歴史は20世紀初頭にまで遡ることができるものの,メディア・アートはいまだに新参者であって,侵入者,地球外生物のようにしか見なされていない.しかも,「コンピュータの世界」における位置づけもまた不確かなものでしかない.テクノロジー・アートは「SIGGRAPH」などの数々のイヴェントで定期的に発表されているにもかかわらず,ただの巧妙なアプリケーション,内在的な美学や文化的価値を備えていない技術的デモンストレーションとして扱われかねない危険に,常に曝されているのだ[★6].  この意味では,アーティストや考古学研究者たちは彼らの努力のルーツを探し求め,それと同時に美術界での評価を得ようとしている.だが,考古学的なアプローチのルーツは,ハイ・カルチャーの形式に「普遍的に受け容れられた」規範の外側で先行しているように思えることが多い.というのは,幻想や怪し気な欲望の売買,「ありきたり」の音楽やイメージによる気晴らし,ギャンブル,殺害,清掃(ペリー・ホバーマンやジル・スコットらは,非ハイ・カルチャー的な要素として家電技術を用いている)のために使われてきたテクノロジーを参照しているからだ.だからといって,メディア考古学研究者たちが自分自身の文化的可能性を証明しなければならないわけではないが,この現象は考古学的アプローチの登場を解き明かす一つの解釈を与えてくれる.というのもメディアが浸透した社会では,古典的なハイ・カルチャーは消費への足がかりを失い,ピンボール・ゲームや「ピープ・ショー」,コーラの自動販売機(これはすでにポップ・アーティストたちによって不朽の地位を獲得しているが)などの大衆風俗的な装置が,さしあたりの間は合法的な基盤を与える価値体系の一部となってきているからだ.  だが,こうしたポップ・カルチャーへのアイロニーに満ちた賞賛は,ジェフ・クーンズ,あるいはフルクサス以降のナムジュン・パイクらによって採用されたアプローチである.メディア考古学研究者の場合には,多少,趣を異にするだろう.マシン・カルチャーの残骸物に対する彼らの愛着には,テクノロジーが現代社会で果たしている実際の役割を巡る不安や疑念が絡み合っている.インタラクティヴ・テクノロジーは,現在のポスト・インダストリアル時代の社会におけるいかなる問題にも対応する,特許的解決策として市場に売りに出されてきた.それは「選択の自由」,「サイバーセックス」,「サイバースペースでの自由な飛翔」を約束する,「想像力を超越する」ものになろうとしている.つまり,メディアにおいて,過去のテクノロジーの「疎外」と現在のテクノロジーの「解放」との間に,くっきりと一線が引かれているわけだ.  とはいえ,こうした約束事の背後に何か居心地の悪いものが潜んでいるという疑いから始めてみよう.インタラクティヴィティという概念が,企業の利益のために乗っ取られ,新しくデザインされたパッケージにくるまれた,相も変わらぬ商品をさらに売るために使われてきたのだとしたら? こういったことを感知するのに最も効果的なセンサーを,アーティストたちは備えている.考古学的なアプローチをとるアーティストや研究者のなかに,女性が多いということも偶然だとは思えない.歴史的に見れば女性はテクノロジーから排除されてきており,男性社会において機械の中に閉じこめられ,機械と交雑させられてきた(例えば電話局のオペレーター,タイピスト,「家電製品と一体化した」主婦,などなど).こういった経過があるために,インタラクティヴ・テクノロジーが女性に真の恩恵をもたらすことに対して疑念が生まれるのも当然のことである.サイバースペース内に生まれるであろうと約束されている「ジェンダー・フリー・ゾーン」に関しては,今のところ触れないでおくが.  多くの人々はいまだに,インタラクティヴな仕掛けが存在するというだけで,人間と機械の関係に質の変化が起こるのだと信じている.だが,これは全くの偽りである.インタラクティヴ・テクノロジーは,さまざまな機会の枠組以上のものを与えてくれるわけではない.それは特殊なアプリケーションやアイディアで満たされなければならないものなのだ.こうした背景を考えれば,考古学的な表現形式によって仕事をしているアーティストたちの活動は非常な重要性を帯びてくる.彼らは,忘れられた以前の形を発掘しつつ,またテクノロジーと文化的形態との違いをじっくり見極めながら,インタラクティヴィティの本質と対話をし続けるのだ.しかし,過去と現在の間を周期的に行ったり来たりすることを通して,新しい,そしてさらには,より使いやすいインターフェイスとアプリケーションの定式化にも貢献しているのである. (エルキ フータモ・メディア論/訳=ふじわら えりみ・美術エディター)



