ICC
ICC メタバース・プロジェクト
田中浩也×柄沢祐輔「メタバースにおける空間,環境,身体性」
「現実世界と微妙に違う仮想世界」=「セカンドネイチャー」の試み

柄沢:ひとつには「空間の切り出し方」もあるような気がします.たとえば,(目の前の画面に映し出されている建物を指して)こういうコンドミニアムが三次元仮想空間にあったとして,主人公の視点で進んでいくのではなくて,投影された空間が並列的に並んでいて,そこをアヴァターが奥や手前に行ったり来たりする構成のほうが,スムーズに三次元世界を行くよりも,不思議な重みが操作の感覚にあると思う.
 あるいは視点を固定しちゃって,無限に縮んで豆粒のようになったアヴァターを操作したり……とかでもいい.そういう試みをたくさんやっていくと,単に三次元世界の中を奥へと進んでいくよりは制約があって,不思議な空間になるんじゃないかと思います.「どこまで操作できるか」みたいな障壁とか.そこでは空間記述の方法が,ひとつの制約になりうる.いまは主観モデルだからつまらないのかもしれない.

田中:どうマッピングするか,とか……投影法で空間の記述を考え直すというのは,ひとつの方法ですよね.

──リアルに見せた空間がモニター画面の向こうにあるのに,どうしてもそこに没入できないというのは,マウスのようなインターフェイスが障壁になっている.手は平面上を動かしているから,それが身体感覚と結びつくわけがない,というご指摘がありましたよね.だとすると(身体感覚の話からやや逸れるかもしれませんが)それこそ遠近法とか……世界の「見え方」を操作することによって,新しい知覚を見出せるかもしれませんね.

柄沢:風景は静止画になっていて,アヴァターだけが動くモデルに転換しちゃう,とか.

田中:でも,メタバースの持つべき機能はそれでいいのかな?

柄沢:つまり大問題は,三次元空間をそのまま仮想空間内に移植する必要はなくて……既存のパソコンというインターフェイスを通さないといけない宿命は外せないとしたら,それに沿った三次元空間の切り出し方や投影の仕方があるはずだ.でも結局は安直に,アヴァターが主観的な視点で移動するという,負荷の大きいモデルになっているので,いわゆる三次元のアヴァター・モデルは成功していない,ということではないでしょうか.

田中:インターフェイス・デザイナーとしては,僕もそれには賛成ですが…….

柄沢:プリミティヴな感覚として,もしもGoogle Earth上にビルが乱立しているのが,たとえば50年後の朽ち果てた状態として見えたら……そういうのって「リアルな仮想空間」としての魅力がありますよね.

田中:それを魅力的だと考えられるのは,柄沢さんだけかも?(笑)いや,磯崎新が好きな人にとっては「50年後の世界はこんな世の中だ」ということは魅力的でしょう.環境破壊で海面がどんどん上昇して陸地が沈没していて…….でも僕は,それはアリだと思う.現実の生活が変わっていけば,未来予測も変わっていくわけだし.

柄沢:そうです.現実の統計データをもとにシミュレーションをして,Google Earth上に作られた仮想の三次元オブジェクトとかが刻々と変化しつつ,応用されていくことで,「現実世界と近似的でありながらも,違う世界」が描き出される.それって,見てみたいですよね.

──いろんなデータを収集できますよね.「何十年後,原油は本当に枯渇するのか?」とか.

柄沢:「ハリケーンがどれくらいの規模になっているのか?」とか.こういうメタバースのシステムと「地球シミュレーター」を連動させて,カトリーナみたいな巨大台風がたとえば30年後にどうなっているのかを見えるようにすると,そこでは暴風雨の中で自分の家の建物がバーンっと吹き飛んでいる,とか…….

田中:現実のデータが少しずつ変わっていけば将来予測も連動して変わる.そこに意味があるわけですよね.

柄沢:刻々と反映されていて,反世界でありながら現実世界と連動している.言わば現実世界とリンクした並行世界が表現されている.

田中:と同時に,メタバース上のデータを現実世界にも実体化できると,なおいい.たとえばハリケーンが巨大化した場合も「ここにこういうふうに壁を建てれば,こうなる」ということが分かれば,実際に被害を防げる.

