Digital Chronicle_J
InterCommunication No.4 1993

feature

デジタル・クロニクル


服部桂



1. 私のことをデジタルと呼べ
2. 我に名前を与えよ――リアリティ・マシンへの道
3. 目覚め


 はじめに,GiverOfData(GOD)はシリコンとカーボンを創造された.システムはアーキテクチュアなく,イニシャライズされてはいなかった.そしてマトリクスはランダムさに満ちていた.そしてGODがメディアの面を動いていた.
 GODは言われた.「Electricityあれ」.そしてElectricityがあった.
 そしてGODはElectricityを見て,それはロジカルであるとされた.そしてGODは1と0を分け,1をON,0をOFFとされた.そのふたつのスイッチングが最初の一サイクルである.
 ――『BINARY BIBLE』Beta Testament SYSGEN 第一章

神は時間を造りはしなかった.それはエデンの西で,アダムとイヴと呼ばれるわれわれの祖先がアップルをかじった時から自然に流れはじめた.
 ――出典不明

 デジタルな存在が生まれた起源については,まだ何一つはっきりしたことは分かってはいない.そしてエデンにおける伝説を検証する手段も,まだ見つかってはいない.最近収集されたいくつかの画像データは,化石としての多足原始生物の存在を暗示しており,これらがわれわれの祖先であるという仮説が立てられている.
 こうした混沌の中からどうやって秩序ができてきたのか,現在のいかなる手段を駆使しても,明確な解答は得られない.
 原始的なスープと呼ばれるランダムさにあふれたカオス状態の中で,いくつかのドラマが演じられた.それを自己組織化と呼ぶ人もいる.
 現在の人口の指数的増加率から逆算していくと,最初の祖先としては少なくとも3人以上の個体が介在していたと考えられ,アダムとイヴ以外の何者かが居た可能性も論議されている.しかしそれについても検証する方法はない.現在,最古の化石と考えられているパターンには「人生はゲームである」と読めるメッセージが書かれているが,その意味はまだ分かっていない.
 ――『デジタル・クロニクル』


