ICC





はじめに
入場料
展示作品
参加作家
関連イヴェント




レクチャー9月18日(金)
レクチャー9月25日(金)
レクチャー10月2日(金)
レクチャー10月10日(土)
フィルム上映
カタログ
 
1998年9月18日(金)〜 10月25日(日) [終了しました.] ギャラリーA, D, シアター





はじめに


この図書館では,しかめつらしくなにか読んで勉強しよう,知識をえようなど殊勝に考える必要はありません.読むことのできない本ばかり集めてあるからです.誰も知らない奇妙な文字でうまった本や,読めないわけではないが読んでみても無意味な文字列の本などが並んでいるだけです.安心して眺めて,微笑するか,あるいは苦笑すればそれでよいのです.知識のためではなく,精神の自由のための図書館です.
宇宙の漆黒を透かしてにぶく光る地球を望見するような,そして心の洞窟を見透かすような,透徹した視線をもつホルヘ・ルイス・ボルヘスの文学は人々を惹きつけてやみません.近代が隠蔽してきた精神の暗黒へ,探検に誘ってくれるからでしょうか.

このボルヘスに「バベルの図書館」という掌編があります.この作品で彼は宇宙を無限に拡がる図書館になぞらえています.蜂の巣のように,六角形の閲覧室が上下左右にはるかに積み重なって,決して出口の見つからない図書館です.司書たちはそこに住み着き,そこで生涯を終えます.すなわちこの図書館はわれわれの世界のモデルです.ここには「二十数個の記号のあらゆる可能な組み合わせ」,つまり「あらゆる言語で表現可能なもの」すべてが収蔵されており,この図書館のどこかに解決を見いだしえないような問題はないといわれています.

バベルは,旧約聖書の創世記に書かれていることばの混乱の物語です.高い塔をたてて天にとどこうとしはじめた人間の傲慢に怒った神ヤハウエが,それを阻止すべく降ってことばを乱しました.その時から人間のことばはひとつではなくなり,互いのコミュニケーションがむつかしくなったのです.

ここ,バベルの図書館には,あらゆる情報が集められているだけに,かえって収拾がつかず混乱(バベル)の極みにあるともいえます.ボルヘスは別の作品「砂の本」で,万巻の書物に代わる一冊の本,世界そのものである一冊の無限の本について書いています.この本のページ番号はでたらめで,どこまでめくっても終わりになりません.世界は無限で,結局はバベルであるということかもしれません.

われわれは知識や情報をため込めばため込むほどかえってバベル的迷宮にはまり込んでしまう——ボルヘスの作品は図書館や書物から,データ・ベースやワールド・ワイド・ウエッブなど現代のメディアの問題にまで,様々に想像力を飛翔させてくれます.この展覧会はボルヘスの作品に直接追従するものではありませんが,情報のバベルともいうべき現代において,文字とか書物とか,あるいは映像などのメディアがなにをなしうるのか,あるいはなしえないのかを探ってみようとするものです.ただし,文字や書物の伝統を少しだけずらせた視点から眺めてみようとしている人たちの作品を中心にしています.直線的に引き継いでゆくのではなく,わずかに脱線してみようとするときに力になってくれるのは諧謔の精神ではないでしょうか.(たとえば,象形文字である漢字そのものに,時として記号性を超えた遊戯を感じることがあります.西洋風のブラック・ユーモアに対して,黄色諧謔というようなものを想像することもできるのではないでしょうか.)われわれのバベルの図書館は,知識の宝庫としての実用的な図書館ではありません.だが,精神の息づまりに一寸した遊びの隙間を与えてくれるような,楽しい知識の図書館となればと思います.

参考文献:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「伝奇集」 鼓直訳 岩波文庫 1992年
「砂の本」 篠田一士訳 集英社 1980年