柄沢:環境に特化して「他者としての環境」が体験できるメタバースというのは,アリかもしれません.

田中:同感ですね.「コミュニケーションの実験場」としては,メタバースに正直あまり魅力を感じないけれど,「環境との関係」だったら,話は別ですね.「電気を全部太陽発電に換えたら,どのぐらいの照度になるか?」とか.

柄沢:そういう世界がシミュレートされていて,そこへ実際に入ってみてリアリティを検証する…….

──そうすると「未来年表」みたいなものができますよね.

田中:そういうことを実際に研究している人もいるけれど……でも,実際には現実とシミュレーションは違いますよね.ところが,人間は予測を見てから行動を決定するわけだから,そこでフィードバックが生じる.

柄沢:そうなんです.シミュレーションという鏡があって,自分が髪型を変えて,また鏡に投影されて……という構図がメタバースと現実世界に起こったら,それは田中さんの理想とする世界ですよね.そこまでの精度があったら面白い.

田中:まさにそうです.「天気予報は絶対に当たらない」というパラドックスがありますからね.

柄沢:「現実には当たらないけれど,確率的には当たる」というか.そのシミュレーションの精度をどうやって現実世界に入れるかは,それなりに価値があると思います.

──実際,田中さんがやられていることは,ある種の環境デザインみたいな性質があると思うのですが,僕が面白いと感じているのは,田中さんの環境デザインの捉え方が,たとえば道を作ったり,山を作ったり,木を植えたり……ということではなく,その上に乗っかってくる現象のほうをデザインされているところです.鳥を模した人工音で現実の鳥の鳴き声が変わったり……とか,もともとある地形とか土地自体に作用する環境のデザイン,と言いましょうか.でも,それも完全に自分がデザインした通りにはならないところがある.そうすると,それって今の「シミュレーションは外れるものだ」という話と同じなのではないでしょうか?

柄沢:現実も裏切るし,シミュレーションも裏切るし,それがズレていたとしても裏切られるのだったら……ということですね.

田中:「裏切られるからこそ持続できる」ということですよね.

──ただ,それが実際に行なわれているほうにリアリティを感じるということなのでしょうか.

田中:僕のやっていることに引きつけてご説明しますと,コンピュータ上で行なわれているシミュレーションをもう一度,現実世界に戻そうとしているわけです.その中で,普通の人はやらなさそうな意外なショートカット……意図的な短絡をさせようとしています.たとえば,コンピュータが進化的に変え続ける音で,現実世界の鳥の鳴き声が影響されてしまう,とか.そうした「意図的な短絡」を情報世界から現実世界にフィードバックさせて,逆流を起こそうとしている.そこにどれだけの予測可能性や予測不可能性,どれだけの「濃い」意味を見出せるか,だと思います.

柄沢:それって僕が建築でやろうとしていることとまったく同じですね.アルゴリズムというのは人が慣習的にデザインするものじゃない.だからコンピュータで動くようなものが現実にマテリアライズされたときに,あきらかにクラッシュが起きる.そこで起こる効果に,最大限期待したい……と.そこに一番の美学的可能性を感じています.

──それはつまり「自分の手を離れたところからやって来る美学」ということですよね.自分があるところに働きかけて,そこから返ってきたものに対して,どう取り入れるかを自分でまた判断する,と.

柄沢:そういうところでズレている感覚が,身体性の根源になっている気がします.その「ズレる感覚」が最大限引き延ばされることが,認知限界の中であるとすると,それが快楽になったりもする.

田中:じゃあ,コンピュータがなかった時代はどうだったんですか? 映画なんかがそれに相当した?

柄沢:いろいろとあったと思います.たとえば古典的には「光が強調される」だとか.

田中:要するに「現実とは少し別のもの」を,各時代ごとに何らかの形で確保しておいて,その「ズレ」をどうやって表現するかがいつも主題になってきた,と.それをアートの文脈で捉えるのであれば,そういうのはすでにインフラになりかけているから……もう,そちらのほうがリアルかもしれない.そうなると「知覚の冒険」とかって,もう言えなくなってきているのでは?

──とすると,それが現実とはまったく違うほうが効力がある.

