ICC

会期:2010年1月16日(土曜)〜2月28日(日曜)

作家による作品解説

《中心が移動し続ける都市》
柄沢祐輔+松山剛士

作品解説

ノーベル賞を受賞した経済学者のポール・クルーグマンは,著書『自己組織化の経済学——経済秩序はいかに創発するか』*において,資本主義経済のメカニズムが空間の中でどのように自己収束を行なってゆくかについて,数学的なモデルを構築して独自の説明を行なっている.そこでは,資本主義経済に基づく空間経済の相互作用が,初期条件としての平等で均質な状況から時間的なプロセスを経て一定の巨大な中心地へと収束させてゆくプロセスが詳述されている.いわば,資本の自己増強のメカニズムが都市空間の中でどのような不均衡な帰結をもたらすかということを,数理シミュレーションを介して説明したものである.それは具体的には現実の都市風景においては繁栄する中心市街地と,その逆に荒廃してゆく郊外の住宅地やスラムなどの後背地という風景の差異を生み出す都市のメカニズムの本質的な記述である.ここでは,この資本の自己増強のメカニズム(前傾書の中では複雑系の科学の言葉を借りて「自己組織化」メカニズムとされる)を逆手に取って解釈し,都市の不均衡を招く空間的自己組織化をゆるやかに解体・コントロールする方法論を幾何学のモデルと数理モデルとして提示し,絶えず変動してゆく動的な中心地と後背地の関係を記述する都市モデルを作成しながら,そのモデルを都市の生成プログラム・コントロールシステムとして提示することによって,自己組織化に関与する新しい都市計画のありかたを提示するものである.

壁面に投影される画面のうち,向かって右の画面では,複数の中心地を持つ都市のジオメトリー(マンハッタン・グリッドのような一種の街区割り)が投影されている.この都市のジオメトリーは,複数の中心地と周辺の関係を平面的に充填したものであり,中心に行けば行くほど密度が細かく,また周辺に行けば行くほど密度が大きくなっている.この複数の中心と周辺によって構成される都市のジオメトリーが動的に変化することにより,絶えず中心が移動し続け,周辺と中心の関係が一定時間ごとに入れ替わる点がこの都市モデルの最大の特徴となっている.

クルーグマンの分析によれば,最初に平等な都市の立地条件(企業数の空間的分布としてカウントされる)が一定の時間を経ると複数の中心地へと収斂してゆき,またその周辺の荒廃した郊外が生み出されるという.つまり都市は時間的な経済運動のプロセスの中で,仮に最初は均質な状況であっても,時間が経れば確実に一定の個数の繁栄する中心地と,その逆に衰退する郊外という二極化が進展してゆき,その格差は固定化・拡大する一方になるのである.本インスタレーションでは,クルーグマンがコンピュータ・シミュレーションを利用して説明しているその格差の固定・拡大のモデルと同様のシミュレーションを行ないつつその結果を逆手に利用して,都市の格差が固定化した瞬間に,より言うならば繁栄する中心地と衰退する郊外の分岐が拭いがたく展開したその瞬間に,中心がずれて移動し,都市の中のまったく新しい場所が新たな中心として定義され,その格差のメカニズムが解体するという新しい格差是正の都市のモデルを提示するものである.

向かって左の画面では,三次元のグラフの中で時間軸によって変化してゆく都市の経済的集積の度合いをシミュレーションした結果が表示され,中心地における経済的な集積の度合いが一定の値(格差がこれ以上進むと固定化してしまう閾値)になると,その瞬間に右側の画面で表示される都市のジオメトリーの中心地が別の場所へと移動してゆくというプロセスによって動的な変化をし続ける都市,中心が移動し続ける都市の姿が描写される.

この都市のモデルによって,見えない自己組織化のプロセスをコントロールする都市というまったく新たな思想にもとづく都市計画が具体的なシステムとして記述されることになる.目の前に広がるオブジェはその動的なモデルを時間軸で切り落としたものである.