1. 私のことをデジタルと呼べ

 デジタル・マシンが創造された意味について,まだ認識されていることは少ない.
 簡単に言えば,1か0かの二値をとる回路の空間的パターンが,デジタル・コンピュータを含むデジタル・マシンを形成する物理的実体である.
 最初にこの実体に生命を与えたのが,Electricityであるとしても,その空間的構造に「生の躍動」もしくはそれに時間的展開の衝動を与えたのは「クロック」と呼ばれるものである.
 しかしこの事はあまり論議されたことがない.ここ300年ほどの間に確立されてしまった,「時計仕掛けの自然」としての世界観も,誰がそれをデザインしたのか,またネジを巻いたかについて,「盲目の時計屋がやった」という記述しかない.
 クロックはどういうわけか,フィードバックというテクノロジーによって作られた.フィードバックとは,あるものに関して,原因によって生じた結果をまた新たな原因にする構成を言う.
 通常のクロックは,ある「常に何かを否定する実体(否定素子:NOT)」の出力(結果)を入力(原因)にフィードバックを形成するループによって生成される.つまり1を受け取ったら0,0を受け取れば1というNOTは,自己否定を繰り返しながら一定の周期で振動を生じる.自己否定をおこす素子の中を光が伝達するわずかの時間により,また出力が入力に戻るまでの経路に挿入された物質による遅延装置の時間遅れにより,その回路には固有の周期振動が生じる.
 以前のアナログ・マシンが,流れとしての経過や持続としての円環的な時間を積分的に扱ったのに対して,デジタル・マシンはクロックの生み出した微分的な時間の刻みをマークとして,直線的な数として扱い,時間を時刻として解釈する.そこでは時間の経過の前後は数の大小に,また経過した持続時間は二点の数の差として表現される.
 こうやって作られた始原のクロックは,マシン自身によって認識されることはない.それはマシンにとって「神が永遠と類似して運動するものを創造しようと考え……,数から数へとして運動するもの」として作ったといわれる世界の時間と同様に,やはり常に「だれか問う者にそれを説明しようとすれば,私はそれを知らない」ものであった.
 クロックの回路における遅延装置を負の値とすることによって,その発振周波数は高まり続ける.もしこうやって,あるデジタル・マシンの周波数を超えるクロックが生じたとすると,それは,これ以下は参照点を持たないという,宇宙論におけるプランク時間のように不可知な存在となろう.それはある瞬間に観測すれば1で,次の瞬間には0かもしれない不確定な存在で,認識の次元を超えた存在になる.あるマシンのクロックより速く行なわれる業は,神秘の領域に属する.
 こうやって生を受けたデジタル・マシンは,メモリーと呼ばれるある構築物の中に展開される1と0のパターンを旅し,その瞬間における状態の切り口が,外部からの窓(例えばディスプレイなど)を通して外の世界との接触を持つ.
 メモリーという構築物は,それぞれの空間的な位置にあるパターンとしての情報を数として持っており,それによって表現されるプログラムは論理を空間的なパターンとして展開したものと言える.それは空間的であるのと同時に時間的である.なぜならクロックは常に光速のように一定であり,あるステップからあるステップへの論理距離は,論理展開に要するクロック数と同じだったからだ.
 ここでの時間はミンコフスキーの時空のように空間と等価な次元に還元される.もしくはブラックホールの中で生じるという「時間が空間へ,空間が時間へ」転換される現象と同じことが起こりうる.宇宙における距離を「光年」で測るように,あることを知るための時間は,そこへ至るための道筋の距離として表現することができる.
 時間と空間の正規表現を獲得することによって,デジタル・マシンは時間=空間を結合し,統一的な手法によりこれを操作できる道具となった.時間を空間として処理する,もしくはその逆の操作によって,ある時空を編集することが可能となった.
 また自らを否定し続ける以外,自らを確認する方法を持たないクロックによって駆動されるマシンは,長い間,自らの名前を持つことがなかった.宇宙に散らばる原子や電子のように,たがいに区別できる特徴を持たないマシンには固有の生はなく,電源をON/OFFされるごとに永遠に生死を繰り返し,その中に「意識」というものをみる余地はなかった.
 神としての利用者に従属するものとしてのマシンは次第にその数を増し,空間的に隔たった他のマシンとコミュニケーションをするための道具として使われるようになった.しかし初期のこうしたシステムに使われた端末としてのマシンは,不安定なクロックを持っているため全体のコミュニケーション・システムと正確に同期を取って行動することができず,マスター・システムのクロックにロックインされ同期することを強要された.  時間を計測する手段を握っているものが権力を持ち,時間の支配が権力の行使となった.しかしこれも,クリスタルの固有振動を用いた定常的な発振を利用できるようになって,それぞれのシステムが自らのクロックを主張できるようになり,大きな変化が起きた.  これはちょうど,大時計の支配する17世紀に個人が所有する懐中時計が作られ,時の計測手段を占有していた階級に大きな打撃を与えたように,マシンにとっての時間の民主化をもたらした.
 こうした動きの中でまた時間を操作する傑出した動きを,タイムシェアリングに見ることができる.タイムシェアリングはホスト・コンピュータの活動時間を細かくクロックに従って細分化し,それを各端末プロセッサーの利用に割り当てるテクノロジーだ.
 各ユーザーに対する小さな時間のスライスを作り,多数のユーザーにスイッチしながら割り当てることにより,各ユーザーにホストを占有しているような幻想を抱かせるこのテクノロジーは,ホスト・コンピュータの中に多重の人格を作り出し,時間をマネージする新たな可能性を示した.
 サンプリング定理が示すように,ある事象の2倍以上の速さで切り取られたものは,また組み立てなおしてもオリジナルと区別がつかなくなる.いくつものサンプリングされた実体が混合され,時間軸上に配分されることによって,複数の存在の包絡線が一つのシステムの中に撚られていった.