原註

★1――新しいメディアの歴史に関して重要な貢献をしたものを以下に挙げる.
Siegfried Zielinski, Audiovisionen. Kino und Fernsehen als Zwischenspiel in der Geschichte, Reinbek bei Hamburg: Rowohlt, 1989. Friedrich Kittler, Discourse Networks 1800/1900, translated by Michael Metteer, with Chris Cullens, Stanford: Stanford University Press, 1990. Avital Ronell, The Telephone Book: Technology, Schizophrenia, Electric Speech, Lincoln: University of Nebraska Press, 1989. Carolyn Marvin, When Old Technologies Were New: Thinking About Electronic Communication in the Late Nineteenth Century, New York and Oxford: Oxford University Press, 1988. Susan J. Douglas, Inventing American Broadcasting 1899-1922, Baltimore and London: The Johns Hopkins University Press, 1987. Lynn Spiegel, Make Room for TV. Television and the Family Ideal in Postwar America, Chicago and London: The University of Chicago Press, 1992. Cecelia Tichi, Electronic Health: Creating an American Television Culture, New York and Oxford: Oxford University Press, 1991.


★2――こうしたアプローチにもっとも重要な影響を及ぼしたのはヴァルター・ベンヤミンの著作であろう.以下を参照のこと.
Susan Buck-Morss, The Dialectics of Seeing. Walter Benjamin and the Arcades Project, Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 1989. 非対話性にまで達するような極端な例証はアヴィタル・ロネルの以下の著作に見られる. Avital Ronell, The Telephone Book. Technology, Schizophrenia, Electric Speech, Lincoln: University of Nebraska Press, 1989.

★3――メディア考古学に関するより詳細なディスカッションは拙稿
(From "Kaleidoscomaniac to Cybernerd. Towards an Archeology of the Media, " in ISEA 94 Catalogue, edited by Minna Tarkka, Helsinki, The University of Art and Design, 1994, pp.130-135)を参照のこと.メディア考古学に関する独創性に富んだ議論といえば,ミシェル・フーコーを挙げなければならない(The Archaelogy of Knowledge, translated by A.M. Sheridan Smith, London: Tavistock, 1982. 邦訳=『知の考古学』中村雄二郎訳,河出書房新社,1984).

★4――ファインゴールドはこの作品の根底にある個人的な記憶のことを語っている.「私自身の子供時代のテレビにまつわる記憶を探索してみた.私が憶えているこうしたイメージや音はある種の考古学みたいなもので,今思えば,世界で進行していることに対する私の理解を形成するものだった」(Iterations: The New Image, edited by Timothy Druckrey, New York: International Center of Photography and Cambridge, Mass.: The MIT Press, 1933, p.164).

★5――テクノロジーと文化的形態の特質については,以下を参照のこと.
Raymond Williams. Television: Technoligy and Cultural Form., Fontana, Glasgow,1974.

★6――フロリダ州オーランドで開催された「SIGGRAPH 94」の「ジ・エッジ・ショー」でのアーティストたちの扱いは,アーティストたちの集団に強烈な反感を巻き起こした.これによって,メディア・アーティストたちが直面する諸問題を議論するための国際的ネットワーク「シガート(SIGART)」のリストが生まれることになったのである.美術界とコンピュータ界の間におけるテクノロジー・アートの議論されるべき位置については,拙稿("It is Intractive but is it Art?" Computer Graphics Visual Proceedings, Annual Conference Series, 1993, edited by Thomas E. Linehan, New York: The Associating for Computer Machinary, 1993, pp.133-135)を参照のこと.


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