ICC
ICC メタバース・プロジェクト
エキソニモ(千房けん輔/赤岩やえ)×ドミニク・チェン「仮想空間のリアリティとは」
履歴が蓄積されず,補完を促すような仮想空間のデザインとは?

ドミニク:残り時間も少なくなってきたので,改めて僕がいま一番関心あることを申しあげておくと……いまはデジタルでしかできないことと,生身の身体でしかできないことの両方があり,それぞれに並行して面白い部分があるけれど,そのすり合わせとして「双方が自然な形で混ざり合える場所」,そこなんですよ.
 そういう意味でメタバースが,その両方の差を浮かび上がらせたうえで,そこに住めるというか……さっきも「ウェブといっしょに住めるのか?」という話を出しましたが,例えば「リア充(現実の生活が充実している人)」と「ネト充(ネット生活が充実している人)」が別々にいるんじゃなくて,ひとつの人種となって双方を行き来する,という感じ.
 先ほどのルーブ・ゴールドバーグ・マシンのアイディアも,それぞれの世界は別物だけれど,両方を行き来するところでひとつを成しているのが面白い.gumonjiも,デジタルだからこそできることをやっているのだけれど,そこに生身の身体の経験則が持ち込まれている.そこでは(現実世界と仮想空間の)擦り合わせが行なわれていると思います.
 たぶん人間の脳はとても可塑的だから,十何時間もゲームをし続けたら現実世界がゲームの世界のように見えてきたりする.部屋にひきこもってニコニコ動画やセカンドライフしかやらない生活も可能だし,そういうのを全然やらないで暮らすことも可能だけど,そうじゃなくて,現実世界と仮想世界が刷り合わさって出てくるシステムが何なのかを考えていくと,ウェブ・サーヴィスもメタバースも面白くなるのではないでしょうか.

千房:たしかにそういう中間領域がないと,面白くならない.

ドミニク:人間の身体の限界に沿ったウェブ・サーヴィスの流れとか,「デジタルの自然」ということをいつも考えていて…….いま自分の会社[※20]で「リグレト」(http://rigureto.jp/)というFlashベースのウェブ・コミュニティを運営しています.これはユーザー同士が匿名でヘコんだ体験,後悔話をそこで打ち明けあい,励ましあうことで,元気づけるというものですが,後悔の念というプライヴェートな感情を扱うというコンセプトに沿って,メッセージがひとつのページに固定化されず,検索もできないシステムにしています.そうやってアーカイヴ性を低く設定して,コミュニケーションがどんどん流れていってしまうようにしてある.僕はそれを「人間の自然に近い」ウェブ・コミュニケーションと呼んでいます.
 現実世界でも,こうやって話をしていても(録音していなければ)会話の内容はどんどん流れていってしまうように,記録に残らない.「後悔することを解消する」のがサーヴィス内容なので,ログとしてコミュニケーションがずうっと残っていたら,いつまでたっても後悔が解消されない……という非常にストレートな発想でやってみたところ,いわゆるギークじゃないユーザー層に受け入れられています.ネットではネガティヴに見られがちで,一般的にも悪いイメージのある匿名性の部分も,すごく自然に受け入れられている.もちろん,インターフェイスやデザインもすごく重要なのですが.
 だから,繰り返しになりますが,「デジタルでしかできないこと」と「人間であることの特性」を融合させないと,結局は「ゼロ/ワン」の世界を抜けられない.

赤岩:私も,将来的にやってみたいと思ったもので「言いっぱなしブログ」というアイディアがあります.ブログってログが溜まっていくし,それだから書きやすいところもたしかにある.でも普段の「雑談」だと,その場のノリで言いっぱなしにできる.だから,その場のノリでどんどん書けるブログをやってみたい.ログが残らないから,書いたことがどんどん消えちゃうの(笑).あと一回しか見られないような仕掛けにして,リロードしても2回は読めない,とか.アーカイヴがどんどん残っていくのがコンピュータの特徴だけれど,逆にそこが自分の中では制限になっていて,そのせいでできないこともあるから.でも,そのときに読んだ記憶は残るでしょ.記憶の中で意味が変換されても,別にいいから…….

ドミニク:忘却ってけっこう重要ですよね.例えば,個としての人間は自分の遺伝子の半分しか残せないけれど,だからこそ種全体としては生き延びることができ,遺伝子レベルでも生命は進化していけるわけだし.それが人間種レベルの「忘却能」として,進化の上でポジティヴに機能している.

赤岩:捨てたり忘れたりしたほうが,緊張感があるよね.

千房:先ほどの「リグレト」にプロフィール機能を皆が求めていないのって,最初から「リグレト」として完成していてほしくないというか,自分が関わることで完成させたいからじゃないかな.だけど大文字のメタバースって,わりと最初からすべてが用意されていて,ユーザーとの相互性に隙がない感じがする.

ドミニク:自分がそこにいる必然性なり意味としてのインタラクションが,単純にない.

千房:ところが(先ほどの遺伝子の喩えのように)半分欠けているシステムだと,欠けている部分を自分が補って,新しいひとつの世界を作っていくことができる.そういうイメージで仮想空間を設計してみたら,また違うことができるかもしれない.先ほどのローレゾリューションの話にも近いかもしれないけれど……「ドラクエ」も(最近は分からないけれど),かつては「ムーヴィーを絶対に入れない」というこだわりがあって,ドット絵の中で全ての物語が展開するところがよかったんだよね.

ドミニク:「不完全さ」や「未完成さ」をどうやって組み込むか,デザインするかが大事だよね.