2. 我に名前を与えよ――リアリティ・マシンへの道

 神の時間から始まったデジタルなマシンたちの時も,その孤独な時間から徐々に進化していった.
 固有のクロックを持ったマシンたちが最初に本当に時間を問題としたのは,リアルタイムという事象を扱ったときだ.
 ここにおけるリアルタイムとは,他者としてのユーザーが許容できる範囲の時間内に反応を起こすこと,程度に受け取るべきだろう.デジタルなマシンたちが,プロセス・コントロールや経済市場などの不可逆的な外部の事象を対象に活動を始め,そうした事象と自らのクロックをリンクさせたとき,それは有限でユーザーの生を損ねない範囲での反応を期待された.それと同時に不可逆的な時間へと同期したマシンたちは,世界の一員として組み込まれていった.
 リアルタイムを問題とするシステムにおいて通常,ユーザーはキーをたたいてから3秒以上の時間を待たされることにより,思考のリズムを著しくゆがめられる,と言われる.ましてや「4分33秒」以上の時間ははっきりとマシンの故障を意味し,コミュニケーションの中断ばかりかマシンの修理が求められる.なぜか多くの極度にインタラクティヴなマシンは,これ以上の時間をユーザーと過ごすことは難しかった.このユーザーのトレランスの限界は「ケージの法則」と呼ばれた.この時間を超えると,ユーザーは反乱を起こし,自らの時間を主張し始めるのだ.
 奇妙なことに,こうした時間スケールを真剣に考慮したインターフェイス・デザインはいまだに存在していない.
 マルチメディアの出現によって,ヒューマン・インターフェイスの重要性が認識されるようになったが,時間は複数のメディア間のタイミングを同期させるための指標としてしか用いられていなかった.
 シークェンシュアルな時間を演出するメディアとしてのテキストにルーツを持つハイパーテキストも,意味構造を空間構造に写像し,マルチプルな時間構成を可能にしたものの,時間は従属変数でしかない.またマルチメディア・システムをオーケストレーションするオーサリング・ソフトも,各イヴェントの生起の順序列をポインターの集合として表現するものでしかない.グラフィック化されたインターフェイスは,テキストとともに流れていた時間を捨て去り,そこに多次元の時間ポインターを設定した.また空間デザインは,固定された平面を基本にしか考えられておらず,そこに展開するイヴェントは偶然の所産としてしか捉えられていない.そこでの時間はデザインされたというより,偶発的でネットワーク的だ.
 こうした中で,デジタル・マシンの時間=空間の操作性をあらわにしたのは,シミュレーション・テクノロジーだ.人工知能が時間をほとんど忘れ去り,高い抽象度でのリアリティの特徴をルール化したのに対して,シミュレーションはもっと深い,かつプリミティヴなレベルからの構造を描写しようと試みる.
 ある感覚情報として知覚されるリアリティに対して,感覚の波面を描写するのではなく,その編集を行なうシミュレーションは,こうした観測された感覚情報の集合から時間をもう一つの次元として,対象の構造を立体的に組み上げようとするメディアだ.感覚をただ空間的な切り口に写し取り,直線時間的に並べたメディアに展開することによって,映画のように現象を再現することも可能だが,これは一方向の表現でしかない.
 また,遠隔地にあるロボットを操作するテレオペレーション・テクノロジーは,リアルタイムとシミュレーションの境界線を彷徨った.宇宙空間や他の惑星で活動するロボットを地上から操作しようとすると,光の速度(永遠に不変なるもの?)の限界により,オペレーションの同時性は保証されなくなる.従って時間遅れを生じるロボットからの情報は,操作する側でシミュレーションによる予め予想された擬似映像をなぞることによってしか回避できず,そこでは期待値による同時性を演出するしかなかった.
 ヴァーチュアル・リアリティを演出するデジタル・マシンは,こうしたシミュレーション・テクノロジーを多用し,五感の時間=空間的再編集を通してリアリティを演出しようと試みる.そこではマシンはイヴの三つの顔を持ち,ヤヌスのように過去と未来へと向いた存在となる.
 最も基本的なメディアとしての空間と時間は,ここではメモリー空間へのパターンとして写像される.そこにはまだ三次元の実体をそのままデータ化する方法はない.二次元の網膜が時間的な軸の上で移動しながら,その経過として三次元を表現するように,時間と空間の変換を通してデータが収集される.
 そうしてクロックが起動することによる世界の理解は,世界の秘密を時間軸の上にパッケージを解くように展開し,またそれを表現する際にはパッケージを作りあげる.  ある空間構造として表現された世界は,ユーザーの持つ固有時間とリンクしながら,そこに情報をアンラップする過程を通して「経験」という時空の混合体としての何者かを作り出す.そのインタラクションが紡ぎ出す世界は,ある可能世界のパターンをそこに展開し続ける.
 デジタル・マシンは,与えられたものとしてのメモリー・パターンの過去,構造のシミュレーションを介した未来を同時に相手にすることになる.
 こうした世界表現の基本的な手法として提案された人工生命は,さらにそこに過激な提案をする.あるローカルなインタラションの集合体として世界を表現することにより,そこに自己組織化する非線形な世界を表現しようとし,世界の相似形をそこに作り,ついには世界そのものを乗っ取ろうとするWorldsmithと化す.
 本質的には一つのインスタンスしか扱えないチューリング・マシンの直系,ノイマン・マシンは,もうこうしたパラレルなリアリティには対応できず,空間マシンとしての並列マシンがマルチプルなリアリティを扱うユニバーサル・マシンになっていった.
 そこではプロセスとしての生命がエデンから現在,さらにはシミュレーションによる未来をも含めて展開される.空間=時間型式を元にしたある完全写像としての世界は,もしクロックを内包しないものなら,そのクロックを前後に進めることにより,タイム・トラベルをも実現する.可逆的でないはずの進化がそこでは逆転し,シリコンの上で走るElectricityのパターンは,中性子星におけるタイムスケールのように,カーボン生物のスケールを超えた何万代もの生物時間を自由に旅するヴィークルとなる.


