ICC
ICC メタバース・プロジェクト
エキソニモ(千房けん輔/赤岩やえ)×ドミニク・チェン「仮想空間のリアリティとは」
メタバースの「中でしかできないこと」は何か?

ドミニク:最近感じているのは,ウェブ・コミュニケーションにおいては「自由度の狭さ」をどう設計するかが,とても重要だということ.ニコニコ動画にしても,長文のコメントを書くことが可能だったら,今頃廃れていたかもしれない.短いコメントしか書けないからこそ,あの独特のノリが生まれたわけだし,2ちゃんねるのコピペ文化みたいなものが継承されましたよね.そういう意味でいうと,メタバースはそもそも自由度が高すぎたんですよ.

千房:あと,インターフェイスがあまり練られていない感じもする.昔からインターネットのことを「サイバースペース」って言うけれど,そのとき皆は頭の中で「スペース」を思い浮かべていますよね.でも実際のインターネットはというと,ケーブルで繋がっているハードディスク同士でしかないわけで,それを皆が勝手に「スペース」と想像しているだけだったりする.その人間の性質はすごく面白いと思うんです.で,メタバースって,その「サイバースペースのミラーワールド」みたいな感じがしませんか? でもその「妄想のミラーワールド」を実現しようとすると,3Dでアヴァターで,っていうインターフェイスで満足して停止してしまうというか…….
 先ほどの「CLIと,デスクトップのGUIの話」にも近いと思うけれど,実際にコマンドラインで作業しているときって,脳の中にデスクトップがあって,そのイメージ上で作業をしている感覚がある.その時のイメージは実際のデスクトップじゃなくてもっと抽象的でもいい.だけどGUIだと,それが目の前に現わされていて,ゴミ箱の中にファイルをドラッグして捨てたり,ウインドウをどけないと裏が見えなかったりする.それと同じで,メタバースも目の前に世界が広がっていて人が立って見ているというふうにリアルに表現されちゃっている.もちろんデスクトップ(GUI)はそれ自身が目的ではなくてツールなので使いやすいことには変わりないけど.
 そして,ニコニコ動画や2ちゃんねるの世界も,やっぱり「場所」という感じがする.それは脳内の中にイメージされている世界だけれど,逆にそうやって自分で補完しないと成立しない世界がある.「補完して初めて成立する」という,そのバランスが重要だと思います.逆にオブジェクトをすべて目の前に並べられると,見たそのまんまでしかないわけで…….

ドミニク:ゲームの世界でも「スクウェア・エニックスの功罪」的な話が昔から取りざたされたりしています.例えば「ファイナルファンタジー」シリーズも,初期はファミコンのスペックの範囲内で頑張っていて,「FF2」とか「FF3」の頃は熱狂的なファンがいた.その人たちは皆,ゲーム内世界を自分たちの想像力で補完しながら遊んでいたから,そういう時代を振り返って最近も「ローレゾリューション懐古」みたいな話が時々出てきます.
 だけどいまは,リアル指向をさらにどんどん突き詰めるゲームもあるけれど,完成されすぎていてそこにはプレイヤーとしての自分が介在している意味だったり補完する余地があまりない.だから仮想世界というのは,映画や文学作品と同じように「ある一定以上の自由度や表現上の完成度がないほうが盛り上がる」という法則性が考えられるのかもしれません.

千房:そもそも僕は3DCGにはあまり興味がないんだけれど,最初にドミニクが引き合いに出した「ハーフライフ2」のGarry’s MODで物理演算がすごく遊べたとき「これは3Dの意味があるし,面白いな」と思いました.それはやっぱりミラーワールドというか,現実世界の物理法則が目の前で再現されていたところにひとつの可能性を感じた.