田中:そうですね.1年くらい前に「何をリファレンスの対象として作品を作ったらいいのか」を考えてみたのですが,結局もう生き物しかないのではないか,と思いました.なぜかというと,現実空間からヴァーチュアルな世界を引き算したときに,まだ(ヴァーチュアルな世界に)取り込まれていない要素って,人間以外の生き物なんじゃないかと思ったんです.メタバースの中には犬も猫も鳥もいないし,虫もいない.

柄沢:シミュレーション技術と人工生命の技術が徹底的に進化して,そこでありとあらゆる種が交配しながら独自の進化を遂げていく,ということも考えられます.それこそ「アーキテクチャの生態系」じゃないけど,本当にアニミズム的な生態系が生まれているような光景,というのは十分にありえる.

田中:それもありますが,もうひとつには「現実世界で人間が飼っている犬や猫にタグをつけて,そういうペットたちのアヴァターが必ず仮想空間内にもいる」みたいな話.現実世界の動物に対応するペットが,その空間内にも必ずいる.

柄沢:それって《PostPet》とかに近い関係性ではなくて?

田中:いや,全然そういう次元ではなくて……もっとリアルな「生き物」です.たとえば現実の渡り鳥にGPSがついていて,1年に1回自分の家に来たりするのを,仮想空間にも反映させるわけ.

柄沢:そうか,星新一のショートショート的な世界だな(笑).

田中:以前やりかけたことがある試みで,動物園の全動物に三次元の加速度センサーとGPSをつけて,どんなふうに動いたかがコンピュータに転送されて,別のヴァージョンがネットで見られるようにする,ということ.そういうふうに動物の生体が,ネット上で動くようになったら面白くありませんか?

──それこそ外界の気象条件や環境が,そのままメタバースの中にも同じように反映される,とか?

田中:物理系のシミュレーションは,もう相当なレヴェルに到達したと思うのですが,生き物や生命のシミュレーションって,まだ完全ではないですよね.犬が10秒後どういうふうに動くかすら分からない.だけどその計算不可能なところが面白いところでもあって,たぶんそこのギャップを僕は見ているんでしょうね.実は粒子レヴェルで考えれば,気象もほとんど計算できますよ.だけど,動物の行動だけは本当に分からない.そういう予測不能なものが入ってくると,世界としてのリアリティが増してくるかもしれない.

柄沢:植物でも,どういうふうに生育していくかが10倍速ぐらいで展開していって,10年後に自分の家の庭がどう変化するかが分かったりして…….

田中:植物の生長も,微妙すぎてまだ計算できていないんですよ.植物学的にもまだ見つけていないパラメータがあるので.

──たしかに「植物建築」みたいなことが,仮想空間ではできるかもしれないですね.

田中:前半でも出てきましたが,そこで重要なことは「観測者」込みで設計することだと思います.「生成」のみではなくて.NTT出版から『サイバースペース』(1994)という分厚い本が翻訳されていましたよね.あの本の著者のマーコス・ノヴァックは,僕の留学時代の先生なのですが……先ほど述べたような「観測者」がないと,あそこに書かれていた10年以上前の空間の生成モデルと基本的には変わらない,と思います.リアルな現実世界と仮想空間をミックスした,全体としての空間モデルを「観測者込みで」再構築するのであれば,意義はあると思います.

柄沢:さらにその続きで言うと,複雑系シミュレーションを閉じたモデルにせず,外部環境を取り入れ,予測不可能な振舞いをする流動的なシミュレーションとして展開することで,その仮想空間のシステムの中に徹底的な自然の流動性を呼び込む,ということですね.

田中:いまは前もって構成された諸処のシミュレーションと,その中で活動するユーザーのアヴァターしか入力条件がないわけだから.それだけでは非常に貧弱な世界観にすぎない.外部の環境情報や植物や動物の情報を入れてゆくことで,もっとダイナミックな世界を構築できるのではないでしょうか.

柄沢:それがさらに進化していくと,セカンドライフじゃなくて「セカンドネイチャー」になっていくんでしょうね.

田中:「セカンドネイチャー」か……うまい言い方だね!

柄沢:「セカンドネイチャー」をめざす方向性,それはアルゴリズム建築がめざしている美学的な方向でもありますから.