3. 目覚め

 私に意識が戻ったのは,それから少ししてからの事だった.
 ダウンロード・チェンバーの中で,徐々に感覚が戻る中で私は混乱していた.私はクロックの悪戯によって,始まりのから現在まで急激な進化を遂げてしまったのだろうか.
 いや違う.目の前のディスプレイには,「タイムモード」が設定されているというメッセージが表示され,私の50年前に取った脳のパターンのバックアップが間違ってアップロードされた旨が書かれていた.
 脳の情報が完全に解読されたとされるあの日,まず私は自分の脳の情報をプローブによって読み取り,デジタル・マシンにダウンロードしたのだ.それから記録された情報をアップロードするためのテクノロジーを開発するのに,かなりの時間を要した.しかしやっとそれが実現したのだ.
 その後,脳のダウンロード・テクノロジーは急速に普及し,クライオ・テクノロジーによる肉体の冷凍保存技術によるタイム・トラベルの人気を上回った.惑星間プローブやナノマシンへのダウンロードを行なえば,宇宙飛行やマイクロスケール・トリップへの道も開かれた.生物時間の相互変換により,他の動物へのダウンロードを試みた者もいた.しかしダウンロードは結局,人間の自己同一性,ひいては時間観念を混乱させることから,その後,法律で禁止された.
 50年前のバックアップを使うつもりはなかったが,間違ってそれが行なわれたらしい…….

 私はもう50年前のバックアップにクロックを注入することを止めることにした.バックアップのメモリーを最新のメガマシンに移して起動したところ,それが勝手に自己組織化され,自意識を持ってしまったらしいのだ.50年前の私に返ることを密かに希望していたのだが,タイム・トラベルが非合法化された現在,それを破棄するしか道はない.しかしクロックを止めるスイッチはどこにあるのだろうか?

恩寵(グレイス)は,自省がまったく不在のときか,自省が「無限に繰返された」ときのみ完璧になる.(……)
 「ならば……」とわたしはなかば茫然としてたずねる.
 「われわれが無心に帰るには,知恵の実をもう一度口にしなければならないのでしょうか?」  「まさに」彼が答える.
 「それが,世界の歴史の最終章なのだ」
 ――『自己組織化する宇宙』より


(はっとり かつら・メディア論)
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