千房:「人が関わることで完成される」部分も,ちゃんとデザインしないといけない.

ドミニク:旧来のCGMモデルって,「ユーザー個々人がものを作って発表したら,全体が創発するだろう」という,ある種の楽観論があった.それってクリエイティブ・コモンズの活動に対する有効な批判にもなると思うんだけど,つまりみんな目的を自分勝手に確立していけるかというと,それはユーザーにとってはかなり負担だということ.ニコニコ動画の面白い側面として,ミクロな貢献がウワーッと集まって,結果的に10万コメントだとか(実際に一度に表示されるのは300とか400コメントくらいだけれど),そういう小さな貢献が集まって一個の作品が仕上がる,大勢が集まって生まれるダイナミックさがあると思う.で,ここに日本ならではのリアリティがあると思う.

千房:すごく盛り上がっているニコニコ動画の画面を見ていると,ライヴ会場にいるみたいな気になるよね.

エキソニモ,ドミニク:なるなる! 本当に!(笑)

トレメル志保(ICC研究員):余談ですが,99年にロンドンのICAの展覧会で(ニナ・ポープとカレン・ガスリーによる)「Somewhere」というチームが行なった《An Artist's Impression》というプロジェクトがありました.彼らは「Island」というオンライン・テキストゲームを開発して,このゲームに参加する人たちはテキストを使ってその中に簡単に家を建てられたり街をこしらえたりして,仮想の「島」を作れるようになっていました.
 そして,その島がある程度できあがってきた段階で,テキストベースの仮想空間のモデルを実際のICAの会場内に1ヶ月かけて作って,公開しました.オンライン上でひたすら作られていくものと,現実世界の作品がリンクしていたのが面白かったのと,また実際にモデルを作っていく過程で,オンライン上の島が壊されていったりする過程などもあって,ちょっとgumonji的なところも面白かったです.

──このメタバース研究会から派生して,作品制作に落とし込んだり,実際の展覧会をICCで行なったりすることもありうるけれど,ただ完成した作品を展示するだけではなくて,その制作過程をワーク・イン・プログレス的に見せていくことも重要なのかもしれませんね.

トレメル:作家さんによっては「(できあがった作品や世界を)破壊されてナンボ」という人もいるでしょうし,その破壊されていくプロセスを見せるのも,ユニークかもしれませんよね.

ドミニク:たしかに一般のサーヴィスだったら,破壊者やイントルーダ(侵入者,邪魔者)は排除しなくてはいけないけれど,ICCでやるならば,彼らを積極的に呼び込むこともできる.

赤岩:でも,破壊することを推奨されたら,破壊しないと思う.逆に「絶対に壊すな!」みたいな?(笑)

ドミニク:「あのエキソニモが『絶対に壊すな!』とか言って日和ってるぜ.じゃあ,ぶっこわそう!」って(笑).それが,先ほど話題にのぼった「そこでしかできないこと」だったりしますよね.「破壊されてもかまわない」というのは,一般企業がやっているルールからは逸脱する行為だけれど,ICCの展示の枠内だったら積極的に仕掛けていける.

──でも,うまくやらないと,「荒らし」に占領される危険性もありますよね.

赤岩:始まりはみんなそうなのかもしれない.ニコニコ動画だって最初の頃は見ていても気持ちよくないというか,投稿された映像にただ悪口を言っているだけのノリだった.ニコ動独自の文化が育つ前は,あまり乗れなかった気がする.

ドミニク:だから「破壊のための破壊」では幼稚でつまらないので,破壊を乗り越えて生まれてくる流れを作って,緊張関係も生まないとね.

赤岩:たしかWikiは「荒らしに占領されたらそれが民意だ」っていう考え方もあったりしますよね.それは極端だけど,出口は決めすぎない方が面白い方向に行くかもしれない.

千房:そういえば,破壊じゃないけれど,落書きの話.「ニコニコ大会議」(実世界における「ニコニコ動画」のイヴェント)の会場にひろゆき[※21]の銅像が置かれていて,その横にマジックが置いてあるんだけど,わざわざそこに「落書きをしないでください」って注意書きがあるの.そうするともう,銅像が落書きだらけになってしまう(笑).それを見たときに「これはリアル2ちゃんねるじゃないか!」って感心した.

ドミニク:うまいなぁ…….そのコミュニケーションのデザインってすごいよね.そういう2ちゃんねる的な「空気を読むコミュニケーション」ってすごい文化ですよね.そういうのが備わっているメタバースというのも,ひとつのアイディアかもしれない.濱野智史さんも以前「ひろゆき自身がロールモデル,ひとつの定型としてあったから,2ちゃんねらーの皆がどういうコミュニケーションをすればいいのかという道筋が与えられていた」という趣旨のことを『アーキテクチャの生態系』にも書いていたけれど,そういう定型や自由度の狭さ,不完全さの提示は今後ともすごく重要になってくると思います.恐らく,どうやってこの「不自由さ」や「不完全さ」をうまく設計するかに,「人間の自然に近い」メタバースやウェブ・コミュニティの正否が関わってくるんじゃないかと思っています.
(2009/02/24@NTT出版会議室)

[※20]自分の会社:株式会社ディヴィデュアル.いきるためのメディアの社会実装を目標に,アーティストの遠藤拓己とクリエイターの山本興一とドミニクが運営している企業.http://dividual.jp/ [※21]ひろゆき(西村博之):2ちゃんねるの開設者.動画共有サーヴィス「ニコニコ動画」の提供元・株式会社ニワンゴの取締役でもある.