ドミニク:盛り上がっている3D仮想世界って,ゲームならいくらでもありますよね.例えば「ワンダと巨像」[※13]の世界だと,広大な世界を旅して,巨大な敵を探さなければならない.巨像に振り回されたあげくに倒したときのカタルシスがたまらないので,その世界にずうっと居続けてしまう…….そういうふうに成功している3D仮想世界って,ゲームなら普通にあります.

──でも,メタバースだって,友だちを探すために,ずっとそこにいてもいいわけでしょう?

千房:だけど「ワンダと巨像」には「巨像を倒す」という確固たる目的が設定されていて,自由度は低い.「敵が見つからないから,ひとつ家でも建てようか……」というわけにはいかない(笑).

ドミニク:だから,メタバースも一個だけ仮想空間内での強固な目的を設定してしまう,とかね.ICCでメタバースの企画をやるんだったら,何かそういう目標を立てても面白いのでは.

千房:もうひとつの問題点は,従来のメタバースって「その中でしかできないこと」がなかったことだと思います.「ワンダと巨像」だと,敵を見つけ出して倒すところに(現実世界では体験できない)独自性がある.だけどセカンドライフだと,それがない.たしかに空は飛べるけれど,それは他のゲームでもできるし…….

──メタバースの「中でしかできないこと」というのは,先ほどの話に出た「ハーフライフ2」の中で物理エンジンで遊べて「おおっ!」と思ったのに近い感覚ですよね.

千房:そうですね.「ハーフライフ2」は例えばドラム缶をものすごく高く積み上げていって,ロケットランチャーで全部ふっ飛ばすとか,そういう物理演算が単純に気持ちよくて没頭できる.そういうことは現実ではできないから,面白い.Amazonにしても,現実ではあんなに簡単に本を買うことはできないし,購入した本の履歴を管理してくれたり,「おすすめ」という形でいろんな商品が繋がっていったり……とかは,あそこの中でしかできない.

──「脳内で空間を構成する」という話もありましたが,たしかにAmazonも,まさに「バベルの図書館」みたいな感じですよね.そういう例も考慮していくと,メタバースなるものをセカンドライフ的な発想に限定せずに,いろんな可能性が探れそうですよね.

ドミニク:ウェブ上で「ものづくり」(CGM)がもっと普及するには,何が必要でどういう問題と解決法があるのかということが提示される必要がありますね.ニコニコ動画とか2ちゃんねるにテキストを使ってコメントや書き込みをするのは,コンテンツ作成の一番敷居の低い形です.ニコニコ動画では,大勢のユーザーのすごくミクロな貢献が何千何万のオーダーで集まって相乗効果となって盛り上がる.動画も,皆のコメントつきで見ると面白いけれど,それを抜きで見ると,たいしたことない(笑).テレビのバラエティ番組もスタッフの笑い声や字幕テロップが入っていないと面白くないと感じてしまうのに似た感覚かもしれない.その笑い方も,ちょっと乾いた笑い方のほうが面白そうに思えるとか,演出上の技があると思うのですが,ネットだとそれが“wwww”っていうふうに“w”キー連打で「草を生やす」とか,盛り上がりの可視化にテキスト独特の方法が確立されて,ユーザー達にそれが共有されている.

赤岩:ニコニコ動画だと,コメント以外にもコラボレーションや自分で作った動画や音源などをアップする人がいて,さらにそれをリミックスしていく人もいる.そういう二次創作が盛んだから面白いところもある.最近だと,アニメの曲を使ってラップをする人がいたんだけれど,それが一次創作……つまり本編のオープニング曲に採用されたり,そういう逆流も起きていて.ウェブ・コミュニティから外側に飛び出しているのを見ると,グッとアガるよね(笑).

千房:ニコニコ動画は,著作権的には完全にブラックな部分を多少放任しているところがあって,そういうグレーゾーンの部分が,また面白かったりしますよね.権利者側によって削除された動画の音声が,公式に着メロで配信されていたりして……そういうのって,明らかにズレているよね.