*『自己組織化の経済学——経済秩序はいかに創発するか』筑摩書房、2009年
Paul KRUGMAN, The Self-Organizing Economy (Blackwell Pub, 1996)

可能世界空間論—— 「コンティニュアス・シチュエーション」の構築に向かって

可能世界を提示するとは,来たるべき未来を予告することに他ならない.わたしたちの都市は20世紀半ばに建築家のミース・ファン・デル・ローエが提出した静的なデカルト直交座標系に基づく均質空間(ユニヴァーサル・スペース)によって隅々までが支配されており,近代の都市を超える都市の構築方法をわたしたちは未だ手に入れてはいない.ここで提示する可能世界空間論とは,ひとえに建築と都市を構成する論理として今日まで連綿と採用され続けている均質空間を超える空間の概念(それを空間哲学者アンリ・ルフェーブルに倣って「空間の表象」と呼んでもいい)を,どのようにして新しく提示するかということであり,この新しい空間の表象をめぐるラディカルな探求の先に,次の建築と都市の姿はその実態を現わす.

20世紀の均質空間の世界中への浸透は,同一のプロポーションのコンクリートの巨大な塊を各都市に林立させ,建築家と都市計画家によってデカルト座標が建築と都市の計画の基盤として揺るぎない信頼のもとに無限に反復して用いられることとなった.その最も端的な姿をわたしたちはニューヨークのマンハッタン島に敷き詰められたデカルト・グリッドの碁盤の目の区割りに見出すことができる.建築家レム・コールハースは著書『錯乱のニューヨーク』においてマンハッタン・グリッドを次のように語る.「分割される土地は誰のものでもなく,そこに描き出される人々の群れは架空のものであり,そこに建てられる建物は幻影であり,その中で行なわれる活動は存在しない」.ここではニューヨークという都市の究極の実体はデカルト的な均質なマンハッタン・グリッドであり,その上に林立する高層ビルの群れは幻影にすぎないという大胆な考察が行なわれている.実のところこのような分析は,ニューヨークに限らず20世紀のほぼすべての都市について多かれ少なかれ当てはまるものだろう.

かつて1970年代の中葉に,この均質空間に対して反逆を企てた建築の運動が勃興した.ポストモダン建築運動がそれである.いかに空間の表層を記号で満たし,あるいは多様な形態を生み出すかという実験が追求されたが,その結果として表われたのは記号と形態と空間の単なるカオスであったといっていい.わたしたちが生きる今日の社会状況においては,世界を覆う無味乾燥な均質空間を肯定することもできず,かといってそれに反逆を唱えたポストモダン建築に回帰することも許されない.もはやモダンでもポストモダンでもないフェーズへと差し掛かっているこの時代においてわたしたちができるのは,都市を構成する不可視の潜在的な論理を抽出し,その論理を対象として建築と都市を作ることではないのか.

都市を構成する潜在的な論理.この展示でわたしたちが試みたのは,都市に潜在する空間経済の自己組織化のメカニズムに着目し,またそのメカニズムをコントロールするシステムを構築することによって,近代の均質なデカルト・グリッドに基づく都市とは異なる可能的な都市の姿を導こうとするものだ.そこでは,自己組織化のメカニズムに抗して構築された動的なグリッドが空間を連続的に不均質に分割し,それでいて完全に不合理ではないという二律背反した状況が浮上したさまを見ることができる.いわば「コンティニュアス・シチュエーション(連続する個々に違う場所性)」とでもいいえるような新しい空間の様態を見ることができるだろう.この連続する個別に違う場所性こそは,情報化社会において生じた新しい空間の美学であり,現代の複雑ネットワークの学問はその空間モデルをグラフ理論などを援用して多様な形で表現を試みているところである.その顕著な例として,ダンカン・ワッツ,スティーヴン・ストロガッツらの「スモールワールド・ネットワーク」(WSモデル)と名づけられたネットワーク上の数理モデルが存在しており,そのモデルは後継者達によって動的なモデルへと更新を遂げつつある.無限に反復する均質空間から動的な変化を遂げてゆく個々に違う場所性へ.わたしたちの時代の空間の表象は,ついに均質空間から異質な空間の様態へと変化を遂げつつあるのだ.この変化しつつある空間の概念をどのように物理的に切り落とし掬い上げ,多様な方法論を駆使して身の回りの建築と都市のあり方へと昇華させてゆくかを,わたしたちは本当の意味で探求する時期に差し掛かっているのかもしれない.