ドミニク:クリエイティブ・コモンズ[※14]の人間として言うと,創造の連鎖って,やっぱり模倣のうえに成り立っているところがある.素材をオープンソースで公開して「皆でそれを使ってオリジナルコンテンツを作り合う」という文化が実装されるには著作権の制度がそういうグレーゾーンのリアリティに対応できないといけないですね.

千房:ヒップホップとかレゲエなんかでも,基本は模倣で成り立っている部分があって,全部曲調が似ていたりするでしょう(笑).オタクの世界でもアニメ絵は知らない人が見たら全員同じ人物に見える.

ドミニク:たぶん,定型があると「まず,何をすればいいのか」が分かりますよね.すると,ルールやら何やらを自分で一から全部作らなくてもいいので,連鎖しやすい.

赤岩:「こういうスタイルでいこうぜ!」みたいな感じがまずあって,あえてそれを外してみたりするところにオリジナリティがあったり,創造性があったり.そういう文脈みたいなものがあるとカルチャーが育つというか.

ドミニク:かつて,セカンドライフでものを作っている人たちをウォッチしていた時に発見したのが,特定の分野だと予想外にうまくいっていたりもするということ.
 有名な事例に「Architecture for Humanity」(http://architectureforhumanity.org/)というプロジェクトがあって,これはイギリスの建築家キャメロン・シンクレアが,先進国の建築家たちの余った時間を第三世界のために使おうと呼びかけているものです.あるとき彼が国連や政府機関がアフリカのような途上国に支給しているテントを見たら,すぐに破れて雨漏りするようなひどいもので,貯水タンクなんかもお粗末な代物だった.だから,先進国で働いている建築家が少しだけ頭を使ったら,もっといいものを設計図として提供できるはずだ,と考えたわけです.
 彼の呼びかけに応えて,世界中から集まった建築家達の知恵を,現地のNGOがそれを自由に使えるようにクリエイティブ・コモンズ・ライセンスをつけて,ウェブ上でデータベース化した.そして,一連の設計案を実際に組み立ててみたらどういうふうになるのかをシミュレートするために,セカンドライフを使ったわけです.実際に設計図を3Dに起こしてみて,プロジェクトに参加している他の人達とそれを囲んで,ヴァーチュアル会議ができたりする.決して一般的ではないけれど,すごく意味のあるセカンドライフの使い方だと思いました.

赤岩:でも,現状のセカンドライフだと,建築をやる人にはしてみれば機能が全然足りないよね.だから,建築をやる人に特化したサーヴィスとか,銃をぶっ放すのに特化したサーヴィスとか……何かの用途や目的ごとに機能を特化したほうがいいと思う.セカンドライフの場合,銃をぶっ放す方面の機能は全然ダメだった.動きがぎこちなくて,参加しても気持ちよくなかった.

千房:そもそも「セカンドライフって盛り上がっていない」というのが一般論としてあるけれど……でも,そんなに盛り上がらないといけないのか,とも思えてきた(笑).そういうふうな目的を持った使い方をしている人もいるわけだし,個別の専用ソフトでやっていたら開発も大変だし,見られる人も限られるけれど,セカンドライフならより幅広い人たちが参加できるわけだし.一般ユーザーに大ブレイクしないといけないという前提が,そもそもおかしい気もする.

[※13]「ワンダと巨像」:ソニー・コンピュータエンタテインメントより発売されたプレイステーション2用ソフト.欧米のゲーム批評で高い評価を得た.主人公であるワンダを操作し,広大で美麗なゲーム世界内に散らばる16体の巨像と呼ばれる巨大な敵を探し出し,それぞれの巨像によって異なる弱点を探りあて,隙をみつけて攻撃して倒すゲーム. [※14]クリエイティブ・コモンズ:ネット時代の技術インフラに即した創作の規範と市場に適応した著作権制度を,法のハッキングから社会実装しようとする米国発の国際NPO.日本法人サイト⇒http://www.creativecommons.jp